軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

世界は大乱の兆し!

わが国が、安倍元総理の「国葬」で意見が分裂して“混乱”している間に、国際情勢は非常に流動的になってきた。

わが国の場合は「何時もの方々による意図的な妨害工作」だから、世界は「コップの中の嵐」程度にしか受け止めていないだろうからそう影響はなかろうが、ロシア、中国、それに米国という「主流国」の“異変”は穏やかではなかろう。

まず現在気になるのは、ウクライナ侵攻で“大失敗”をしたプーチン大統領が、軍務経験者の30万人に「部分的動員令」を発したという記事である。

古来「戦力の逐次投入」は尤も拙劣な戦法だと言われているが、あれだけ“大見えを切った”プーチンがその戦法を取らざるを得ないという状況の変化をどう見るか?ということである。

この表はいささか古く、平成25年度版の「防衛白書」だが、毎年日本国民はこれを見せられて、ロシアは超軍事大国だ!初めから勝てるはずはない!と思い込まされてきた。

しかし今はどうだ。総兵力85万人?だったと言われてきたロシア軍が、どこに”消えたのだ?”

米国の歴史学者であるE・ルトワック氏は、「ウクライナの反攻は成功する」とし、プーチン氏には3つの選択肢しか残されていない、という

そして「いずれにせよ、ウクライナ軍がこのまま快進撃を続けることができれば、いつかはロシアに占領された領土を完全に奪還し、2月24日の侵攻開始前の状態を回復するだろう」と予測する。さてプーチン氏にそれを押し返すだけの戦力が整うのか?

これを日本では「元の木阿弥」「 虻蜂取らず」という。

9月21日に、プーチン大統領は「重要演説」を行い、前々から準備されていた予備役などを「部分的動員」する大統領令に署名したと発表、同時に高給を謳って外国人志願兵を募り、一部の報道は囚人の動員を行っているという。「大祖国戦争」はどこへ行った??

かっては「米国と並ぶ超大国」らしからぬ有様だ!

 

御用新聞などの報道統制で「勝った!勝った!」と思い込まされてきたロシア国民も「様子がおかしい?」ことに気が付き、徴兵忌避が増えているらしい。馬鹿な大将、敵より怖い!ことにロシア国民も気が付き始めたのだろう。

ウクライナ戦争で、どっちつかずのあいまいな態度をとりつつ“漁夫の利”を得ようとしてきた中共政府にも、異変が起きつつあるという。

 

 宮崎正弘の国際情勢解題(26日)によれば、「ネットならびに華字メルマガ、ツィッターなどでの第一報は「サマルカンド出張にでた習の留守を狙った」クーデター未遂があった。このため習は不在中に党長老たちを監視体制に置いたというものでした。宋平(101歳)など監視対象者の名前までだしたので、具体的らしい情報でしたが、その後、こうした雑音は消えています」とある。

残念なのは、このような貴重な情報が、ロシアや中共、そして北朝鮮という専制国内では一般国民にまで行き届かないことだ。

 

ところが問題なのは、トランプ前大統領の標語が「MAGA(Make America Great Again)」から「SAVE AMERICAアメリカを救え!)に代わったと言うことだ。今、米国内では左右二派の熾烈な戦いが起きており、米国内政治は分裂傾向にある。 

 

 更に「AC 論説No.911」によれば、戦争中のロシア同様、 米軍も深刻な兵員不足だという。「米国陸軍の発表によると、今年の入隊応募者は例年の予定の6万人をはるかに下回り、秋になっても3万人も不足しているというから、”唯一?”の同盟国たる日本も安心してばかりはいられまい。

 自衛隊の場合は、創設以来通例的な「人員不足」に悩まされてきていて、雑務は増えるが人は増えないという「体験的実績?」があるから耐えられそうだが、それにしても「頼りにする米軍」が、こんな有様では日米安保はおぼつかない。

それとも、政府は得意とする「軍政民営化」で、民間委託を増やすのかもしれないが、鉄砲の操作もできない素人兵で太刀打ちできるのかな~

確かにITとドローン操作はうまいだろうが。

 

それよりも、まず自民党を筆頭とする「政治家集団」が「わいろを銃に持ち替えて」加勢することが早いだろう!

資金はオリンピック組織委員会に潤沢にあるだろうから、給料は賄えるだろうし…。

 

冗談はさておき、ロシアが苦境に立ち、中国に内乱が起き、そして肝心の米国政治は分裂して混乱したら、ウクライナ戦争どころじゃなくなるだろう。

安全保障担当大臣方、準備は?心構えは?いいでしょうな。

 

 

届いた書籍のご紹介

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

両誌とも、特にコメントはない。

「この人たち、大学で一体何を勉強したのでしょうね~」

「ハプニングの旅」以降、多く寄せられてた読者からのコメントにお答えしておこうと思う。

まず、18日のブログについて、多くのコメントが寄せられた。やはり、生身の人間だから、関心があるのだな~というのが第一印象だが、真面目で真剣な読者が多いのには嬉しくなった。

くまモン様は、私とは違った体験が多い方らしく、大いに勉強させられてきたが、「生命誕生と生命消滅のシステムには、素粒子または電磁波の存在が不可欠」という説には賛同する。友人の「素粒子学者の保江先生」もその説を唱えておられるし、続々と新著を出しておられる。「UFO」関連の友人もその説を唱えているし、私もそうだろうと納得している。つまり「生命とは何か」の話である。その意味でくまモン様の説は納得できる。

川田様の「肉体は滅びても、魂は依然として残っているのだ」と考えることは、日本古来の神道や伝来した仏教が永らく唱えてきたものであり、ほとんどの日本人の心の隅には残っているものであろう。

カントに限らず、洋の東西を問わず先人たちは多くの疑問をもってその解明に取り組んできたのであり、デカルトも「われ思う、故に我あり」と“会得”した。勿論小説家もそうだと思う。人間とは「そうした生き物」である証拠だと言える。

くまモン様は、お忙しそうで一時コメント欄から撤退されるそうだが、お暇ができたらぜひとも戻っていただきたいと思う。

その他非公開を希望される方もいて、東大名誉教授の矢作直樹先生の著書を紹介いただいたが、先生とは以前、講演会で同席したことがある、その後度々話を伺っているし、保江先生との仲間でもある。この方の「体験談」には、納得がいくものが多かった。

要は、生身の人間、常に彼岸のことが気になっているという証しであり、まだまだコメントは続きそうだが期待している。単なる「軍事評論」よりも意義深い。

 

 ところでこのような「人間らしい」感性をどんどん失っていっている今の日本人の“大人たち”には落胆を禁じ得ないが、いい年をして学生時代に何を勉強したのだろうか?と不思議に思う。ダーティな行いで世間を騒がせている「指導者?」の大半が、60~70代の男が多いということは、何か40年前の我が国の社会情勢、教育界の乱れと関係があるのかもしれない。それもほとんど「大企業」の「大幹部」なのだから、後に続く若者たちにいい影響を与えることはない。

“国際的詐欺集団”の某協会のような、似非宗教がわが国に浸透してきているのも大問題である。明らかな「武器」を持った侵攻よりも、この手の「侵攻(信仰?)」の方がよほど始末に悪かろう。しかも何の力もない文科省が担当だというから…

世間を騒がせている統一教会の中心人物らの人相には、血も通っていない、”馬がとろろを食った”様な人相が見え隠れしていて、どこかプーチンに似ているところがある。人を騙して家族を養って食っているとそうなるのかもしれない。

その陰に隠れて世間を騒がせているのは、「金にまつわる」悪徳“大人たち”の暗躍だろう。インターネット上には「五輪汚職の検挙ラッシュ『パクリンピック』本番はこれから。中止シナリオは絶対になかったことが今さら露呈」とジャーナリストの今市太郎氏が、書いている。

ついに新聞も「五輪汚職と大きく書き始めた。「資金受け皿代表は“理事後輩」「2ルート関与取引に利用か」とか、黒帯で書かれた記事の横には、給付金詐欺で「俺は国税職員。大丈夫」だと「立場を悪用し仲間勧誘」とある。

「悪い奴ほどよく眠る」という映画が昔あったが、今じゃ「悪い奴ほど出世する」というべきか?

誇るべき侍の国、日本はどこまで凋落するのだろう?

 

 依然ここに書いたが、私が松島基地司令だった平成6年ごろ、大蔵省のエリート官僚が、こぞって「ノーパンしゃぶしゃぶ」に入り浸ったことが問題になったことがあった。偶々町の散髪屋にいた時、これがTVで報道されたことがあったが、おかみさんが【「司令さん、この人たち4年制の大学を出たのに、何を勉強したのでしょうね?」と肩越しに語りかけた。「私は勉強が好きだったが家庭が貧乏だったので高校に進めず、母が「手に仕事をつけなさい」と理容師学校に入れてくれた。しばらくは高校に進んだ友達から教科書を借りて毎日勉強したものだ。この人たちは、お金の心配もなく、いい学校に入ったのに、何を勉強したのでしょうね~】と慨嘆していたことが忘れられない。

「おかみさん、こんな例を‟高学歴無教養”というのですよ」と答えるのが精いっぱいだったことを思い出す。考えてみれば、あれから30年。あのころの“ヒラメ”官僚たちが年功序列で出世して、ここ数年役所や企業のトップになり、世間を動かしていたのじゃないか?と思う以外ない。

いい学校に入っても、問題は本人次第だ! ワルはいつまでたっても“悪”なのだ。

 

 今日は秋の彼岸。平川祐弘東大名誉教授が「お彼岸に『美しい死』を考える」という一文を書いていた。体験した「ラスト・ドライブ」を思い出す。一部前に戻る部分もあるが、ここでご紹介しておこうと思う。

 

 

 

ウクライナ戦争の先は見えている!

「軍事評論家」と名乗っている以上、軍事関連の記事を期待しておられる方が多いのは当然だろう。しかし私としては、ウクライナ戦争に意見を言う立場にはないから、「静観」しているだけである。

だがこの戦争が、ロシアのプーチンの誤った判断で始まったことは事実であり、しかも「予想以上に」ロシア軍が弱体だったことを世界中に公表してしまったのだから、今更プーチンが何とか“弁解”しようとしても、情勢は変わるまい。

 

私は幹部学校卒業直後の3空佐時代に外務省国連局軍縮室(当時)に出向させられ、途方にくれたことがあった。戦闘機部隊の隊長こそがパイロットの“華”であり、外交などに興味はなかったからである。しかし、外務省に出てみて驚いた。

ここは全く「軍事無視?」の組織で、関心はあるものの実体験ができぬまま、あたら優秀な頭脳を損耗?させられている外交官が多かったからである。

「外交と軍事は車輪の両輪」だと固く信じてきていた私としては、車輪の一つは右に回り、方やもう一方は左に回るばかりで、全く前進しようとしない「国家組織」の有様に驚いたのである。もちろん「防衛庁」もそれに類した組織であることがよく分かった。

しかし“派遣?”された以上、己の信念を貫く以外にはない。礼を失しない範囲で、上司には直言した。その後国連局長からは機会あるごとに部屋に呼ばれて「進言」することがあったが、彼らは旧軍時代の「幹部候補生」であったり、旧陸士の未卒業生であった。

時には事務次官から呼ばれたこともあったが、こんなことは「役所」では珍しいものだったようだが、外務省はその点で「さばけて」いたように思う。

防衛庁でも「区別することなく」進言した。ファントム問題で行き詰っている国会担当の「防衛課長」に呼ばれてファンとム機の特性について深夜まで解説したこともあった。しかしこんなことは当時の防衛庁としては例外だったろう。

一般的に「制服組」は“従順”であり、口答えするはずはなかったからである。その点では「栗栖弘臣」統幕議長は例外だと言えた。バ◎の一つ覚えのようにメディアが「シビリアン・コントロール違反だ!」叫び、同調する野党(夜盗)が制服を国会で個人攻撃させて「首を取る」のが実態だったから、「モノ言えば唇寒し…」の状態が続いていたからである。

しかし、栗栖陸将は物怖じすることなく、堂々と新聞に対しても意見を述べたから尊敬していた。

これでなけりゃ部下はついてこない。部下は「上司を見抜く」ことは得意であり、すぐ人柄まで見抜く。つまり「この上司についていっても大丈夫だろうか?」という「生き残り」本能に近いものである。

まだ“自衛隊”は本格的戦闘場面に遭遇していないが、それでも災害派遣や3・11などの実行動で、素早く見抜いているのである。「馬鹿な将軍敵より怖い」というのは旧軍時代からの“実話”である。

この体験から今のロシア軍の内部事情を推察してみると、プーチン「お山の大将」であり、「裸の大様」に過ぎないことがよく分かる。世界は意図的な報道?に騙されているのである。

 

外務省時代、私は旧軍人で構成された「調査部」で、中佐クラスで”転換”して勤務しておられた方々から、当時のソ連の実態についてよく講義を受けたものだ。それは私がSALT(米ソ間の戦略兵器制限交渉)を担当していたからでもあった。(その一部は「国際軍事関係論(かや書房)」に書いておいた)

そしてやがてソ連は解体し、今のロシアに編成替え?されたが、中でも優秀で近代的だったウクライナなどがソ連から脱退したことからもわかるように、独立国家共同体(CIS)という多国間組織では、本来のバルト3国や旧ワルシャワ条約機構のほとんどがUSSRから脱落、脱出?してNATOに加盟したから「骨粗しょう症」が起きていた。ウクライナもこれらの国と同調する決意を示していたのであるから、ウクライナ戦争は起こるべくして起きたのだといえる。

当時の旧軍人たちで構成された「調査部」は旧満州時代からの延々たる情報を蓄積していたから、3佐の私には宝の山だった。しかも幹部学校出たてだったから知識欲旺盛であった。

その後、ソ連同様、わが‟お役所”も世代交代が進んでいて、ほとんどが「軍事抜き判断」にさらされるようになった。

今の「政府」が弱体なのはそんな経緯もあると思っている。何のことはない、プーチンも同じ‟悩み”を抱えているのであろう。

 

おそらくウクライナから反撃されて“焦っている”であろうプーチンは、第二のチュルノブイリ事故を演出して、世界に“恐怖を与えよう”とするだろうが、自らもその被害に遭うことは“想定外”なのだろう。

とにかく、今の戦況を見ていると、ウクライナに供給されいている「欧米諸国」からの小型最新兵器の威力を無視してはなるまい。

大陸国家は陸軍=「戦車戦」にこだわり続け、改革は非常に遅れやすい。それは指揮者の頭が古いからだ。この戦場では、欧米側は、相当な戦訓を得ているに違いない。もちろん我が国も同じ大陸国家である中共軍の装備と戦法に注目しておく必要がある。

 

今日は「ハプニングの旅」以降、多く寄せられている読者からのコメントを読んでいて、少しそれにお答えしようかと思ったが、またの機会にしておこう。

ただし、私は平成24年4月に、「不思議な現象」を取りまとめた本を出版しているのでご紹介しておきたい。哲学的ではないが、現役時代に「体験した」「超科学現象」の集大成である。(続編は今のところ考えていない(笑い)

 

(帯の内容)

森羅万象には「人類の理解を拒む領域がある」

先日のブログに、家内の一周忌で東北地方を旅した体験記を書いたが、一読者から「死んでしまえばすべて終わりだ」という厳しい感想が届いた。

 

「私は死んだら敗けと考えています。人間、死んだら終わりだと考えます。」というのだが、確かに「肉体が破壊されて、消滅し、土に戻るのだから」、それを「終わりだ」といえるだろう。

しかし、それだけではないような気がする。古来「高僧が説いたように」魂はどうなるのだろう?と思うのである。

魂…というか「精神」というか、肉体以外にある「何か」である。一般的に近代科学者は否定するようだが、その彼らにしても、どうしても「方程式」の合致しないものはあるだろう。すべて「科学」で割り切れないから、この世には摩訶不思議な現象もあり、解明できないものもあり、だから人間はそれに「挑戦」し続けるのだと思う。

 

「気の迷いや妄想。人間ですから誰にも在ります。」といわれるものの、本当に“それが”「気の迷い」なのか、「誰にでもあるのか」は証明できない。だからこの世は不思議でもあり、面白い?のだと思う。

 

確かに今回の私の“個人的”な体験は、「気の迷い」かもしれないし、「誰だって体験できるもの」かもしれないが、それにしてはあまりにも“偶然”が重なったと思う。

さらにエリザベス女王逝去の際、ロンドンのパッキンガム宮殿に二重の虹がかかった!と世界が驚いたが、実は昨年秋の「納骨の義」が終わって、雨が上がった時にお墓に虹がかかっていたのを、息子がスマホで撮影していた。「ラスト・ドライブ」を見終わった後である。

そして今回のロンドンでの現象で思い出したのだが、これも「偶然だった」のかもしれないが、では「偶然と必然」はどう違うのか?

この世に「偶然はない」という高僧もいる。

 

しかし、確かに「死んでしまえばそれっきり」というのは少し寂しい。「生きていてほしい」という思いが高じて、気に迷いが生じているのかもしれないが、私には「肉体」と「魂(精神)」の分離=死ではないか?と思われる。肉体は滅びても、魂は依然として残っているのだ、と思いたい。靖国神社には、あまたの霊魂が”漂って”いる。

まだ俄かには死なないようだから、改めて考察してみたいと思っているが・・・

 

ところで我が国には、かってない猛烈な勢いの台風が接近していて、今夜にも九州に上陸するらしい。その上北や南で地震が続いている。わが国土は天から見ると、相当穢れているのだろう。洗い浄めて欲しいものだが・・・

それにしても60~70代の男どもの乱れ方は尋常じゃないように思う。「呪われたオリンピック」どころか、「穢れ切ったオリンピック」になり下がったようだが、それにしてもそんなことが許されるとは、お天道様はどうなっているのだろう?と怪訝に思う。

それも当事者は“お金持ち”で何不自由ない方々ばかりなのには驚く以外にない!そんなに「汚れきった金銭」を地獄に持ち込まないと気が済まないのだろうか?いやはや呆れてものも言えない。

9月4日の産経抄氏は、「今この惑星で起きていること」という著書をあげて、「四季の巡り」は、わが国の情味豊かな言葉をはぐくんできたが、今我々が直面しているのは「風土の危機」「心の危機」なのかもしれない」と指摘した。

 

私にとっては、そんな「細やかな」危機ではないと思っている。これも「気の迷い」であってほしいものだが、森羅万象には「人類の理解を拒む領域がある」らしいから希望的観測はできないだろうが・・・

国の護りは大丈夫なのか?

統一教会がらみの“事件”は、自民党の「アンケート調査」で、ますます国民に疑惑を招く結果となった。岸田総理も意外だったろうが、それほど自民党内の規律が乱れていることの証明になったようだ。うまいこと、“敵失”にかまけて野党も頬被りしたままだが、国民の目はごまかせまい。

 

今朝の産経に、乾正人論説委員が、こう書いている。

そう、日本人は基本的に正直でお人好しなのだ。

靖国会館で国防問題を講演していたころ、私は締めくくりに必ず「お人好し日本人よ、早く目を覚ませ!!」と檄を飛ばしてきたが、乾記者は「(日本の)信者は真面目すぎる」という。

物事の基本を知ろうともしない者は、「真面目」というよりは「不勉強だ」というべきだろう。せっかく親から「頭」をつけてもらっているのに中身が空っぽのようだ…

 

先日、韓国在の黒田記者は「日本人がなぜ信者に?」とこう書いている。

つまり韓国メディアが認めているように“韓国人”に「日本の信者は日本がこれまで犯した罪を償うため韓国に献金しなければならないという名目で搾取されてきた」のである。北朝鮮拉致問題もそれに類する。日本国内では“見向きもされない”意見も、韓国で反日を唱えると「もてはやされる」から、有名人気取りなのだ。実は陰で笑われて利用されているにもかかわらず、それは見ないふりをする。そろそろ日本人は大人になったらどうだ!

 

東大の島薗教授は「宗教のグレーゾーン 線引きを」と次のように書いた。

つまり「宗教法人というある種の特権(免税措置)を無条件に保持させてきた」とし「違法行為や人権侵害」を行っている点を挙げ、「カルトの定義づけ」をして解散命令をするよう助言しているが全く同感である。

今まで「利益」を得てきた政治家らも、今後一切かかわらない?!と宣言?している以上、統一教会の存在意義は消え失せるだろうから、こんな詐欺集団には一日も早く解散命令を出して、韓国に引き上げてもらい多くの「お人好し日本人」を救うことだ。何が「家庭を救う!」教義だ!虫唾が走る。

 

さて、この2月にロシアがウクライナに侵攻して、半年以上が過ぎた。プーチン大統領の「見積」が大きく狂って、今やウクライナ軍の反攻が開始され、戦争は大詰めを迎えつつある。それにしてもゼレンスキー大統領は実にタフだ!国民も良く耐えている。

私はこの戦争を見ていて、まるで第二次世界大戦時のソ連軍を思い出す。この時は、米国から多大な軍事支援と援助を得て、何とか持ちこたえたが、本来この軍隊は、規律が悪く「相手が抵抗しないとき」には果敢に?攻撃する癖がある。

かっての日本もそうだった。終戦となり、停戦命令が出た日本軍に、自らは不可侵条約を一方的に破って攻め込み、やりたい放題だった。北方4島は、まだ米軍が進駐していない!とみて「空き巣」のように奪取した。

ヒトラーに立ち向かったのは、強大な欧米連合軍が西から進撃してきたからである。さらにドイツ軍の内部崩壊が始まり、そこに冬将軍が到来して窮地を脱したのだ。

 

今、ウクライナ軍には欧米からの支援と、情報戦で有利なことから世界的な支持と応援が寄せられている。何よりも、自国民の強固な愛国心と兵士の戦闘意欲が旺盛であることが支えになっている。

もともと強がりだけの情報員上がりのプーチンによる、粗末な軍事的指揮法はそろそろ破綻するのじゃないか? 軍隊も、兵器を並べたパレードは上手だが・・・要は”こけおどしがうまい軍隊”なのだ。

 

アジア方面の危機に立ち向かうべきわが日本国は、元総理が最高指揮官だったからとはいえ、国葬などで「空砲」を打っている場合じゃないように思うのだが・・・

大きな国際的変化が読めない指導者は、せいぜい似非宗教問題に振り回されるのが落ちなのだろう。

 

 

 

”放置国家”から脱却せよ!

世界は激動し始めている。

先日亡くなった旧ソ連ゴルバチョフ氏に続いて、8日には英女王エリザベス2世が逝去された。女王の「長い治世は、王位と国民に人生を捧げるというその強い義務感と決意が結実したものだった」とBBCは讃えた。女王は滞在先の英北部スコットランド・バルモラル城で亡くなられたが、訃報の後、「住まいのバッキンガム宮殿上空には、二重の虹がかかった」と世界中で話題になっている

昭和天皇が初の訪米をなさったとき、天気が良くなり「天皇ばれ」の異名をとったことがあったが、やはり天と地、人との間には何か連携するものがあるのだろう

 竹田恒泰氏はこのニュースを引用しつつ、「直後に虹とは! キリスト教では、人は命が尽きると神の元に旅立つと考えます。神はエリザベス女王の人生を讃えているように思います」「悲しくも美しい虹ですね。哀悼の意を表します」と悼んだ。

 

 女王は第2次大戦終了後の1952年に即位され、英国史で最も長い70年にわたって君主を務められたが、激動の時期を象徴する人物の1人だと言える。

BBCは【イギリスの影響力が低下して社会が様変わりし、王室の役割そのものが疑問視される中、女王は多くの人にとって、急速に変化する世界の中で唯一変わらない定点のような存在だった】と解説したが、並の政治家にはできない存在だったことは確かだろう。ゆっくりお休みいただきたいものである。

ところで、我が国の政治状況は、このところ末期的症状を呈している。反対派が気勢を上げている「国葬」問題も、もとはと言えば、自民党自らが招いた汚点であり、弁解の余地はあるまい。

野党側はここぞ!とばかりに政府を追い詰めているやに見えるが、同じ穴の狢、如何にこの国が法治国家」ならぬ「放置国家」であったことかと、寒気がする。

 

統一教会関連にかかわった議員各位の言葉を聞いていると、こんな“不用心でいい加減な先生方”に我々国民の生命と財産を、安心して託しておけないことを痛感する

選挙に落ちれば「ダダのおっさん」だから、選挙目当てに「南極ダボハゼ」のように何にでも食らいつくことはある程度やむをえまいが、それにしても「不用心」すぎはしないか?

もともと彼らには「倫理観が欠如」しているのだから、日本の政治家を狙う組織にとってはやりやすかろう。しかも、今や“救世主?”でもあったかのような評価に包まれている安倍元総理は、2021年9月に旧統一教会の友好団体「天宙平和連合」のイベントにビデオメッセージを寄せていて、これを見た山上徹也容疑者は「殺害を決意した」と供述しているというから自民党も苦しかろう。それでアンケートから外したのかもしれないが・・・

この“テロ事件”をやすやすと許した警察は、今頃谷国家公安委員長が「緊張感をもって警護を見直す」などとのたまった。要するにわが国家組織は、ユルユルの状態で、自衛隊式に表現すれば「たるみ切って」いるのである。その根幹には「国家国民に尽くす」という理念が欠落しているのだ。安倍氏のあの時の警護を見ていればそうとしか言えまい。つまり常に上から下まで「緊張感」が欠けていたのである。

五輪元理事のように、金のにおいには敏感らしいが、やはりここにも元総理が絡んでいた!

ところで、外国生まれの「反日教団」というより詐欺師集団の存在を、日本国憲法が「宗教の自由」という名のもとに保護しているかのようにメディアは報道しているが、少しおかしいのではないか?

あのような「似非宗教活動」をしている”詐欺師集団”が憲法で保護されていいはずはない。これも”審査”がずさんだったから「法人」にのし上がったのだ!

以前、オウム問題が取りざたされていた時、私はある方から「これは宗教活動ではない。国家転覆テロ集団だ!」と指摘されたことがあった。その後の展開でそれが明らかになったが、この時も対応が後手後手に回って、サリン事件では多くの被害者を出したではないか!要するに「放置した」のだ。

全く政府は「教訓に学んでいない!」これを「放置国家だ!」と私は呼んできた。なんで”犯罪行為”が明らかな集団を、人権とか憲法という名のもとに放置するのだ?なんでそんなに「および腰」なのだ?

ところで今日の産経に、優秀な後輩である潮匡人氏が「解散命令、粛々と適用検討を」と題してこう書いている。

今更「国葬」を変更することは世界に恥をさらすようなものだからできまいが、エリザベス女王との比較はできないまでも、国威発揚ならぬ、国威凋落にならぬよう努力してほしいと思う。

そして、ついでだとは言わないが、憲法上も問題がある、「某与党」とある宗教団体「学会」との不明朗な関係も一日も早く清算してほしいものだ。むしろその方を真面目な国民も自民党員も熱望しているのじゃないか?

そうだ。この政党と選挙時における票の「貸し借り問題」はどうなのだろう?だれか公表してほしいものだ。

その方も‟統一教会問題のついでに”清算してもらうと国民としては有難いと思うのだが、どうだろう?。

いい機会だからぜひお願いしたいと思う!

 

届いた書籍のご紹介

================

 

 

 

 

今回は両誌に関する論評は省略する。

ハプニング続きの「法要」の旅

8月末から東北に、家内と次男の一周忌法要のため長男と出かけてきた。今日は「法要の旅」で起きた体験談である。

コロナ禍で行動ができなかった昨年は、11月末にようやく納骨することができたのだが、この時も式が終わって宿に一泊した時、前日は疲労困憊で温泉も浴びることなく、寝込んでしまったので、朝ぶろを浴びて部屋に戻ると、寝室のTVが付いていた。だれもつけていなかったから、実に不思議な現象だったが、前に泊まった客が、スイッチ操作を忘れていたのだろう?などと思ったのだが、放映されている内容を見て驚いた。

2017年にNHKで放映された「死を直前にして人生最後の旅に出る人と、その旅を支えるスタッフを取り上げたドイツのドキュメンタリー番組」だが、番組名は「ラストドライブ」と言った。

ターミナルケアを受ける患者が、最後に行きたいと希望する場所に、医療従事経験のあるスタッフとボランティアが人生最後の旅のプランを作り、「願いの車」に乗せて連れて行くという、ヨーロッパで始まったボランティアサポートの話だが、私たちも偶々東京から、家内の骨箱を後席に安置して、東北にドライブしてきて、ようやく納骨できたときだったから、おもわず番組に釘付けになった。

番組で「ラストドライブの乗客」となったのはホスピスに入所している「亡き主人と行った思い出の海をもう一度訪ねたい」という80代の女性だったが、家内の‟骨壺”ドライブにそっくりだと気が付いたのである。

帰京後にこの番組を調べてみたが、DVDは見つからなかった。しかし、インターネットに「死を目前にして、最後の願いを叶えてくれる「ラストドライブ」として紹介している記事を見つけた。そしてそこには

【当たり前のことですが、死の時期は選べないということ。

そして、亡くなる時に美しい思い出をたくさん持って死にたいということ。

願い事は、死の直前まで放ったらかしにせず、可能であれば元気なうちに叶えておきたいということです】と解説してあった。

私の場合、妻はすでに骨箱に入っていたから、ストーリーは変わってくるが、「ラスト・ドライブ」であることに変わりはない。

この時は「ホテルのTVを通じた妻からのメッセージだ」と感じたが、今回もまた家内からの“メッセージ”が届いたことを痛感した。

それは菩提寺に向かうために何時も通る国道399号線の阿武隈川にかかる大きな橋が、この春の地震で壊れて通行止めになっていたため、回り道してやっと菩提寺についたのだが、住職の案内で本堂に入ると、本堂内部も壁が落ちるなど地震の被害がすごい。

3・11の被害を修復したばかりなのに「また次が来るだろうから修復していない」との住職の解説を受けて着座すると、住職が読経を始める合図の鐘をたたいた。時計を見るとなんと「昨年夏、しかも私の82歳の誕生日に医者に家内の臨終」を告げられた同時刻だったから鳥肌が立った!。

 

一連の行事を終えて家内と楽しんだなつかしい秋保温泉まで足を延ばし、宿で夕食をとったのだが、息子と「お疲れさま!」とサカヅキを交わそうとした途端、今度は家内が昔から大好きだった映画「バグダッド・カフェ」の主題歌「コーリング・ユウ―」が流れ出した!。何という偶然か!と、二人で“固まった!”

I am calling you(can't you hear me)
I am calling you

あなたを呼んでる(しかし届かない)あなたを呼でいます。)

という内容の歌詞だ!

前回の「ラスト・ドライブ」と言い、今回の「コーリング・ユウー」と言い、不思議な“現象”は確かにある。ただ、受け取る側が受け取らない(或いは出来ない)だけなのだ!要するに「チャンネルが違うのだ」と確信した。まだまだ不思議な現象を感じた旅だったが、UFO現象にしても、見えない者には見えないのであり、チャンネルが合った者だけにはその意思が伝わるのだ!と確信した。

 

しかし、世の中には「見ざる、聞かざる、言わざる」の人が多いし、「見れども見えず、聞けども聞こえず」のまま大人??になった”有力者”が目につきすぎる。

人生を無駄に過ごしている“若者たち”も多すぎる! 早く「スターチャイルド」と入れ替わらないといけないな~と痛感する。

そのせいか知らないが、天候も不順だし、地震も頻発しているようだ。

ふと、「あの世」から見た「現世」はどんなものだろうか?と家内に尋ねたい気がした。