軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

国民は知りたがっている!

3日土曜日は、千葉県の山奥にある『養老渓谷』の旅館で,小さな集会の講演会に呼ばれて話をしてきた.日本の心を育む会(仮称)と言い,今日が第1回の会合だと言う事で,結成大会?終了後の1時間30分,周辺情勢について話しをした。30名を越える熱心な方々の集まりで、県会議員や、元校長先生など、中堅企業を中心とした健全なグループだとお見受けしたが,夕食会は『質疑応答』,その後宿泊する方々10人ほどで部屋に戻り延々と我国の将来についての意見交換が続いた.気がついたら午前1時半,漸く討論会を中止して就寝,早朝は露天風呂で続きが始まった.
こんな『研究会』は初めてだったが,私にとっても得る所が多かった.
大まかに言うと,情報に対する不信感が強く「既成のメディアの情報は、最近のNHKや朝日問題で証明されたように,信じられない事が分かった.当然過去の大戦に関する情報も疑わざるを得ない.教科書もあの有様,信じられる情報を求めた結果,チャンネル「桜」が,一番『生』の情報を伝えている,と信じるにいたった.この日集まった殆どの方々が,いわば「チャンネル『桜』応援団!」だったのである.地方自治体の「危険認識度」や,中国との取引上の「危険度」など,実際に経験した方々からの体験談は,実に貴重だった.今回は紙数が無いから省略するが,「田舎」と言っては失礼だが,地方の方々の多くが,日本の将来に関して危機感を持っている事がよく分かった.4日の日曜日は,代表役を務められた,地元企業社長の好意で,周辺名所巡りをしたが,復元された大多喜城見学では,地元の歴史に実に博識なのに感心させられたが、何よりも自分が育った地元に誇りを持っている姿に感心した.ちなみに趣味は絵画で油絵を描き,音楽はクラシックだと言う.自分の先祖,育った地方の文化に誇りを持ち,後進達に語り継いでいこうという,その心意気に感動した.このグループの「日本の心を育む会」という名称に納得が出来た次第であった.

  • ところで,深夜の『討論会?』で,大陸との関係が深まりすぎると,日本にとって決して良い事は無い、と言う参加者の実体験に基づいた話しの後に,私はこう言った.

「一般的に深く認識されている事だが,大東亞戦争の例に待つまでも無く,我国が大陸に『進出』し,「深い関係」になればなるほど,我が国力は吸い取られ,結果として8月15日を迎える事になる.つまり一文無しになって,四つの島国に舞い戻る事になる.この事は多くの人たちから説かれている「真理?」だが,まだ日本人は気づいていない.中国人の方が気がついて『日中友好は国(日本)を滅ぼす』と警告してくれている中国人作家もいるのに、肝心の日本人がさっぱり気づいていないことはどうかしている.その説が正しい事は「戦後60年の歴史」を見れば良い.終戦後四つの島に引き上げて,満州国や,朝鮮半島、台湾、南洋諸島を放棄、その上ソ連に一方的に樺太北方領土を奪取された結果,巨大な日本国民の『血税』で構築した当時最新鋭の各種インフラは,丸々ソ連支那北朝鮮,韓国に召し上げられ,日本人は「ゼロ」から再出発したが,見事な経済復興を遂げ,GNP世界第2位まで上り詰めた.しかし,昭和47年,日中復興した途端,我国は再び大陸との厄介な問題で,国論が二分される結果を招いた.
そして巨大なODA,つまり血税を投下する事態に陥り,今や靖国問題,教科書問題,更には「核兵器」で脅迫されている.これは何を意味するか?
日中国交回復するまで,つまり大陸と縁が切れていた間は,我国は繁栄に恵まれたが,回復後、つまり大陸に足を踏み入れた途端、経済は低迷し、血税は垂れ流し、内政干渉されてアイデンティティは消滅,国難を抱える結果になっているではないか!アジア共同体構想などは危険この上ない事は,戦後の歴史がはっきりと証明していることに早く気がついて欲しいものである」.
参会者の殆どが賛成してくれたが,我国の政治家達はまだ目が覚めていないように思われる.
選挙関連報道を見る時,大陸に異常なほどに拘る候補者や党首たちがいるが,彼ら彼女等は,本当に近代日本史,そして戦後日本史を勉強したのだろうか?と疑問に思う.
中国人と仕事した多くの体験者は痛いほどそれがわかっていたのだが…

  • さて,3日ほどブログを空けてしまったが,その間私のコメント欄で,伸び伸びとした意見交換が行われていて楽しくなった.いちいち返答は差し上げないが,参考になるので感謝している.

ところで,中共の「抗日戦勝記念日」に関するブログでは,支那大陸と太平洋戦域での軍事費の問題が,yazaemon氏とゼロファイター氏の間で議題になっていたが,私も正確な軍事費については知らない.しかし,平河総研のメルマガで,大東亞戦争についての疑問を調べていて,連載中なのだが,第23回目に書いたけれども,日米開戦の5ヶ月前の7月から,対ソ戦に備えた関東軍の「関特演」に動員された総兵力は,人員約70万人,馬匹約14万頭,航空機約600機(航空燃料を含む)という大軍団であった.しかし,この巨大な戦力は,結局「演習」で終わった為活用される事は無かったのだが,その年の暮れに勃発した日米開戦で始まった太平洋戦域では,大きく足を引っ張る結果になった,と私は分析している.
つまり,文献によると,「関特演」で満州に集積された資材は「逐次南方に転用された」とあるが,終戦時において驚いた事にその約半分が,満州に集積されたままであったと言う.この巨大な戦略物資はその後満州を占領したソ連軍と中共軍の手に渡っているのである.
これはつまり,我国は中国は元よりアメリカと戦争する事なんぞ全く視野の外にあった事を証明するものではなかかったのか?と言うのが私の分析である.
その結果,海軍は太平洋戦域で米国と戦い,陸軍は,巨大な戦略物資を満州に残したまま,東南アジア,南西アジア,フィリピンを始め,太平洋の島々で,全く考えもしなかった戦闘を続けて玉砕していったのである.その原因は,見事なスターリンコミンテルンによる謀略活動が効を奏したのであり,その根底には,国家指導者,特に近衛公の優柔不断と指導力の無さがあったのだと私は考えているのだが、昨今の政戦略状況を見ると,謀略活動と情報戦が激しく展開されているように思えてならない。「二度と過ちを繰り返さない」為にも,特に多くの若い方々に「隠れた史実」について大いに学んでもらいたいものである.