軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

知識人を“無学の徒”が支配する恐怖!

 最近のニュースには失望させられるが、今朝のテレビでは群馬県伊勢崎市が、市のシンボルとして「観覧車」を建設するという話題が出ていた。ところが市民は全くそれを知らず、しかもすぐそばに「大赤字」を出している遊園地があって、既に観覧車があるというからお笑いである。「夕張市付属」伊勢崎市と改名するが良い。
 担当課長や市長などが画面に出てきたが、共通するのは教養が感じられない顔だったことだ。学生時代に何を勉強していたのだろう?
 それでも伊勢崎市は、はなから無駄だと分かっている施設を、市民の反対を押し切ってまで建設するというから、きっと建設業者が議員の中にいてこの事業計画で一儲けを企んでいるのだろう。それとも皆でキックバックを狙っているのかもしれない。 目黒区では小杉元文部大臣夫人の多額の借金などなど、この国の指導階級?の無教養ぶりはどうにも止まらない感があるが、組織の上に立つ者が、それにふさわしい教養を備えていない場合、ヒトラースターリンを持ち出すまでもなく、支配される側は間違いなく悲劇に陥ることは歴史が証明している。アジアでもポルポト金正日など、実例はいくらでもある。
 ところでたまたま東京台湾の会から小冊子が送られてきた。そのトップに、いわゆる「白色テロ」を体験した台南二高女出身の林月雲さんの手記があったので、少し長くなるがご紹介しておこう。知識人が“無学の徒”に支配された実話である。

「太平洋に面したアジア諸列島のはざまにある小さな芋島(注:台湾)は、常々世紀の風雲に翻弄され、善良な民族の住む里とはかかわりなく、事あるごとに嵐の高波を被るのです。そうして、宿命的な不運の島の数多の知識分子が無残にも尊い命を奪われたのである。ゆえなく拘束され、公平な裁判を受けることもなく悲憤やるかたなき涙を呑みながらあへなく最期を遂げた不運な友人の霊の鎮魂を祈らずにはおれません。
 台南州立台南第二高等女学校21期の私の同窓生たちは、卒業すると直ちに電信局に勤め仕事に励んでいました。戦後の混乱した世相(注:日本軍降伏後に大陸の蒋介石軍が進駐した)の中で、所属課長が思想犯とかで拘束され、処刑されました。続いて部下の全課員が巻き添えになり、同罪として銃殺されました。
 その中の一人、丁窈窕さんは、朗らかで楽天的なお人よしで、ユーモアを愛する明るい性格でした。とても政権転覆を謀るような大それた陰謀に加担するような人ではありませんでした。選りに選って政治犯などとは程遠いその人が銃殺されるとは、とんでもないお門違いであった。彼女は新婚早々で、既に妊娠していたため、一応自宅に戻され、お産が終わるとすぐさま銃殺されました。溢れ出る乳をわが子に与えることもかなわず、胸を押さえつつ死刑台に向かう無念さは如何ばかりかとその胸中を思いやるばかりで、私たち友人は何もしてあげることが出来ませんでした。
 恐ろしいあの時勢の中では、被害者の家族に慰めの言葉をかけようものなら、とばっちりを受け、仲間と見なされかねない状況でした。「一人の真犯人を逃がさないため、百人を誤殺してもやむを得ない」という政府の方針に逆らえません。
≪知識分子の多い台湾人に被害妄想を持った無学の多い権力者達が立ち向かった悲劇と恐怖は恐ろしいことでした。≫
 公務員は三人一組の連帯保証制度に捺印させられ、三人のうち一人でも思想犯とみなされると、三人共々銃殺刑に処せられました。私の家族も例外ではなく、毎日毎日無事に帰宅する主人の顔を見るまでは、安心して食事もろくろく喉を通らない程でした。
 そのころのでたらめな恐怖政治を思い出すにつけ、李登輝総統が打ち立て、手にすることが出来た自由民権は、あの恐怖政治を経験した者にとってはひとしおの有り難さであります。
 生まれたばかりの赤ちゃんを抱えた丁窈窕さんのご主人は、愛妻の墓前で再婚しないと誓ったとの事を聞かされ私たち一同は貰い泣きをしました。
 時の流れは速く、あの暗黒な時代は、ともすると忘れがちになる程民主平和な時代となりましたが、台湾大学、師範大学等の大学生までも巻き添えにし、多くの犠牲者を出したあの遠き日の悲劇が再び起こらないことをひたすら祈らずにはおられません」

 台湾の228事件の悲惨さを日本人の大半は知らないが、これはその一体験談である。大陸から台湾に進駐してきた陳儀将軍率いる国民党軍は、彼らがもっとも得意とする“南京虐殺”をそのまま台湾で実行したのである。
 林女史が書いているように、知識人を無学の徒が支配する恐怖は、今でも世界中に現存している。ただ、“民主平等?”が行き渡った我が国だけは、進駐軍ならぬ≪選挙≫で選ばれた無学の輩の支配を許しているだけのように思えるが、いずれにせよ≪悲劇≫であることに変わりはない・・・