軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

迷走巨人と統帥綱領

  • 今朝の産経抄は、下位低迷の巨人監督に、星野仙一氏が要請されていることを取り上げた。私はプロ野球ファンではないが、小学4年生の時に父と一緒に佐世保市民球場で「巨人・阪神戦」を見て以来、何となく巨人軍の試合を見る癖がついてしまった。それは戦後の娯楽のない時代のことで、赤バットの川上、青田外野手,青バットの大下と言うヒーロー達を間近に見たのが原因だったと思う。当時、水泳の古橋、橋爪。歌手の美空ひばり(チャン)は私にとっては尊敬の的であった。

試合は平日に行われたのだが、バスで一時間かかる相浦町から父と一緒に見に行ったのだから当然学校を「サボった」。PTA副会長の母が「滅多にないチャンス。田舎町最大の行事を見ることは授業以上に教育効果がある」と担任の先生を説得して「休み」を取ってくれたから行けたのである。勿論父は会社の「休暇処置」であった。
その後私は野球部に入り、6年生の時にはピッチャーと外野手を兼ね、市の大会でホームランを打ったが、賞品の「ランニングシャツ」に感激したことを今でも覚えている。
その後、何とはなしに巨人戦を「鑑賞」するようになったのだが、最近は余り関心がない。私は「自衛官」だから、個人プレーよりも「団体の行動」、つまり、部隊の戦力発揮の基盤である「チームの団結心と指揮官の統率力」に関心があるから、申し訳ないが今回の結果は当初から予測できていたからである。産経抄が指摘したように「巨人はこれまで、各チームの4番打者を軒並み金で釣ってきた」が、如何に巨額の予算を使って「大鑑巨砲」を揃えても、指揮官が「相応しく」なければ、戦力は発揮できないからである。

  • 我々が幹部学校で学ぶ原点に「統帥綱領」がある。つまり、各種兵学から体系付けられた「軍事書」で、名著としては統帥綱領,統帥参考,作戦要務令などがある。

統帥綱領は昭和7年に陸軍大学で編纂され、「日本軍の将官及び参謀のために、国軍統帥の大綱を説いたもの」で、作戦遂行の指導書であるから、これを読めば日本軍の戦法や作戦計画が察知されるので、軍事機密とされてきた。その第一章「将帥」には、「統帥の中心たり、原動力たるものは、実に将帥にして、古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負うところ大なり。戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は、将帥が戦敗を自認するによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与えうるものは、実に将帥にあり」とあり、第二項には「将帥の責務は、あらゆる状況を制して、戦勝を獲得するにあり。故に、将帥に欠くべからざるものは、将帥たるの責任感と戦勝に対する信念にして、この責任感と信念とは、その人の性格と普段の研鑚修養とにより生ず。将帥の価値は、その責任感と信念との失われたる瞬間において消滅す」とある。

  • 勿論これらは将軍のみならず、現代においては首相はじめ会社社長、各種指導者に相通ずるものだと思うが、言うは易く行なうは難しい。つまり、根本には上に立つべき個人に、部下の数十倍に及ぶ「自覚と修行」が要求されているからである。「ゴルフ、マージャン、カラオケ」では修行は出来ないのである!

「大鑑巨砲」を強引にそろえさえすれば、つまり「最新鋭の武器さえ与えれば」勝利疑いなし!と判断した者の浅はかさがその根底にあるが、その程度の人物が組織を牛耳ると必ず「破滅」が待っていることは歴史が証明している。何故そんな「独裁者」が発生したかと言えば、これまた周辺に「ゴマすり」が揃い、率直な「意見具申」が出来ない雰囲気になっているからである。私はそういう観点から「愛する巨人軍」を観察してきた。そして予想通り「低迷」した。
独断と偏見だが、指導者以外にも、買われた巨砲の中には「乱れた服装、身なり」、つまり健全であるべきスポーツマンとしてのある一定の容貌に反する出で立ちで出場し、ただ棒を振り回しているだけの者が目立ち、そこには何等の「精神性」が感じられなかった。
従って「愛する巨人軍の低迷」は当然の成り行きであった。

  • 昨日は、中国など、周辺諸国の軍事力増強についてのコメントを求められたが、私の判断基準は上記の統帥綱領を参考にしているから、中国が強大な核兵器を持ち、ソ連から各種新鋭装備品を導入しているが、それを扱う「軍人の質」に注目している。将帥を見ればおよそその軍隊の能力は推察できる。つまり「巨人軍」観察方式である。人は石垣,人は城なのである.

最近「こけおどし」論文を発表した二人の中国空軍の将軍は、いわば「生粋の軍人」と言うよりも「作家であり、政治局員」であると言うから、本質を突いた発言だとはみなせない。しかも、彼らは人生の大事な時期の10年を「文化大革命という混乱期」で費やしている。勿論油断は出来ないが、我国の防衛力整備、特に国民各位の「国を守る気概」さえ確立していれば、何等恐れるに足りないと言い得る。残念ながら、現在は日本国内の防衛意識が極めて脆弱だから、敵に乗じる機会を与えているのだ、と思っている。
つまり私は、日本国民に「日中関係のみならず、外交問題の殆どが、実は『日本の国内問題』であることに気づいて貰いたい」と思っているのである。