軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

特攻隊と志賀海軍少佐

 台風9号が首都圏を直撃したが、被害が予想以下だったことは良かった。刻々と情報が流されたことが効果的だったのだろう。戦争の勝敗も情報が制する!
 昨日は都心で2件会合があったのだが、台風情報で繰り上げたり、切り上げたりして、かろうじて“ずぶぬれ”になるのを回避できた。転居したばかりの我が家は、滝のように流れる雨水が玄関前を流れたが被害もなく、近代家屋構造の効果を思い知った。被害にあわれた方にはお見舞い申し上げたい。

 ところで、文芸春秋9月特別号に『証言・父と母の戦争』特集が組まれている。
「巨大な運命の渦に際した父母の世代は如何に生きたか。子供達が語る歴史の一こま、鮮明な人生のドラマ」とリードにあるが、短文ながら読んでいて胸に迫る。防大時代の我同期生・落合蔲君の「『沖縄決戦』父・太田実中将の覚悟」は、戦後防大に入って海上自衛官になり、湾岸戦争後のペルシャ湾に機雷掃海隊を率いて“参戦”し戦果を上げた彼らしく、実感が篭っている。『指揮官先頭』『部下のことをまず第一に考える』という精神は、時の海軍士官の合言葉であった。しかし、言うは易く行うは難い問題である。現役時代、豊見城の海軍壕で行われる慰霊祭で彼と同席したことを思い出す。
 中でも鮮烈な思い出が甦ったのは、真珠湾攻撃に参加して以降も各地を転戦、終戦前には松山の第343空飛行長であった志賀淑雄海軍少佐のことである。
 現役時代にご縁があって、良くお会いしてお話を伺ったものだが、松島基地司令時代に、学生パイロットを中心に講演していただき、そのお礼に「T−2練習機による地上滑走」と「T−2シミュレーター」を体験していただいたことがある。T−2の後席に同乗して、滑走路上を離陸直前まで加速して帰ってくるものだが、志賀先輩は加速する中で「上がれ!上がれ!」と心の中で叫んでいたという。
 シミュレーターの体験操縦は、簡単なブリーフィングだけだったのだが、搭乗して操縦桿を握ると、すっかり往年の名パイロットに戻られ、見事な操縦だったから、外で監視している現役パイロットが感嘆の声を上げた。
 しばし上空で空中操作をした後着陸態勢に入ったのだが、着陸速度やフラップなどの操作を教官席から指示すると、実に見事な操縦で着陸された。外野席で歓声が上がると、教官が肝心の「スロットルカット」を指示しなかったものだから、そのまま滑走路を逸脱してしまったのだが・・・

 沖縄にも来ていただき講演していただいたのだが、翌日嘉手納基地で米軍のパイロットにも体験談を話していただいた。たまたまF-15飛行隊の3個飛行隊が全員揃っていた日だったので、オフィサーズクラブは超満員、志賀少佐来基を知った下士官達も集まったが、オフィサーズクラブには入れない。先任下士官が私のところに来て、是非拝聴したいから、司令官にジェネラルサトーから許可するよう言ってほしいというので、副司令官に「聞かせてあげなさい」と言うとOKになったので、十数名の下士官達がパイプ椅子を抱えて入ってきて廊下に陣取り、熱心に聴講したので感心した。
 写真はこのときの基地見学の様子で、米軍から送られたものであるが、米軍は志賀少佐の特別な「ネームプレート」を最新鋭のF-15に貼り付けていたから驚いた。「ゼロファイター」の呼称は、米軍パイロットにとっては「最高の名誉」であり憧れなのである。
 志賀少佐は控えめで決して名誉を独り占めしない“好々爺”であったが、昔はひとたび理不尽な命令が下されると決然として上司に直言した方である。
 私はあるとき上司であった源田大佐についての「ご意見」を伺ったのだが、志賀少佐も他人の評価は慎重になさる方で決して誹謗することはなかった。御子息の志賀元次氏が文春に次のように書いておられる。
「私が一番驚いたのは、松山第343空の飛行長として、「紫電改」に乗って本土防衛戦を展開していたときのエピソードです。部下の零戦隊から特攻隊志願者を差し出すように、高級幕僚から命令されたのですが、断ったのです。さらに「どうしてもというなら自分が行くから上官たちもみんな後に続いて特攻してくれ」と言い放った。それは上司だった源田実さんなども含めてのことでしょう」
 この一説を読んで、私はその時のエピソードを思い出した。私が直接伺った話とは若干ニュアンスが異なっているが、私は「源田大佐とはどんな上官でしたか?」と伺ったのである。
 ちょっと考えた志賀少佐は「終戦も近づいたある日、源田司令から呼び出され『大本営からこんな指導が来ているがどう思うか』と聞かれました。それは松山空も特攻作戦に参加すべし、という内容だったのです。そこで私は『喜んで行きましょう。ただし条件があります。帝国海軍の伝統は指揮官先頭です。私は勿論行きますが、先頭には是非司令が立っていただきたい』と言ったのです。司令は黙っておられましたが、その後松山空には特攻作戦参加命令は来ませんでした。これでお分かりでしょう?」
 志賀氏は既に他界された。黄泉の世界で“戦友たち”とどの様な再会を果たされたのか、関心があるところである。

零戦、かく戦えり!

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自衛隊エリートパイロット 激動の時代を生きた5人のファイター・パイロット列伝 (ミリタリー選書 22)

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