6日、浜松基地を支援する防衛協力団体の連合会が、創立10周年を迎えたので、その記念講演を頼まれて久しぶりに浜松を訪問した。
省昇格と、イラク派遣で自衛隊が国民に支持されるようになったことを一様に喜ぶ雰囲気が漂っていたが、浜松は「航空自衛隊発祥の地」なのである。その裏には、旧陸軍航空隊が、広く市民から親しまれていたこと、遠州地方のあけっぴろげな気風があるのだと思う。私は、浜松基地には基本操縦課程で半年間、続いて戦闘機操縦課程で半年、その後戦闘機操縦教官として4年4ヶ月、さらに航空教育集団司令部幕僚長として1年半勤務したから、通算7年間この地で過ごしたことになる。航空自衛官生活は34年間だったから、実に5分の一を浜松で過ごしたことになる。
現役諸君も多数招かれていて、祝宴ではイラクから帰隊した13人が挨拶に立った。この日の様子は地元「静岡新聞」に、カラー写真入りで次のように報じられた。
「『10周年の節目式典で祝う・浜松防衛団体連合会』
航空自衛隊浜松基地の七つの協力団体で組織する浜松防衛団体連合会(鈴木富士雄会長)の創立十周年記念式典が六日、同市グランドホテル浜松で開かれた。同連合会に所属する自衛隊OBや隊員の家族、支援者ら約百八十人が出席して節目を祝った。 鈴木会長は『基地と地域住民との橋渡し役として活動し、地域との絆は固く太く成長した。今後とも支援や協力をお願いしたい』と挨拶。同基地司令の滝脇博之司令は『今や会員は二千五百人を超える組織になった。この十年間の多大な支援にお礼申し上げます』と述べた。また、同基地出身の自衛隊OBで軍事評論家の佐藤守さんの講演会や、祝賀会でイラク復興支援に携わった同基地の十三人の自衛隊員が紹介された」
祝宴では、先輩方や元教官、同僚の教官、部下たちの元気な姿に接して非常に嬉しかった。このような大きな組織ができる土地柄だけあって、かなりのOBがこの地に永住している。10数年前の事柄が昨日のことのように思い出された一日であった。
翌日、バイキングスタイルの朝食会場は外人たちであふれていた。何か行事でもあったのか?と思っていたのだが、駅までのタクシーの中で運転手に聞くと「工業都市なので20000人の外人がいる。しかし実際はそのほかに15000人くらいの不法滞在者がいるといわれている。ホテルが外人でいっぱいだったのはいつものことである。会社で人事を担当していた自分は、ある時公安と入国管理から呼び出され、ある運転手について聞かれたことがある。彼は大阪出身者だったので大阪で何かあったのかな?と思ったのだが、実は彼は相当以前に不法入国した北朝鮮人であった。彼の話し方も生活態度も全く日本人と変わらなかったから驚いた。これじゃ拉致事件が起きるのも当たり前、国は何もしないのだろうか?心配だ」と言うことであった。
3日ぶりにブログをあけたが、54件ものコメントが寄せられていて、防衛省、自衛官の階級呼称などについて熱い討議が繰り広げられている。次回にでも意見を書きたいが、階級呼称の改正にそんなにお金がかかるとは思えない。安い「士気高揚策だ」と私は思っている。昭和60年、広報室長だったときに「自衛隊独特の用語が難解だから改正せよ」と時の加藤紘一長官から指示が出たので、私は真っ先に「難解な階級呼称改正案」を出したが、内局で「階級は次回以降」と棚上げされてしまった。
一つだけ言っておきたいが、1佐、2尉などと言う奇妙な呼称は、国内でも通用しない!ベレンコが函館に亡命してきたとき、わがマスコミは揃って「ベレンコ中尉」と書き「ベレンコ2尉」とは報じなかった。同様に自衛隊がイラクなどへ出かけると漢字は通用しないから、名刺の裏には「1佐」ではなく「Col.」と英語の階級が書いてある。だから現地に到着するや否や、直ちに外国軍と一緒に活動できるのである。外国軍は世界共通の「大佐」だと思っているし「中尉」だと思っているのである。肝心要の日本人が理解に苦しんでいるが、外国人には完全に通じているのである。唯一つ、彼らは自衛隊の将官の呼称だけが意味不明だと首をかしげる。つまり、准将(星一つ)はなく、いきなり将補(星二つ)になり、将(星三つ)の2階級だけで終わるからである。「星四つがあるではないか」と言うかもしれないが、あれは「幕僚長」と言う役職用であって、幕僚長も「将」である。米軍などでは星が四つだから「大将」と解釈しているが、日本では単なる「将」の一人に過ぎない。こんなところが「おもちゃの兵隊だ」と私が言う所以なのである…。