軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

百万件ヒットお礼

今年5月半ばから、恐る恐る「ブログ」なるものを書き始めたところ、昨日で百万件ヒットするという幸運に恵まれた.早速息子が夕食をおごってくれた. 早く「中国漫遊記」を完結したいのだが、原稿が2本入り、1月10日と末までに提出しなければならなくなっ…

驚いた「領事の自殺事件」

26、27日と、東北道を走って墓参りをしてきた.強風と吹雪、マイナス1〜2C℃という、悪条件だったが、無事に行程を終えて帰京した.高速道は、歳暮や正月用品を運送するトラックが行列を作っていた. 帰宅すると息子が夕刊を出して、「外務省の領事が自殺した…

中国漫遊記20「蘇州会議その9」

夏氏の指示でまず私が10分間の制限付で講評したが、テープを起こして再現してみよう。 夏氏「それでは佐藤先生お願いします」 佐藤「夏先生、有難うございます。今日は楊少将と違って『ミサイル』が飛んでこないことを期待しています。(笑い) まず陳元海軍…

講演会終了報告

正論の会主催の講演会は、クリスマスイブだというのに、サンケイプラザの会議室は満席で、鳥取県や、広島県、埼玉県などから駆けつけてくださった方もいて恐縮した.心から感謝申し上げたい. 手違いで、プロジェクターが使えず、折角準備したパワーポイント…

中国漫遊記19「蘇州会議その8」

20日の日曜日は、9時から最終ラウンド「海上安全保障与中日両国的安全合作」が、夏・戦略研究室主任の司会で開かれた。 まず、陳・元海軍大佐が、「海峡の安全について」と題して次のような意見を発表した。 1、 中日共に安全確保は重要である。日本は島国で…

中国漫遊記18「蘇州会議その7」

夕食会は大いに盛り上がった。私のテーブルには軍人が集まったが、公式会議の場では言えない?会話が弾んだ。 潜水艦の領海侵犯事例では、中国海軍はかなり神経を尖らせているらしく、「あの行動は予定外の行動であった」とする意見が大半であった。また、現…

中国漫遊記17「蘇州会議その6」

続いて陳・陸軍大佐が次の様に述べた。 1、 新国防白書の変化について a 1998年から2年毎に白書を発表してきている。 b 2000年には、「台湾独立は戦争である」と明記している。 c 2002年には、中国の国防「安全形勢」 d 2004年には、「4つの変化」を書き、…

中国漫遊記16「蘇州会議その5」

16時25分から、第4セッション「冷戦後中日両国安全戦略的調整」が、楊海軍少将の司会で始まり、まず私が「中国の対外政策に関する疑問」と題して意見を述べた。 報告概要はこのシリーズの最初に掲げたが、通訳つきで20分間しかないので、発言は要点のみに留めざ…

中国漫遊記15「蘇州会議その4」

引き続いて自由討議が行われた。まず楊少将が次のような「補足」説明をした。 1、 軍事費の透明性について a 隠れた軍事費とは、開発費のことではないか? b軍事費の計上の仕方が問題なのであろう。軍事費支出の範囲で大きいのは人件費であり、一人っ子政策の…

中国漫遊記14「蘇州会議その3」

昼食を12時45分で切り上げて、ホテルの傍にある「啓園(俗称・席家花園)」と言う康熙帝ゆかりの公園を見学することになった。あいにくの雨模様の中、一行は傘をさして啓園に向かった。ここ東山賓館は、有名な「太湖」に突き出した半島に設けられている広大な…

靖国問題。小泉首相、前原代表の意見を支持する

今朝の産経新聞に、小泉首相が、東南アジア諸国連合との会議で「中国の靖国外交『理解できぬ』」と発言した事が報じられた。又、民主党の前原代表が、中国で「中国の軍拡路線を『現実的脅威』と発言」したため、胡錦濤主席との会談がお流れになったことも報じ…

中国漫遊記13「蘇州会議その2」

10分間の休憩の後、11時から討議が始まった。ここでは中国側の発言を中心に記録する。 夏・戦略研究室主任は、主として潮氏の発表に対して次のような質問をした。 (1) 東京裁判に異議申し立てするのはいかがなものか?何故ならば第2次世界大戦の力が勝った事…

中国漫遊記12「蘇州での会議その1」

11月19日土曜日、上海国際問題研究所との会議が始まった。中国側の会議出席者は次の通りである。 楊 毅・中国人民解放軍国防大学戦略研究所長(海軍少将) 陳光蒞・同 海軍軍事学術研究所高級研究員(退役海軍大佐) 陳 舟・同 軍事科学院戦略研究部高級研究員(陸…

コメントお礼とお知らせ

今朝の産経新聞の、中国に関する次の記事が目を引いた. 1、「東シナ海ガス田」で、パイプラインが完成し「生産体制が整った」というもの. 2、「一人っ子政策」で、「2人目以降は金次第」、つまり社会的歪みが生じ始めたというもの. 次回から、上海での…

中国漫遊記11「上海へ飛ぶ」

18日は7時に起床して朝食をとった。食堂で合席した食欲旺盛な人民解放軍兵士?(名札には『集中・・・・HQ4032』とあった)がゆで卵や饅頭を食べながら、フリーハンドでスープを啜る「マナー欠如ぶり」に食欲が減退したこと、外国人観光団らしい婦人たちが、コー…

中国漫遊記10「盧溝橋・抗日記念館にて」

午後1時半にホテルを出て盧溝橋に向かった。盧溝橋は、北京市中心部から南西に直線距離にして約15Kmのところを流れている「永定河」にかかる由緒ある橋である。1192年に完成した石の橋で、通称「マルコポーロ橋」とも呼ばれている。全長約260m、幅は約9m、欄…

北京会議の総括(所感)

北京訪問は5年ぶりであった。市内の一部を見た限りにおいては、確かに人民の暮らしは向上している。経済発展が著しいのは事実であろうが、それが大陸の一部に過ぎないことは彼らが言ったとおりだと思われる。 今や市内各所で「飼い犬を散歩させる」風景が定…

中国漫遊記9「討議その7」

最後に呉懐中・同じく「助理」が「東アジア共同体・・・中国とのかかわりを中心に」と題して、次のような「研究発表」をした。 (1) 日中は「ダブルエンジン」の働きをする事が出来るか?日本側の戦略が不明瞭で、躊躇している様に見える。 (2) 日本は本気で共同体構想に…

浜松航空祭

土曜、日曜と、浜松の航空祭に行ってきた.天候が危ぶまれたが、気温は低かったものの、奇跡的な天候に恵まれ、ブルーインパルスが浜松の空を舞った.着陸とほぼ同時に雨が降り出し、まさに間一髪だったが、大勢の市民は大喜びであった.家族づれが多く、子…

中国漫遊記8「討議その6」

17日、空模様は濃いスモッグで変わらない。朝食時に、人民解放軍兵士の制服を着た男と合席になったが、その食欲の旺盛なこと、皿に山盛りの「饅頭」を二皿、3回ほど料理を取りに席を立ったが、スープを音を立てて飲むのに閉口した。しかも両手で饅頭をむしり…

中国漫遊記7「討議その5」

10分遅れの16時20分から、第3セッション「日本政局と中日の政治関係」が開始された。司会は張季風氏と阿久津氏が担当した。 まず日本研究所政治研究室副主任の王屏女史が、「日本政界の再編及び中日政治関係に対しての影響」と題して、パワーポイントを使用…

中国漫遊記6「討議その4」

13時45分から第2セッション「中日経済関係と民間交流」が始まった。司会者は王偉・中国社会科学院日本研究所文化研究室主任と川村団長が勤めた。 まず張進山・副所長が、「中日間の民間交流」について、日中間は「政冷経熱」であるが不信感の解消を希望するとして大…