軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

言うべきことは言うべきである。

 昨日、史料調査会の研究会を終えて帰宅すると、日テレニュース24で本村氏が記者会見をしていた。この番組のいいところは、午後に行われる問題を生中継するところである。一昨日の『外国特派員クラブ』における福田・麻生両氏の記者会見もそうであった。
 非情な光市母子殺害事件の差し戻し審は、23名もの死刑反対推進弁護士達が弁護団を組んだ異常な裁判だが、昨日で実質的な審理は終了、12月4日に検察、弁護側がそれぞれ意見陳述して結審する予定だという。
 何度かブログに取り上げたが、愛する妻と子を、異常な殺され方をした本村さんの心中は察するに余りある。しかし、記者会見の姿は、堂々としていて毅然としており、論理一貫、見ているものの心を打った。彼はきっと高いレベルの魂を持った青年だろう、と私は思った。それに比べて主任弁護士の記者会見は、何を言っているか不明で、涙を流す姿は薄気味悪く、こんな姿を『お涙頂戴の猿芝居』と子供の頃言ったものである。凶悪犯の弁護をするのだから、あることないこと?徹底的に検察側と対峙して被告を庇うのが使命だろうが、それにしても正義を無視していいということではあるまい。感情を抑えて記者の質問に答える若い本村さんの姿には深く感動した。
 
 19日の塚本三郎氏のお話は、自分の生い立ちから、政治家への道、国鉄改革の裏話など、傾聴に値する内容であったが、やはり戦後の困難な時代を真剣に生き抜いた世代の自負なのであろう。当時の国会議員は、主義主張、党名は違っても、目指すところは日本再生にあって、議員個人の利益追求はかすんでいたように思う。しかし、世代が変わり、バブルと言う異常な金銭感覚を経た後は、国家のことより、個人、派閥が全ての中心になった。加えて「特権」を手放すまいとするかのような世襲制度がこれに輪をかけた。私が「自眠党」と揶揄した根拠もそこにあった。
 話の中で面白かったのは「日本海側と太平洋側問題」であった。つまり、戦後の日本政治の根底には、裕福ではない日本海側に、比較的裕福な太平洋側から「補助金」を融通すると言うパターンが形成されているのであって、それは歴代総理の出身地を見れば歴然としているだろう、と言う指摘であった。
 例えば、田中(新潟)、竹下(島根)、森(石川)、大平(四国)、三木(四国)という補助金獲得目当ての県と、小泉(神奈川)という補助金提供側の立場の“相違”を挙げられて改めて思い知った。さしずめ鈴木(岩手)首相も太平洋側とはいえ、補助金目当て側に入るのだろう。
 目から鱗だったが、これらの旧習打破を若い安倍総理に期待したが「政治と金で爆沈させられた」。既得権益はどうしても守らねばならないという、古い自眠党の体質はそれほど強固だったといえる。安倍総理はさぞ無念だったろう。また、孤立無援だった安倍総理は、ブッシュ大統領と会談した際、北のテロ支援指定をはずすというブッシュの動きに抵抗して「若し北を指定解除するなら、インド洋の海自部隊を引き上げる」と直言しなかったのか?と塚本氏は言ったが、私も全く同感である。中川政調会長の「核武装論」を聞いたライス国務長官は、あわてて来日し、「核の傘の信頼性」を強調したが、この例に待つまでもなく、外交は「専守防衛」であってはならないのである。
 死んだ子の年を数えるようなものだが、ブッシュとの会見で特措法について要求されるだけではなく、言い返すべきことはたくさんあった! 中国についてもそうである。
 今中国は「北京オリンピック」を控えて全く動きか取れない。つまり、人質を取っているようなものだから、8月15日に靖国参拝し、文句をつけてきたらオリンピックをボイコットする、と脅かせばよかったのである。せいぜい騒ぐのは朝日新聞くらいだったろうが、既に国民の大多数はあの新聞社の正体を見抜いている。
 8月15日を避けて秋の例大祭に参拝することは、逆に中国の第17回全中代と重なるから逆効果であった。だから8月15日は最後のチャンスだったのである・・・。
 このような脅しを含めた駆け引きが全く弱いのが日本外交であり政治である。それはやはり軍隊を持たないという憲法上の制約からくるのであり、敵の弱点を探り、集中して攻撃するという軍事的発想を放棄した「平和日本」の姿なのであろう。自らの国を自ら守る努力を放棄し、かっての敵国に「守ってもらっている」ことのツケが噴出してきた。「ただより高いものはない!」と塚本氏は言った。
 塚本氏は、この閉塞感を打破するために、徹底的に議論すべきものとして次の3点を挙げた。
1、教育勅語・・・親子の情が断たれた結果、日本社会ではあり得なかった凶悪事件が多発している。勅語の精神に戻るべき。
2、徴兵制・・・青年時代の合宿生活が如何に青年を鍛えるか。教育は「強制」でもある。子供のうちに社会性を身体に叩き込む必要がある。
3、核武装・・・堂々と議論すべきである。先進国で核を保有していないのはドイツと日本だが、ドイツはNATOでカバーされているが日本は丸腰である。日本は、少なくとも3原則の「持ち込ませず」を切るべきである。
というのだが、全く同感である。
 往復の電車内は私の書斎?だが、麻生氏の「とてつもない日本」を読み終えた。極めて論旨明快、現実的な見解であると思う。特に「靖国は、外交問題ではない」とする発言には全く同感である。
 他方福田氏は「外国が嫌がることはしないほうが良い」と言ったが、大東亜戦争関連だけに絞って考えても、関連する「外国」は、中国だけではない。勿論韓国は日本国であったから闘ってはいない。つまり、中国だけを「外国」としている神経が分からない。最大の敵国は「米国」であったが、ブッシュ大統領も参拝を希望したというではないか。現に、在日米軍将兵達は、毎年靖国神社に参拝している。中国がクレームをつけているのは、日本の新聞社がそう要望してくるからだ、と10年前に中国の政府関係者から直接聞いたことがある。これはあくまで「日本国内の国内問題」なのであって、中国はそれを利用しているだけである、と私は見ている。
 若しそうでないとしたら、日本を屈服させたのはあくまでも米軍であり、中国は日本軍の支配下にあった、という恨みつらみの感情だけだと想像される。つまり、中国は、戦勝国とは名ばかりで、実質的には「日本軍に負けていた」のだから心中穏やかでないのだろう。そんな一国のみの感情的行動に「配慮する」のは不要ではないのか?

 いつか書いたと思うが、2000年9月の北京での会議で、若い研究者達が日本軍の侵略や、南京事件や、あることないこと俎上に挙げて詰問してきたから、根拠を聞いたがあやふや、そこでかいつまんで教えると「そんなことは教科書で習っていない!」と反撃してきた。
 そこで私は「歴史認識が不足しているのはあなた方のほうである。1930年代の日中関係についてもっと勉強せよ」といい、「この際はっきりさせておくが、大東亜戦争で日本は中国には負けてはいない。米国に負けたのである。徹底的に抵抗したが米国にはねじり伏せられた。そこで天皇が「矛を収めよ」と命ぜられたので、勝っていた支那派遣軍の岡村大将は、やむなく武装解除に応じたのである。勝っていた軍隊が、負けていた軍隊に降伏したのだ。しかもその後、その武器を奪い合って蒋介石を倒し、あなた方共産党が天下統一したのだからむしろ感謝して欲しいくらいである。それでもあなた方があまりにも勝手なことをいうのなら、もう一度戦争して決着をつけるか!」と強く言ったのだが、その後5年間はお声がかからなかった。
 ところが5年後に再開された会議の席で、中国の若い研究者が私に近づいてきて、懐かしそうに「先生、覚えていますか?」と名詞を差し出した。なんとそれは5年前に私が強く“指導した”研究者であった。
 11月に予定されている会議でも会えると楽しみにしているが、互いの誤解をなくすために、言うべきことはキチンと言うべきである。福田氏のように「理由もなく遠慮」していては、逆に誤解されるのが落ちである。

今日は長くなったので、公安調査庁元第二部長の菅沼氏の話は次回に回したい。塚本氏のご意見は、平河総研のメルマガで、ほぼ毎週公開している。御一読いただきたい。また暇があれば次の書もお読みいただきたい。大変参考になる。

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