軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

指揮官の権限と責任

 昨夕は、腰痛の「点検整備」に出かけた。ファントム戦闘機で5〜7Gをかけた空中戦をやりすぎて第5腰椎を損傷、椎間板ヘルニアという「名誉の負傷」をしたため、現役時代は突如として起きる「ぎっくり腰」で苦労した。しかも皮肉なことに単身赴任中に発生するので、トイレに“匍匐前進”、下着が身に着けられず靴下が履けないまま登庁すると玄関で当直幹部が「服務中異常なし!」と報告後、「司令、靴下を忘れておられます!」と耳元で囁く。一瞥しただけでそれを見抜く幹部に感心したが、「ここにある!」と言ってポケットから靴下を取り出すと、彼は「ポカン?」としたものである。
 退官後に整体の名医と知り合って以来、ぎっくり腰はなくなったが、車や戦闘機同様、人体も事前に予防点検することにしているが、保険が利かない治療なので出費は大変である。昔で言えば「傷痍軍人」なのだから、その意味でも年金は減らして欲しくない!
 その先生が背骨を矯正しながら「最近病院で“殺される”人が多くて驚いています」といった。つまり、病状を的確につかめず「検査入院」させ、「病状不明にもかかわらず」多量の薬を出す。患者が服用すると医者の思い通り?の症状が発生するので「手術」することになり、やがて患者は息を引き取ることになるらしい。「佐藤さん、死にたくなったら病院で!」といわれた。
 いやはや、病院までも信用できなくなったか!と悲しくなったが、イギリスではテロリストが医者に扮しているそうだから、その意味ではまだ日本は良い?のかもしれない。

 さて、とうとう久間大臣は“計画通り?”辞職した。ついでにあの看板も一緒に「テイクアウト」する方がよい、という意見をくれた方がいたが、私も以前書いたが、とにかくしまりのない字体だから、国の要衝である防衛省という役所までが、いかにもしまりがない様に見える。私もテイクアウトに賛成である。
 更に友人達は後任の大臣について意見を聞いてきたが、私は「ノーコメント」と答えるしかなかった。彼女の実力(軍事についての)は未知数だからである。この場合の「ノーコメント」は「黙殺?」ではないつもりだが・・・
 電話をくれた友人のほとんどが「隊員達の士気が心配だ」と言って下さったが「50年の歴史を誇るこの役所のトップの在任期間は、平均一年にも満たないから部隊の隊員たちの士気に直接影響することはあるまい。新大臣視察関連行事で『草刈作業』が増えるのが士気阻喪につながるが」と答えておいた。しかし側近の将官たちには微妙な影響が出るかもしれない・・・
 
 ところで、安倍首相の人事に疑問と不安を持つ方が多く、これじゃ夏の選挙は勝てない、と悲観的な声が強くなってきたが、コメントにもあったように、これは案外首相の「大戦略」で「いわく付き」の人物を大臣に指名して国民の前にさらけ出し、次々に“自ら消えていくように仕掛けている”のだ、という推察が面白い。ここまでくれば、たしかに興味深い観点である。そうだとしたら徹底的に実行してほしいものである。
 そこで大昔、幹部学校で教えられてきた「指揮官の権限と責任」について掲げておこう。
1、指揮官の権限・責任 指揮権は指揮官に与えられた固有の権限であり、任務を最も積極的、かつ、効果的に遂行し、常に部下を訓練し、装備、施設などを良好に管理し、部下の安全と福祉を図ること。
2、指揮官と幕僚 指揮官は幕僚を掌握し、自己の分身としてこれを活用する。幕僚に対して自己の意図を明示し、任務を明確に付与し、幕僚の能力を最大限に発揮させ、その活動を組織的に行わせなければならない。特に上級指揮官は、努めて身を事務の圏外に置き、大局の判断に専念することが出来るように幕僚を活用することが必要。

 さてさて、これは軍事学の基本だが、軍事の最高指揮官である総理にも適用できると私は思っている。ただ、軍隊で重んじられる「期別」的には、首相が一番若く、幕僚達が“先輩”なので統率上極めて困難なものがあるのは当然だろう。特に幕僚の中に「反抗的」な者がいる場合にはなおさらである。彼らは「最高指揮官を常に事務の圏外に置き、大局判断に専念できないように」行動する癖が強く、何でもかんでも雑事を持ち込んで、指揮官を混乱させる傾向がある。そしてその案件がうまく終結すると「あの原案は私が樹てた」と外部に吹聴し、失敗すると「指揮官のせいにして逃げる」のが彼らの常套手段である。政治の世界ではそのお先棒担ぎが「メディア」であり、彼らはどっちに転んでも責任は絶対に取らない。面白おかしく報道し、視聴率と販売部数が増えればいいのである。勿論、反日グループは、それにとらわれずに「確固たる信念」を持ってこの国を破壊しようとしているのだから始末が悪い。
 防大の「期別的」にいえば、安倍首相は私(7期)と16期違いの23期生と言うことになる。久間氏も防大7期を受験したそうだから、入校していれば私と同期生、安倍首相はなかなかやりづらかったことであろう。しかし、「統帥綱領」にもこうある。
「古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負うところ大なり。戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は、将帥が戦敗を自認するによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与うるものは、実に将帥にあり」
 将帥は孤独に耐えられねばならないとナポレオンは言った。トップは常に孤独である。自己の信念を貫いて欲しいと思う。主権在民の「民主主義」の世にあっては、良し悪しにかかわらず、民の声が左右する。選挙結果は水物であるから、国民が判断した結果が意に反した場合には「しようがない」。しかし、過去の選挙を見てみると、声無き国民の良識は、常に絶妙な判定を下してきている、と私は思っている。
 マスコミの一方的な情報操作に惑わされることなく、信念を貫いて欲しい。とにかく、来年に迫っている国際情勢の大変化は、日本の国内事情なんぞ待っていてはくれない。この国難を乗り切るためには、現政権が自信を失ってはならないのである。

 今日は産経新聞が連載し始めた「やばいぞ日本」の拉致事件をめぐる暗闘について書きたかったのだが、概略だけを書いて、後は読者の御判断にお任せしたいと思う。
 今朝のこの欄には、拉致事件の実行犯「辛光洙」事件の捜査時の裏事情が克明に書かれている。そこで先日のコメント欄に<雉さん>が書いてくれた村山内閣時代の名簿と照合してみよう。
「第81代村山内閣(1994年6月30日 - 1996年1月11日)
  総理大臣:村山富市 
  副総理:河野洋平
  外務大臣河野洋平
  大蔵大臣:武村正義
  通産大臣橋本龍太郎
  運輸大臣亀井静香
  経済企画庁長官:高村正彦
  科学技術庁長官:田中眞紀子
  衆議院議長土井たか子
  自治大臣野中広務
  国家公安委員長野中広務
   公安調査庁長官:緒方重威(1993年7月2日 - 1995年7月31日)
   日弁連会長:土屋公献(1994年−1996年)』(2007/07/02 17:04)」
 
 これに前後した出来事が今朝の産経に出ているのだが、記事の時系列を整理すると面白いことが分かってくる。
1985年2月・・・辛光洙韓国で逮捕
     8月・・・警察庁・韓国に捜査員派遣(この頃の公安調査庁第二部長・朝鮮半島担当=緒方重威容疑者)
     なぜか「立件見送り」になる。
    11月・・・辛に死刑判決
1990年5月・・・警察庁外国人登録法違反容疑で摘発した朝総連幹部を金丸信自民党副総裁が「日朝関係に悪影響が出る」として捜査拡大をしないように「求めたとされる(産経)」
     9月・・・金丸信元副総理、田辺誠社会党副委員長を団長とする自社両党訪朝団平壌入り。
 この頃辛ら19人の「政治犯」釈放を韓国大統領に求めた嘆願書に当時の国会議員128人が署名、「ほとんどが当時の土井たか子委員長ら当時の社会党議員だったが、現職議員の菅直人江田五月千葉景子、山下八洲夫(以上民主党)、渕上貞夫(社民党)の名前もあった(産経)」
1999年12月・・・辛死刑囚恩赦で釈放。
2000年9月・・・韓国、63人を北朝鮮に送還
 家族会は「送還反対」をとなえて陳情したが「森政権の腰は重く」「日本政府は北への米50万トン支援を行うことを決め、河野洋平外相は『私の責任を持って行う』と大見得を切った。このコメ支援の国費1100億円が何の成果も生まなかったのは御存知の通りだ(産経)」。
 そして、2002年9月・・・小泉首相訪朝。10月・・・拉致被害者5人帰国、とつながるのだが、2006年3月、実に20年後になって漸く警察庁は辛らを拉致実行犯として国際手配する。
 このような流れを分析してみると、この間の政権、政治家達の罪は万死に値する。久間氏の「つまらない」発言や、社保庁の『サボり事件』の解決も大事だが、何よりも拉致事件を通じて行われた、主権放棄、国民の生命無視、ゾルゲ事件にも匹敵するような売国行為の解明のほうが最大の急務であろう。
 過去の資料を見ると、新聞・雑誌・週刊誌などは、適時適切に拉致事件に関わる重要な記事を流していたことがわかる。(写真はその一部。当時の『SAPIO』から)それがなぜ『国民の目から隠蔽されたのか?』
 緒方元長官の取調べを通じて事件の謎が明らかになり、同時に厳正に「責任者達の追及」が行われることを期待したい。