軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

妻の眼から見た自衛隊(その2)

〈空の男達・・・さわやかな男たちのロマン〉
 四十五年三月、浜松への転勤が決まり、新生活のスタートを切った地でもあり、悲しい思い出の地となった築城に別れをつげ浜松へ参りました。
 主人は、第1飛行隊の戦闘機教官として、毎日若い学生さんたちを相手に気の抜けない日々を送っており、毎夕、飛行マスクの跡をつけて帰って参りました。教える主人も真剣ならば、教わる学生さんたちも初めてのジェット戦闘機にそれこそ命をかけての勝負であったことでしょう。
 三方が原官舎に落ち着いてからは、そういう若いパイロットの方たちが次々と遊びに見えるようになり、私も主人から聞く話だけでなく、自分の眼でそういう方たちを観察できたのです。その頃の私は未だ若く、学生さん達と年ごろも同じだったせいもあり、初めて若いパイロット学生にお会いした印象は強烈なもので、それは今まで身近にいた同世代の男性からは受けた事がない異質の、実に新鮮な感動でした。そして彼らに共通して言えることは、皆さんとても朗らかで「眼が生き生きと輝き」実に「さわやか」なことでした。
 都会にいたせいか、私が今まで周りで見た若者達には、世の中を斜に構えてみるような、また、「祖国防衛」、「愛国心」などしかるべき感情を素直に表すことを妙に格好悪がって、わざと虚無的な態度を取ってよしとしている者が目立ち、また例え真面目な若者達であっても、その目の輝きは、パイロット学生達の目の輝きには到底及ばないものでした。
 そうです。彼らには、祖国防衛というはっきりとした「目的意識」があったということ、そして、空中にあってはちょっとしたミスさえも許されない、その事が己を死に至らしめるという「緊張感」、それこそ毎日毎日に命をかけて真剣に取り組んでいる彼らの日常がそこに現れていたのだと思い知りました。
「その日その日が人生である」これは主人の座右の銘ですが、まさに空の男達の真骨頂だと思います。
 また、常々主人は、編隊長たる者は、部下から絶対的信頼を受けるよう、常に自己を研鑽していなくてはいけないのだと申しておりました。「編隊飛行の際、僚機はあくまでもリーダーを信頼し、リーダーから眼を離さずにフライトする。リーダーに対してちょっとした人間的不信でもあれば、恐ろしくて雲の中に共に突っ込むことは出来ないものだ。だからこそ、パイロット同志には、生命をかけた絶対的な信頼感が何よりも大切なのだ」と。
 数年前、アメリカにおいて、アクロバット飛行中の米空軍サンダーバーズチームが、編隊を組んだまま全機地上に激突するという、壮絶な悲劇がありましたが、あの時私は、一人か二人の方くらいは回避できなかったのかしら、とふと漏らした言葉に、主人は「これこそ、空の男達から言わせればまさに見事な悲劇としか言いようはない。編隊精神の極致であり、僚機の誰一人として自分だけ助かろうなどとは考えなかっただろう」と申しましたが、私はその言葉に、まさに、主人達は真剣勝負の世界に生きているのだと、妻でありながらそこまで理解できなかった甘い自分を恥ずかしく思ったことでした。
 そしてまたこの絶対的信頼感こそが、F−86Fジェット戦闘機によるかの有名なアクロバットチーム・ブルーインパルスのすばらしい妙技の数々に華開いていたのでした。
 主人と同じく操縦教官であるブルーインパルスの方々とは、家族ぐるみで親しく御付き合いしましたが、毎年秋になると各地で航空祭が開かれ、そのたびにブルーインパルスのメンバーの方々は、日曜祭日にも拘らず、任務遂行を第一として、愚痴一つこぼさず連日各地に飛ばれました。しかしこの華やかなショーの裏側には、それを支える奥様方の忍耐と努力があるのだと常々頭の下がる思いでした。そして編隊精神は、パイロット同志だけでなく奥様とは勿論、編隊員の家族の方々をも含めた信頼感の上に成り立っている事を知ったのでした。
 浜松や入間でも航空祭の時、出番を待って地上で待機しておられるとき、家族の応援を背に皆で芝生の上で他愛ないボールころがしに興じる姿は、とても子供っぽく、今からあの3次元の大空の世界で妙技を振るわれる、頼もしい男達とは想像も出来ぬものでしたが、一旦編隊長のブリーフィングが始まると、キリッとした空の男に戻り、そこには他を寄せ付けない厳しい雰囲気が漂うのでした。
 このさわやかな「空の男」たちのロマンは、私にはとても言い表せませんが、少なくとも主人を含めた彼らは、皆少年の頃より、この果てしない大空に大きな夢と憧れを持ち続け、そして今自分の好きな飛ぶ事を通じて祖国防衛の任が果たせる事を、限りない喜びとしているのであり、私にはこの男達の世界に羨望を禁じえません。
 かって「神風特攻隊」についてある方が、「彼らは命令によって殺されたのだ、彼らの死は犬死だ」と言っていたのを覚えていますが、果たしてそれは正しく彼らの真情を代弁しているといえるのでしょうか。彼らの世界を知り得ない、生き残った大人たちの勝手な推論に過ぎないのではないでしょうか。
 確かに彼らは「死にたくない」と深刻に考えたと思います。しかし、一昨年福岡で再再度過ごしたとき、主人共々折を見て、知覧、鹿屋など、特攻隊の跡を訪ねて回り、その資料館で死にゆく彼らの遺書の数々を読んだとき、そして若々しい遺影を拝んだとき、私には彼らの汚れのない美しい笑顔と、浜松時代、そして主人が百里の飛行隊長時代、私が接する事ができた若いパイロット達の笑顔とが二重写しになり、きっと私には理解できない何か共通したものが昔も今も変わりなく、飛行機乗りの世界には流れ続けていると感じたのです。そういう世界に身をおいたことのない方々には恐らく想像できないことでしょうが、私は神風特攻隊員たちの純粋な愛国心を信じます。同時に今の若いパイロット達にも、同世代の日本人には無い純粋な愛国心を強く感じます。
 彼らは家族を愛し、空を愛し、互いに信じあいそして好きなフライトをすることによって、限りなくこの祖国防衛に情熱を傾けているのです。
 好きな仕事に一生を捧げる事ができるものだけが知るロマン、これこそ最高の人生といえるのではないでしょうか。例えそれが短いものであっても。
彼らは本当の幸せ者だと思います。

〈終わりに〉
中学三年になる私共の長男は、主人に影響されてか、防大に入りジェットパイロットになる事を今でも夢見ています。母親として少々不安な面もありますが、男の子である以上多少危険でも、本人の希望する人生をおくらせたいと思います。子供には子供の人生があり、「危険だから他の仕事にしなさい」と言うのは親のエゴだと思うからです。私自身が、その危険な仕事を楽しんでいる?主人に嫁いだのですから。
                           終(昭和60年秋)

(注:実は長男は、高校在学中に視力が低下して、泣く泣く他の道へ進みましたが・・・)



昨日の台湾防衛に関するシンポジウムは、雨の中大変盛会だった.自国の独立を願う、台湾の方々の熱気に打たれたが、反面、「平和」な環境に安住している我国の現状が、むしろ奇異に映った.