軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

銃撃事件と韓国人の反応

 バージニア工科大学での韓国人学生による銃撃事件は、米国社会はもとより、犯人を出した韓国でも大きな話題になっている。CNNは連日詳細な報道を続けているが、やはり相当前から“犯人”の異常行動が問題になっていたようである。
 にもかかわらず、学校側の対応が遅れたのは、やはり人権を重視する民主主義国家が持つ落とし穴だったのであろう。これが例えばロシアのような専制主義国家だったら、最初の事件で防ぐことができたのかも知れない。
 問題解決は当事国に任せるとして、我が国でも、人権を重視するあまり、犯罪を未然に防止できなかった実例は枚挙に遑がない。私が以前住んでいた世田谷区でも、普段から包丁をちらつかせて暴力的態度を取る男を警察が取り締まらなかったため、皮肉にも警察官が彼の凶刃に倒れたことがあった。常々住民は何とかして欲しいと警察に訴えていたのだが、事件が起きていない以上取り締まれない、の一点張りだったという。目の前で包丁を振り回していても、テーブルに突き刺してコーヒーを飲んでいても、警察は何も出来なかったのである。逆にそんな場に警官が来ると「誰が警察に通報したのか!」とたけり狂ったらしいから、住民は「触らぬ神に祟りなし」を決め込んでいた。しかし、ある日夫婦喧嘩が高じたらしく、通りで包丁を振り回すので警察に通報したところ、たまたま埼玉県警から転入してきたばかりの、まじめで正義感が強い警官が駆けつけ、説得しようとして気の毒にも彼に刺し殺された事件があった。現場の住民達は「警察は事勿れ、犠牲になった若い警官がかわいそう」と私に言った。
 長崎市長の場合は、はっきりした目標を持った犯人による「テロ」だから、米国や世田谷の事件とは異なるが、先日書いたように「キチガイに刃物」現象が増えていることは問題であろう。
 ところで、今回の事件で米国の「韓国人コミュニティー」は強い衝撃を受けて動揺しているという。しかも、コメントにもあったが「米国人からの報復が恐ろしいので、韓国人とは言わず、当分“中国人、日本人”という」との反応には絶句した。まず「報復が怖い」と云う考え方、そして「他のアジア人になり済まして危険を回避しよう」と云う自己中心で姑息な態度・・・。
 もしもこの事件が、日本国内で起きていたとしたら、60万人もいる在日はどんな反応をしたことだろう。
「36年間の日本統治時代への当然の報復」とか、「日本人は殺されるだけの理由がある」などと開き直られなかっただろうか?初代朝鮮統監・伊藤博文を暗殺した安重根のように愛国者と称えられなかったか?
 強大な米国の「報復」は怖いが、弱小な日本は怖くない?というコンコンプレックスの裏返しが噴出したかもしれない・・・
 数年前、在韓米軍兵士が市街地で韓国人少女をひき殺したと大騒ぎになり、在韓米軍司令官では飽き足らず、米国大統領に「謝罪」を要求したのではなかったか?
そんな国に竹島を占領され、何の手出しも出来ない我が国が悲しくなる。
 
 日韓関係も、日中関係同様、相互の歴史認識について、歴代政権が間違ったシグナルを与え続けてきたため、彼らが増長しているのである。日本人は、過去の日韓、日中関係の歴史を正しく認識すべきである。
 コメントにあった「旧日本軍の対朝鮮人兵取り扱い方」や、「米軍のマニュアル」のような、明らかな「蔑視策」を変えて、全うな関係に発展させるためには、日本人自身が、統治時代の歴史の真実を学ぶ必要があろう。
 たまたま「日本帝国の申し子」(カーター・J・エッカート著・小谷まさ代訳:草思社\2400+税)を読み始めたところだが、この本は、日本統治時代の半島の資本主義の発展を調べた学術書である。「本書を読まずして日本の朝鮮統治を語ることはできない」「日韓近現代史における最重要のテーマである日本の植民地統治の『遺産』を始めて公正に評価し、欧米で高く評価された労作」だと推薦の辞にある。また、「韓国は日本人が作った:朝鮮総督府の隠された真実」(黄文雄著:徳間書店\1600+税)も面白い。
 韓国人をあれこれ評価する前に、日本人自身が統治時代をよく調べる必要があると思う。とまれ、韓国の有名なジャーナリストは、「日韓友好は絶対にあり得ない」といい、その理由を「日帝の支配は36年、米帝の支配は50年」に過ぎないが「大陸支配は1000年である。我々のDNAには、大陸の恐怖が埋め込まれているからだ」といった。
 キチガイはどこにでもいるが、同胞が犯した犯罪を見て、「いかにして自分を守るか」と云う自己保身本能を真っ先にあらわにする民族は、限られた地域にしかいないのではないか?しかもそれが「近隣諸国」なのだから始末が悪い。
 我々はよほどしっかり対応策を考えておく必要があるのではないか。