軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

新憲法と軍学校の責任

 有意義で貴重なコメントが寄せられ考えさせられた。今話題のグッドウィル会長が、少年工科学校の出身者とは知らなかった。そうなると、彼は8年間も「国費」で育成されていたことになる。しかも2005年7月に「個人の寄付行為」を認められ、政府から紺綬褒章を授与されている。コムスン関係ネットに近衛氏と並んだ写真がデカデカと掲げられている画面には、典型的な詐欺師?らしい雰囲気が漂っている。
 彼は今朝フジテレビに生出演したが、どうしてどうして、なかなかの役者である。老人介護を“商売”にしたことは間違いなかろう。そんな組織に役員として同窓生が入っているそうだが、彼は「後輩を指導」しなかったのだろうか?最も気が優しい彼の説得を聞くような会長ではなさそうだが・・・
 防大校長についても色々考えさせられるコメントがあった。初代校長は槙智雄氏であった。10年間の約束だったようで、我々7期生が4年生のとき防大は開校10周年を迎え、我々の卒業後は引退して学術生活に入ることを考えておられたようだが、後任者が決まらずズルズルと2年ほど延長になり、計画が狂ったと悲しんでおられたと言う。
 2代目は大森元陸幕長で、典型的な官僚で施設整備は充実したと言われていた。
 軍事を否定する憲法下の「軍学校」であったためか、3代目、4代目になると、国軍の基幹をなす幹部養成のための教育は、次第に「軍人精神養成」とは程遠いものになっていった、と制服組の一部は慨嘆した。
 自衛隊の部隊においても、教育訓練の一つとして「自衛官の心構え」なるものがあり、1・使命の自覚2・個人の充実3・責任の遂行4・規律の厳守5・団結の強化、が謳われているが、戦後教育を受けた現代若者達にどれほど徹底させ得るかは実に難しいものであった。しかし、日教組教育を叩き込まれた若者達ではあったが、防大、または各自衛隊の教育隊での教育で、殆どのものが「ことに臨んでは身の危険を顧みない」自衛官に成長して、カンボジアや、モザンビークペルシャ湾サマワに出かけて大いに気を吐いたのは歴然たる事実である。今でもクェートで航空自衛隊の輸送部隊が、インド洋では海上自衛隊の艦艇が厳しい任務についている。
 そんな真面目な仲間たちの顔に泥を塗るような、「軍学校出身者」の今回の不心得行為が、国民の目に晒されたのは、今まで自衛隊を「塀の中に孤立」させ「阻害」してきた“暗部”が表面化したもののようにも思う。
 つまり、国民が軍事・防衛に無関心であることをよいことに、「塀の中で」「懲りない面々」が跋扈するのが許されてきたのである。私が広報室長を命ぜられたとき、この塀を取り除き、国民に実態を知ってもらおうと考えたのだが、努力半ばで更迭されてしまった。返す返すも残念である。
 国民の支持なくしては、高々24万の戦力だけで、この国を防衛することは絶対に不可能である。しかし、国民の支持が堅固であれば、あるいはそれを隊員たちが意識できるならば、「我々は竹やりででも戦う」とあるジャーナリストに語ったことがある。しかし、メディアは自衛隊の「あることないこと」を面白おかしくさげすむ記事を書き続けた。その結末が「日航機墜落事件」で噴出したから、私は官姓名を名乗って正面からメディアを非難したのであったが、全く予想しなかったことに「後ろから撃たれる」という体験をした。塀の中で、丁度社保庁職員並みにぬくぬくと「こともなく」過ごすことに慣れきっていた一部が、自己の利益?が暴露されることにあわてたのであろう。
 その後も、メディアも全く反省することなく、ひたすら自衛官の口封じに狂奔した。
 今でも、アマチュアゴルフ界の石川君の行動を、他社に「抜け駆けして」特種を取ろうとするルール違反を平然と実行したTBSの例を見れば分かるように、彼らは今や「王様」なのであり、この国に怖いものなどないのである。
 日航機事故で、入院している女性の「とくネタ」を取り自衛隊叩き記事を捏造し、なだしお事件では、医者に扮して入院中のマリンギャルに接触した記者が潜水艦乗組員を罵倒する「捏造記事」を書き防衛庁・海自を非難した。そしてそのいずれもが毎日の記者であったことは知られていない。今度の事件で見る限り、この伝統はあの会社には未だに脈々と生きているのだろう。
 それに比べると今回のコムスン事件は、防大卒の「一部の跳ね上がり」・・・と言いたくなる気もするが、しかし、自衛隊は「武器を持つ」集団である。強大な武器を預かるものは、強固な犠牲的精神と、愛国心に裏付けられた行動に徹するべきであり、間違っても己の利益に国民を利用すべきではない。国民の信頼を失うということは、敵に負けるよりも恥ずかしいことである。この基本的精神が欠如し、創設以来50年を過ぎても未だに腰が定まらないのは、実に『新憲法』にある、と私は34年間痛感して来た。
 憲法が日本国の文化伝統を否定し、敵性国家に有利なままである間は、この種の軍人崩れが世間を騒がすことは避けられないであろう。ジャーナリストの潮君が「新憲法は諸悪の根源」という書物を出した。その諸悪の根源を絶てるか否かが、21世紀の日本の進路を分けると思う。
 コミンテルンに心を売り渡した共産党朝日新聞が、必死になってそれを阻止しようとしていることがそれを証明している。民主党の真価が問われる夏になるだろうが、旧社会党崩れに席巻されないように祈るばかりである。