軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

中国漫遊記5 「討議その3」

11時50分から開始された討議は実に活発であった。発言者に対してそれぞれ質問が集中したが、陳上級大佐は「軍人同志の交流が必要である」と前置きして、主として金田氏の「中国の軍事拡張論」に対し、 1、 地政学的角度から見て、不同意である。それでは全体…

閑話休題

昨日は新宿区の学習院女子大学で行われた、安保問題に関するシンポジウムに参加した。立派な会場であったが、女の園での「安保シンポ」は、なじみにくかったようで、百名前後の参加者であった。修学院という勉強会のNPO資格取得記念集会だった事もあり、…

中国漫遊記 4 「中国社会科学院との会議その2」

続いて、姚文礼・日本研究所対外関係研究室員が、「中日関係における台湾問題」について意見を述べた。台湾問題の本質は「内政の結果である」と強調、日中関係を構築する柱であるとして、「経済問題」「日中間の政治的安定」「台湾領土の戦い」についてペーパーを「朗読…

中国漫遊記 3 「中国社会科学院日本研究所との会議」

11月16日(水)、0700に起床して窓から外を見ると、東の方に昇りかけた太陽がスモッグに霞んでいる。朝食はバイキング方式だが、ヌードルの入ったスープはうまいが、後は実に「質素」、白人客もちらほらだがコーヒーサーヴィスはないので手持ち無沙汰のように見…

中国漫遊記 2

CA422便は北京空港への着陸態勢に入った。上空から見る大地は実に埃っぽく、相当に濃いスモッグに覆われている。しかしながら、5年前とは打って変わって、眼下に一面に広がる平野はよく区画整理されていて、その中を高速道路が走り、未だに建設中のところも…

中国漫遊記 1

平成17年11月15日、小雨模様の東京都内から始発電車で成田に向かった。AIR CHINA(中国国際航空)CA422便で北京に向かうためである。 岡崎研究所の特別研究員として、平成12年(2000年)に上海、桂林、西安、北京を周回し、上海と北京で「日中安保対話」を実施し…

無事に帰国!

15日から中国大陸に渡り、北京で中国社会科学院日本研空所と、その後蘇州で上海国際問題研究所と「日中安保対話」をして帰りました。 色々と御心配をかけましたが、病気になることもなく、日程を消化できました。 北京も上海も、かなりひどいスモッグで、目…

近況報告

1、多忙に紛れて4日もブログをサボってしまった。「アジアの危機」について講演を依頼され、昨日実施したのだが、絶好の好天、行楽日和なのに、多くの、それも年配の方々がお集まりになり恐縮した。いつも思うことだが、国民は≪防衛・安全保障≫の実態につい…

中共空軍創設秘話 その4

1、 中共空軍の人材巣立つ 1949年10月1日、蒋介石の国民党との内戦に中国共産党の毛沢東が勝利して、中華人民共和国が成立した。この日、北京の天安門広場で毛沢東は閲兵式を行ったが、国民党に反対して八路軍に参加した劉善本師長は、隊長機に乗って飛行編…

中共空軍創設秘話 その3

1、中共空軍創設のための協力を受諾 中国共産党東北局書記・彭真から、空軍創設を要求された林少佐は、少し考えてから次のように回答する。 「第一に我々を捕虜として扱わないこと。操縦士を育成するのは極めて特殊で些細なことが命の危険に繋がるから、厳…

中共空軍創設秘話 その2

1、 八路軍(人民解放軍)に投降 卑怯にも日ソ不可侵条約を破ってソ連が突如参戦したことと、日本がポツダム宣言を受諾し降伏したため、関東軍の指揮命令系統は崩壊した。 航空部隊であった林少佐の第4練成飛行隊は、地上戦闘用の武器類は貧弱であった。小銃…

中共空軍創設秘話 その1

反響が大きかったので、林飛行中隊の秘話を書いておこう。参考文献は散逸していて、纏まったものが少ない。そこで私の後輩で、新治毅元防大教授が航空自衛隊の部内誌に発表した文献を抜粋引用しつつご紹介することにしたい。 新治教授は、1997年5月に防衛研…

ニュース所感など

1、航空観閲式見学 10月30日日曜日、百里基地で「航空観閲式」が挙行された。天気予報は雨だったが、曇天の一日、時々日が射す天気となり、主催者は喜んだ。勿論小泉首相が観閲官、上空を観閲飛行する各種航空機を見上げ、飛行展示には時々拍手していた。ブ…