軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

戦争責任とは何だ?

連日有益なコメントと、情報(HPなど)のご紹介で、大変勉強になっていてお礼申し上げたい。20日の「中国との付き合い方」などの参考意見も、大いに同意。あんな異常な政権に支配された人民がなんとも気の毒である。

ところで、チャンネル桜のオンデマンド方式については、今朝の産経新聞が取り上げている。地上波の、なんとも低俗な番組から「解放」される一助になればと思う。とにかく現在の地上波放送は、視聴者のレベルを見くびっているように思う。いずれ痛い目にあうことだろう。

日曜日は、9月に上梓される予定の「防衛読本?」の原稿を監修した。既に第5章まで終わり、イラストも面白そうなので、若い方々にぜひご一読いただきたいものである。
著者は、この本が視野に入れている若い読者層の“代表”とも言うべき若者であるから、きっと素直に理解できるだろうと思う。

昨日は、平河町の我々のたまり場で、台湾代表・許世楷(大使)のお話を伺った。台湾のおかれた現状が実によく理解できたが、問題は、それがわが国の安全保障始め、多くの問題に直接影響する、という自覚が日本人に足りないと言うことであろう。
2008年に予定されている総統選挙の結果はどうなるのか?同じ年、その数ヵ月後に始まる北京オリンピックはどうなるのか?
今朝の産経新聞も、モンゴル自治区での発電所建設をめぐる「命令違反」で、地方幹部が大量処罰されてと伝えている。
台湾と大陸間の経済“協力”の実態も、我々日本人の想像を超えるようだから、軍事力の裏づけが無い経済進出の限界が、やがて白日の下にさらされるのではないか?と思った次第。

ところで、靖国参拝問題については、テレビ各社も“惨敗”を認めて?、振り上げた拳の落としどころを探っているようだが、国民はだまされてはいけない。
8月15日の小泉首相参拝を絶対阻止すべく「厳命?」されたのかどうかは知らないが、4月に訪中した日経社長は、特種とも言うべき「会見記」を掲載することなく、突如「富田メモ」なるいかがわしいものを掲載して、先帝陛下を政治利用する愚を犯した。このメモは「第一級資料だ」と、ある歴史学者が公言したが、それならばそうと歴史学者による「真贋」調査結果はもとより、日経は入手経路や、その他報道されなかった残り3枚の日記をもすべて公開して、国民に示すべきであろう。
しかし、そこまでして阻止しようとした「首相参拝」は実行され、何の効果も無かったことが分かると、これまた「撤退作戦」に入っている様に思われる。しかし、そう簡単に「責任逃れ」を国民が許すだろうか?

8月15日、全国戦没者追悼式典で、河野衆院議長は「・・・当時の戦争指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と述べ、いわゆる「A級戦犯」たちの戦争責任を追求した。この国には、「戦争責任」という言葉が、一人歩きしているようだが、言っている本人は理解できているのだろうか?「戦争責任」とは一体なんだろう?
「あの悲惨な戦争を起こした責任者たち」、簡単に言えば「東条首相憎し!」ということに集約されそうだが、彼ひとりに「戦争責任」を押し付けて果たしていいものかどうか。東条首相こそ典型的な「スケープゴート」だと私は思っているのだが、河野議長以下、それを公言している方々は、あの戦争に至るまでの日本政界の実情を当然知っておられるだろう。
対する米国は、フランクリン・ルーズベルト大統領が、規定に反して3選され、国務省でシナ問題・アジア問題を担当していたホーンベックも、この期間を通してその任についていた。シナ大陸に住んでいた牧師の子供として育ち、骨の髄まで「親支反日」であった彼は、一貫して対日政策を遂行していたが、それに反してわが国は、この期間実に13回も内閣が入れ替わり、総理大臣も同一人物が2回以上勤めた者も含めて実に10人が入れ替わり立ち代りその座についていた。勿論そのつど政策も変更される。
最後の最後になって近衛総理は政権を放り出し、先帝陛下の命で東条首相が誕生する。東条首相自身が「青天の霹靂だった」と述懐しているし、宮城を退出した東条首相は、その足で明治神宮を参拝し、靖国の英霊に祈りをささげている。そしてついに昭和16年の「日米開戦」の日を迎えたのだが、おそらくその時点で「敗戦の責任をとる」という彼の決意は固まったことであろう。しかし、「先帝陛下は、日米開戦を回避するために指名されたのだ」と熟知していた彼は、陸軍の猛反対を押し切って、大幅な対米譲歩案(甲、乙)を提示させる。
しかし、米国側の戦略は既に決定されていたから、いかんともなしがたく、ついに開戦に踏み切らざるを得なかったのだ、と私は理解している。
その経緯については、平河総研のHPで、「大東亜戦争の真実を求めて」と題して、毎週書いているが、今、ジョン・アントワープ・マクマリー著、アーサー・ウォルドロン編著、衣川宏訳の「平和はいかに失われたか」を分析中であり、私なりの見解をまとめているところであり、簡単に「戦争責任追及」などと公言する河野議長らは、これら当時の関係者が書き残したメモをよく読んでほしいと思う。そんな「単純な」原因で「戦争が始まった」のではない。少なくともこの戦争を回避できなかった責任を、東条首相始め「A級戦犯」だけに押し付けることはできないと思っている。
私はむしろ「敗戦責任」については、軍事的、国策的に大いに追求すべきであり、その成果を今後の日本の外交・防衛政策に反映させるべきだと考えている。
いずれにしても、いわゆる「A級戦犯」のみならず、「B,C級」をも含めて、ほとんどは「復讐リンチ裁判?」を従容と受け入れて、命を捨てて贖っている。
我々自衛官(だったもの)は、軍事的戦訓を学び、いかに再び同じような過ちを犯さないようにするか、について研究してきたが、その前に、河野氏に代表される「戦争責任追求派」は、自分たちが犯した「犯罪行為」には頬かぶりをしてはいないか?
「従軍」慰安婦や、「残留化学兵器問題」など、時の官房長官として国家に重大な損害を与えた「談話」の責任に付いて、しっかり説明してほしい。
マスコミも、過去の指導者たちの「戦争責任」を追及する暇があったら、自分自身が犯してきた「富田メモの真贋」や、「NHK」と「朝日新聞」間で問題となり、安倍、中川両代議士を貶めようとした「天皇裁判劇放映事例」、教科書誤報事件などなど、身近で、かつ新しい問題の責任を追及する方が先ではないのか?

一方、国民も、8月15日の小泉首相靖国参拝問題で「勝利した」美酒に酔い痴れることなく、これら「小泉・安倍体制を阻止しようとして」外国勢力と協力して、あくなき「反日暴挙」を続けてきた「輩」の「責任」を明確にするよう、継続的に追求すべきであろう。
「和をもって尊し」、「四方の海皆同胞」を信じてきた心優しい日本国民は、喧嘩を好まないし、人皆兄弟だと信じてきた。過去の事件事例についても、「喉元すぎれば・・・」過去の贖罪を忘れて、未来に向けて進もうと努力してきた。しかし、同じ日本人の中に、これらのような、シナ大陸や半島問題の過去に異常にこだわり、しかも既に刑死されて「反論できない方々」を相手に、傲慢非礼な言動を弄する者たちが絶えない以上、70年前の「責任追及」の前に、戦後の、その中でも、ほんの数年前に犯され続けてきた戦後「戦争犯罪」責任者の追及をするべきであろう。彼らの言動があったればこそ、現代日本人がここまで腐りきったのである。河野議長はじめ、多くの「戦争犯罪追求論者」たちに、果たしてその覚悟がおありか否か、伺いたいものである。
彼らが全く信用されないのは、彼らの「自分の罪業は棚に上げて、反論できない英霊を侮辱する卑怯さ」を多くの国民が感じ取っているからである。
まず持って「隗より始めよ」ではないか?