昨年秋の日ロ首脳会談に関して、産経によれば「日露間の平和条約締結交渉が進み、北方領土問題の行方が焦点となっている。日本政府は『北方四島は日本固有の領土』との立場を維持しているが、実は戦後間もなく、『択捉(えとろふ)島と国後(くなしり)島の主権を放棄した』と公式に表明した時期があった。政府が過去の経緯に自ら触れることはないが、『四島返還』を難しくしてきたのは、戦後大きく揺れ動いた日本側の態度にもある」と書いた。
そのような日本側の態度を察したロシア側は、「日露平和条約締結に関わる北方領土の帰属問題をめぐって、ロシア政府系の世論調査機関が、『南クリール諸島(北方領土の露側呼称)の住民の96%が日本への島引き渡しに反対している』とする調査結果を公表し、その背景に注目が集まっている」とモスクワ駐在の小野田雄一記者が伝えてきた。
同記者は「露政府に“対日交渉カード”を提供する側面など、政治的な意図の存在が指摘され始めた」と書いているように、恐らく腰が据わらない?日本に対するロシア側の”ゆさぶり”だろう。
しかし、領土に対する執着心は、ロシアの本質的なものであり、「俺の物は俺のもの、人の物も俺の物」と言う精神は、ソ連が崩壊したとはいえ、全く不変であることを知っておく必要がある。とりわけ日本の領土に関しては、スターリンが言ったように、日露戦争の報復なのであり、当然血を流したものだから「返還」する気など全くないのだ。
露西亜人には、法律も条約も、破るためにあるのであって、守ることなど全く考慮の外なのだ。
それは、ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ南部クリミア半島の併合から5年となるのに合わせて、欧米などから批判されている併合について、住民投票にもとづくものであり「真実と正義の力を示した」ものだと主張し、正当性を強調したことで明白だろう(3月19日付朝日デジタル)
朝日は「ロシアは2014年2月、ウクライナで親ロシア政権が崩壊した直後に軍を派遣してクリミア半島を制圧。その中で実施された住民投票の結果を理由に、併合に踏み切った」と解説している。
この様に「領土問題」については、わが国のような”淡白な”国とは比較できないのだ。
処がこんな資料が出てきた。平成5(1993)年8月15日付東京新聞である。
昨年秋の、「南クリール諸島の住民の96%が日本への島引き渡しに反対している」とする調査とどんな関係があるかはわからない。
しかし私は、退官後の2001年6月にセンチメンタル・ジャーニーで父の足跡を訪ねてサハリンを訪問した時、迷彩服姿で『森の番人』と自称する日本語に堪能な男が、「なぜ自衛隊は攻めてこなかったのですか?」と聞いてきたことがあった。
「日本に占領された方がよほどいい生活が出来たのに・・・」とも言った。
又、2003年10月に2度目の訪問をした時、終戦後帰国できなかったために残留した”半島出身者”のガイドさんが、ペレストロイカで予算が届かなくなったので、サハリン州は困窮していた。
特に4島は悲惨だったから、当時は日本への返還運動が起きて、択捉島では議会までが返還議決を行ったほどだった。
しかし日本政府は動かなかった。逆にその後、日本人の政治家や民間人が、救援物資を届けてくれるようになり、発電機や医薬品まで届けてくれたから、日本人が物を届けてくれるのだから返還する必要はないだろう、となって、返還運動はいつの間にか消滅してしまったことがある。
日本は本当に何を考えているのでしょうね~」と呆れていたことを思い出す。
もし事実だとすれば、サハリンにある領事館は一体何をしていたのだろうか?
そんなことだから、私の生まれ故郷である樺太も、固有の領土である4島も、武力で取り返さない限り決して戻ってこないと私は思っている。
そうそう、こんなこともあった。
ある出版記念会で、ロシア大使館の大佐に会った時、友人が私は樺太生まれだと紹介したので、「国際法違反の不法占拠をやめて、わが国に返しなさい!」と強く言うと、彼はすかさず「返したら戻って住みますか」と聞いた。
すかさず「当然だろう。生まれ故郷なのだから」と言うと「あ、そうですか」と言って彼はそそくさと立ち去った。
元より今では樺太に戻る気は私にはないが、日本人としてはそう答えるのが当然だと思ったから、直ちに応じたのだが、「住む気がない外交官では、そんな答えをするのは無理だろうな~」と仲間と話し合ったものだ。
竹島もそう、拉致被害者もそう、挙国一致で”敵に”相対しないと足元を見られて相手は本気にするまい、特にロシアのような征服欲の権化のような国とは、と言うお話。
父の回想録は、日本領当時の開拓団の健闘ぶりが詳細に記録してある。4島のみならず、樺太も当然日本領なのだ。(「ある樺太庁電信官の回想:青林堂)
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東大名誉教授の矢作直樹先生が、日本の歴代天皇に機軸を置いた歴史を通じて、日本の歴史を通覧する著作であり、改めて我が国の歴史の偉大さが理解できる。若い方々に気軽に読んでもらいたい一冊である。
UFOを通じて知り合った保江先生は、理論物理学の大家だとは思えない、実に気さくな”語り部”である。
生死の境をさまよう体験を通じ、数々の奇跡も体験しておられる。徳間書店から「ついに、愛の宇宙方程式が説けました」を出版、今回は「祈り」を通じてわが国の神道の「祝詞」が持つ霊力を解説している。祝詞と言い、経文と言い、言霊と言い、この世には摩訶不思議な”霊力”が存在していると、私も常々感じている。
操縦教育では教えられなかったが、あんな、何トンもある鉄の塊が、自在に空中を飛び廻ることが出来る事も不思議でならなかったが、科学と非科学の差とはいったいなんだろうか?と改めて考える毎日である。