軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

平成のゾルゲ事件か

 昨日夜は都心での仲間内の勉強会に出かけた。「裁判員制度を憂慮する」と題する元東京高裁判事の話を聞いたのだが、裁判に疎い私でさえも、この法律の意図するところが良く分かり、悪法とも言うべき「人権法案」や「皇室典範」問題などと同種の恐るべきワナではないか?と危惧するに至った。
 この法律は法務省が提出したものだが、それを審議すべき国会議員の不熱心さにはあきれてものも言えない。出席していた元国会議員と現職国会議員に参加者からの質問が集中したが、結論は立法府の責任ある議員達が「法案の中身をよく読んでいない」のである。更に驚いたことに、仮にこの法案はオカシイと思っても「党議」に拘束されて、個人的に反対行動が取れない仕組みになっているというのである。ご婦人達から「何のための国会議員なのか!」と痛烈な質問が飛んだが、「議員と言うのは職業、それも6年ごとにリストラ(選挙)が待っている落ち着かない職業だ」と言ったから総顰蹙を買った。
 随分前になるが、このブログに若者達の選挙離れがひどいので「唯一この国の国政に参加できる権利を放棄してはならない」と青年達に呼びかけたことがあったが、「あれは立候補者たちの“就職活動”。何であんな連中の就職活動を応援しに行かなければならないんだ!」と言った若者のことを書いたが、議員という職業は「年収一億円」というまさに「実入りのよい就職口」なのであり「選挙」は就職活動なのであるから、彼らにとっては天下国家なんてどうでもいいのである。
 私が外務省に出向していた3佐の頃、NPT(核不拡散条約)批准を抱えていた国連局軍縮室は連日の国会対策で徹夜状態が続いたものである。わずか3名の「キャリアー」しかいないから、連日20件を超える国会質問を抱えて真剣な討議に明け暮れた。当時顕著だったのは、政府側に「Q&A」をそのまま作らせ、委員会ではそれを棒読みする無能な議員がいたことである。つまりこれは明らかな「カンニング」であり「ヤラセ」であった。
 そんな作業に疲れたある日の深夜、「こんな無教養で無責任な“ローカルボス達”の面倒を、なぜ我々が手取り足取り見なければならないのか?」と誰かがつぶやいた。たしかに彼らたちは、少なくとも一部議員たちよりも遥かに高学歴で、真剣に国家を中心に据えて討議する雰囲気を持った者たちで構成されていた。
「佐藤さん、田舎の道路整備や利権争奪にしか関心がない彼らが国政に参加するよりも、外交、防衛など、問題を熟知する我々が国会に出て国政に参加するのがふさわしいとは思いませんか?」と聞かれたが、当時の私は全く同感だった。国民は、今回の「裁判員制度」のような憲法違反問題始め、国会審議の場のいい加減さを知らされてはいない。メディアも視聴率を上げる「名物議員」にスポットを当てるだけで、審議の内容などは一部しか報じない。ましてや国会の議事録を詳細に読む国民なんぞ、絶無だろう。確かその頃から官僚達の政界進出が始まったと記憶する。
ところがその官僚達も、今や「国益無視」の有様、朱に交わって赤くなってしまった。
在日本朝鮮人総連合会が中央本部の土地・建物を投資顧問会社に売却する契約を結んだ問題で、同社代表で、元公安調査庁長官の緒方重威氏(73)は13日、東京霞ヶ関で記者会見」したが、「訴訟で中央本部を明け渡すことになるのを防ぐためだったことを明らかにした」という。「敗訴した場合、中央本部をRCC(整理回収機構)に差し押さえられる可能性がある。買い取って、継続して使えるようにしてほしい」と持ちかけられたそうだが、それを引き受けた緒方氏の判断が何に基づいていたのか全く理解できない。
「私は朝鮮総連に取り込まれたのではない」と言い張るが、示された事実はそう解釈する以外にはあるまい。「朝鮮総連が中央本部を拠点にして違法行為をしていたことは認識している」というのだから、彼の頭の中の構造が知りたくなる。「認識」とは「物事を見定め、その意味を理解すること」と辞書にはある。「違法行為を知り、理解していた」のであれば、それに応じたことは彼らに「取り込まれたこと」になるではないか?長官ともあろうものが、その認識のなさにあきれる。
 彼は戦後満州から引き揚げてきたそうで、「祖国と言うものを強く感じた」。だから契約を結んだ理由は「祖国を思う気持ちは在日朝鮮人の方も同じ。実質的な大使館を守ってあげなければと思った」というのだから彼の「祖国」とは一体どこのことなのだろう。これを「利敵行為」というのである。終戦時11歳の彼の身に何があったかは知らないが、彼の理解力、認識力に首を傾げざるを得ない。
 彼の立場から考えると、今回の彼が取った行為は『昭和のゾルゲ事件』と言っても過言ではあるまい。
 社会保険庁の怠慢は、「組合組織」を持つ公務員の不真面目な一部跳ね上がり者が組織的サボタージュを断行したことにあり、駄々をこねる彼らに上が飴玉をしゃぶらせるだけで「自己保身」を図ってきたからである。
 今回の問題では公安調査庁内部に何があったのか?裁判制度を立法化した法務省の背景には何が潜んでいたのか?
多分人事が絡んだ『立身出世』争い主義が大きく作用していたのだろうが、国益を放棄したこの種公務員はまさに『国賊』以外の何者でもなかろう。こうなると国民には、各省庁の高官の履歴、主義主張、活動の実態を「詳細に知る権利」があろう。彼らに「金と命」を預けているのだから・・・
 先月の雑誌「正論」に、私は間接侵略が進行している現状に、控えめな警告を発したばかりだが、最後のよりどころになるべき役所がこの体たらくでは国民は堪ったものではない。
 参加者の一人が「警察庁は大丈夫でしょうね」と質問すると、ある公安関係者が「警察官の天下り先はパチンコ産業か暴力団関係しかないのが実態です。天下り先がない末端の警察官はある意味かわいそうなものです」と言ったので一同絶句した。
 講話終了後の雑談で、私も国家中枢のあまりの無様さに「何のために34年間、スクランブルでこの国の空を守ってきたかこれでは分からない。今でも後輩達が全国の基地で真剣に勤務についているのに。これじゃ死んでも死に切れない」と言うと、「防衛省は大丈夫でしょうね」と聞かれたが、「多分・・・」と回答するのがやっとだった。
「己の無能を、国民の血で贖っている」これら高位高官達を“反省”させられるのは、閻魔様しかいないのだろうか?などと、帰路の車内でまたまた悲観的にならざるを得なかった。