軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国の核戦力・米陸大研報告

 まず、昨日の「通りすがり氏」のコメントにお答えしておこう。
 文化大革命国家主席劉少奇が「大衆集会で暴行を受け、三角帽子を被せられ、街中を引き回された」という事実はない、とのご指摘だった。殿岡氏の話の根拠は知らないが、手持ち資料には、確かに「ひどい暴行を受けた事実はある」が、三角帽子を被ったり、引き回される写真はない。一番正確だと思われるのは「マオ=誰も知らなかった毛沢東・・・下」(ユン・チアン:ジョン・ハリディ共著、土屋京子訳・講談社刊)であろう。
 第49章「復讐の後味」(1966年〜74年*毛沢東72歳〜80歳)の項に詳細に記述してある。その陰湿で容赦ない「復讐」には反吐が出る思いだが、ブログの読者の方々には是非「マオ」をご一読されることをお勧めする。このときの様子について、ここでは「毛沢東の私生活:下」(李志綏著・新庄哲夫訳・講談社刊)から引用しておこう。
「人垣が出来ていた。殆どが党中央書記処の下級幹部達である。党中央警衛団の将校や兵士も見守っていた。劉少奇に少しでも救いの手を差し伸べようとする者はいなかった。劉少奇と夫人の王光美は群集の真ん中に立たされ、書記処のスタッフにこづかれたり、蹴られたり殴られたりしていた。国家主席のシャツは引き裂かれて肌がはだけ、ボタンがいくつかもぎ取られている。人々は彼の頭髪をつかんで引きずりまわした。良く見ようと近づいたとき、劉少奇はつかまれた両の腕を背中にねじ上げられ、腰から前かがみの<ジェット式>として知られる姿勢を取らされた。しまいにその上半身を倒し、顔が地面に触れそうなところまでぐいぐい押し付けて蹴る、平手で殴りつける。それでもなお、警衛団の警備兵達は介入しようともしない。私は見るに忍びなくなった。劉少奇は既に七十ちかく、しかも我々の国家主席ではないか」
 ご承知の通り、劉少奇は毅然として自己の信念を貫き通し「肉体的・精神的苦悶に三年のあいだ耐え」て1969年11月12日に絶命する。そして「顔を白布で覆われたまま、偽名で荼毘に付された」のであった。
 殿岡氏は、そんな異常な一党独裁国家が「過去を清算しないまま」平和の祭典を開催する資格があるのか?と問いかけたのである。
 次に掲げる写真は「マオ」から転載したものだが、「文化大革命で、毛沢東劉少奇に復讐した」とキャプションが付いている。最下段の写真は、劉少奇が地面に踏みつけられているところである。笑いながら国家主席を足蹴にする下級官僚達の姿が明瞭である。
 二枚目の写真の右端上は「ジェット式」といわれる姿勢を示したものである。左の3枚の写真は、ハルピン郊外で行われた処刑の模様で、“北朝鮮の今のもの”ではない!


 さて、その一党独裁国家が平和の祭典の開催準備を遂行しつつ、一方で軍事力増強を進めていることは周知の事実だが、今朝の産経新聞は6面に「中国の核戦力」に関する、米陸軍大学研究所の報告書を取り上げている。
「同報告書は中国軍が最近、核兵器に関する戦略を大幅に変え、1、日本を射程内にとらえる弾道ミサイルに核と通常の両方の弾頭を混在させるようになった。2、米海軍の機動部隊に核と通常両方の弾頭装備の弾道ミサイルを使う新作戦を立て始めた。3、年来の「核先制不使用」の方針を変える兆しを見せ始めてきた――ことなどを指摘し、米軍側への新たな対応を提案した」という。
 注目すべきは、この方針を変え始めた理由として「米軍が通常兵器の性能を高め、非核の第一撃で中国側の核戦力を破壊し尽くす能力を高めたため、中国側では自国の核が報復力を失い、抑止効果を発揮出来ないという見方を強めてきた」という点にある。つまり、核に頼っていたにもかかわらず、米国側の「通常兵器による攻撃力の増強」は凄まじく、このままでは「張子の虎」になりかねないと危惧を抱いたのである。
 次に恐ろしいことは、「核と通常兵器を混在させる」戦略である。おそらく“規律厳正な”中国軍では、「核と通常弾頭」を間違えて発射するようなことは“起こらない”だろうが、常軌を逸した環境下に陥り易い戦場では、その保証はあり得ないから、核戦争勃発の危機は非常に高くなる、といわざるを得ない。
 報告書は「中国軍はこの機動性のある中距離ミサイルを日本や沖縄の米軍基地への脅威として現在よりも多く必要としており、日米側はその増強に注意し、対応策を考えねばならない」と警告しているそうだが、社会保険庁解体問題を審議した衆院厚生労働委員会での採決阻止?行動など、ヤラセの本場のTV局?でさえも驚くような「不真面目な」寸劇を演じる“民主党”女性議員たちの姿を見れば、なんとも心もとない限りで、次元の低さに失望する。
 こんな低俗な政治家達を養っている事実に鑑み、国民は自ら「防御」を固めるべく、年金のみならず、いっそ「個人で各戸に核シェルター」でも建設したほうが良いのかも知れない。