軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ワインバーガー元米国国務長官死去

レーガン政権時代の国防長官だったキャスパー・ワインバーガー氏が28日亡くなった。
ワインバーガー氏は、米陸軍に入り、太平洋戦線で日本軍と戦った経験を持つ。
氏の功績はなんと言っても1981年から87年の間、レーガン政権下で国防長官を務め、SDIに代表される対ソ軍事戦略を推進し、ついにソ連を崩壊に導くきっかけを作ったことである。現在取りざたされているMD(ミサイル防衛構想)もこの時代に計画されたミサイル防衛計画が基礎となっている。
氏は、特にアジアの防衛に着目し、日本を重視する政策を取り続けた。83年の「国防報告」に、日本は「アジア・太平洋の米前進防衛戦略の要石」と発表し、日米同盟を重要視し、シーレーン防衛などに、日本の積極的な努力を要請、よく来日しては日米関係の強化、日本の「自主」防衛努力を促した。
昭和61年に来日したとき三沢基地を訪問されたが、丁度私が三沢の第3航空団飛行群司令を勤めていたので、アラートハンガーでF−1戦闘機による「スクランブル展示」をしたのだが、パイロットや隊員たちに気さくに笑顔を振り撒き、随行する大勢の日本側「高官たち」の「緊張した無表情さ」に比べて対照的だった事を覚えている。
待機所の説明を終え、スクランブル発進の「デモンストレーション」をするため、ベルのボタンを押してもらったのだが、鳴り響くベルの中、隊員達が一斉に航空機に駆けつけ、見事な連係プレーで、F−1戦闘機が北の空に飛び立っていったのを見届けた氏は、「エクサレント!」と叫んで私に握手を求めてきた。そして「僅か3分40秒しかかかっていない、すばらしい!」と腕時計を示したのである。彼は、ベルのボタンを押すと同時にストップウォッチのボタンも押していたのである。
多くのVIPたちを案内して、スクランブル展示をしてきたが、自ら「計測」した要人にお目にかかったのはたった二人に過ぎなかった。一度は、築城基地の防衛班長時代に、外務省時代に御世話になったO局長ご夫妻をご案内して、デモスクランブルをお見せした事があったが、ボタンを押したご夫人は「無我夢中だった」と興奮気味に語られたが、局長は「佐藤さん、4分しかかかっていません!」と、ワインバーガー氏と同様に腕時計を見せられた事があって感心したものであった。
ストップウォッチで計測する事がどうだ、というわけではない。隊員たちが独楽鼠のように走り回って、「一刻も早く戦場へ!」と緊急発進していくジェット戦闘機の排気と轟音の中、唯呆然とそれを見送る「国民」が多いことは止むを得ないのだが、せめて防衛や外交の第一線に立つ方々は、瞬時に「計測」しようとする動作が起きるても不思議ではないのであって、一般国民と変わらない「興奮ぶり」であることが私は物足りなく感じていたのである。
ソ連を崩壊に導き、冷戦を終結させる原動力となったワインバーガー氏の功績は、世界にとっては偉大なものだが、果たしてわが国にとってはどうだったのだろうか、と思う。
北方の脅威が「消滅した」ことを受けて、ひたすら防衛努力を軽視する風潮が高まったような気がしてならない。三沢基地での、あの真剣な隊員たちの動きの中に、「日本の防衛努力」の一端を見たからこそ氏は「絶賛」したのであろう。
退官後は産経新聞の「正論」欄でも日本人の防衛努力を怠らぬよう警告を発してくれていたが、日本の現状を見たら少なくとも「エクサレント!」とは言ってくれないのではなかろうか?
アジアの安定、日本の防衛に尽力してくれた、ワインバーガー氏のご冥福をお祈りしたい。