軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

軍事音痴を解消せよ

 昨日は一日台湾の研究者達と討議して来た。台湾海峡を巡る危機は、日本では一部が気にしているだけだが、当然のことながら現地は緊張している。
 その分水嶺となる総統選挙を控えている彼らは、中国の脅威として次の三つを挙げた。○国際的プロパガンダ。○経済権益。○近隣友好
 さて、我国の政財界人は、これをどのように感じているであろうか?
 イスラエルもそうだが、周囲からの強大な脅威に曝されている国は、生き残りに必死である。それに比べて我が国の「平和」なこと!。時津風部屋がどうしたとか、何でも屋?に殺してもらった女性だとか、万引き少年のデタラメさなど、とにかく「平和すぎて」ダラケの極に達している。
 ミャンマーで殺害された長井さんのその後の状況が逐一テレビに流れているが、彼にはお気の毒だが危機感が全く理解できていない。現地案内人の真剣な注意も、「平和の国・日本」から来たものには伝わらなかったのであろう。
 一般常識で言えば、軍事行動中の兵士にカメラを向ければどうなるか?「ラッキー!」とVサインでもすると勘違いしていたのではないか?
 外国では、軍事施設にカメラを向けると「スパイ扱い」されるのは常識である。ましてや行動中の兵士においておやである。
 TVスタジオで、貧しいミャンマー兵士が高価なカメラを「略奪」しているかのようなコメントをしたものがいたが、まず情報の隠蔽であり、次に証拠物品の“隠蔽”が相場である。
 昔も今も、戦場では「戦利品獲得」は戦う双方での常識であった。地図やメモの押収は、貴重な情報源であり、敵の動きが分かる。その他の金品は、勿論個人兵士の“役得”であった。戦後の日本人は、そんなことも考えないような、世界にもまれな「無色透明?」な「平和人」になってしまった。 付け加えておくが、日本以外の国では、「平和!平和!」と連呼する大人たちは、臆病者の集まりだと言う“常識”がある。力が弱いから、叫ぶのだというのだが、そういえば弱い犬ほどよく吼えるものである。

 今朝の産経新聞1面の「やばいぞ日本」欄に、昔外交官であった宮家邦彦氏が「リスク共有が同盟の本質」と題して、危険地帯であったバグダット勤務時代の体験を書いている。
 日米安保条約を巡る国会論議に「何か重要なものが欠けている。それはリスク共有という同盟の本質である。筆者のイラクでの個人的体験に照らせば、リスクを共有しないシステムが緊急時にうまく機能するとはとても思えない。それどころか、日本は今、リスクの共有を放棄しようとしている」とし、「何でこんなことになるのか。日本で同盟の本質が理解されていないからである。その最大の原因は日本人の『軍事音痴』症候群だと思う」と喝破している。
 彼とは、彼がまだ外務省勤務時代に、三沢基地問題で協力し合ったことがあったから、私は彼の真情をよく理解できる。
 前にブログに書いたことがあるが、三沢基地で夜間飛行訓練中のF−16戦闘機が、タッチアンドゴー直後にエンジンが故障し、そのまま基地内の「バーベキューセンター」に墜落、パイロットは脱出して助かり、我々の専門用語で言えば『ウエルダン』だったことがあった。
 事故発生の報告を受けた私は、直ちに指揮所を開設し、万一基地外の被害発生事態に備えて、隊員を非常呼集して支援準備を取ったことがあったが、基地内の出来事であり問題なく解決した。
 ところが翌日の朝日新聞は『地軸を揺るがす大音響』『天を焦がす真っ赤な火柱』とありもしない見出しで基地反対闘争をあおった。丁度沖縄の教科書問題で『11万人』と書く要領である。
 この日、三沢市長は友好姉妹都市の米国・ウエナッチ市に出張中であったから、情報は新聞記事のFAXが主だった様だ。記事の大きさに比べて基地内が静かだったからか、帰国した市長はすぐに米軍司令を呼びつけ、NHKカメラの前で「以後米軍には協力しない!」と大見得を切った。それが全国に放映されると、日米安保に関わる重大事件に発展し、防衛庁は勿論、外務省までもが緊張する結果になった。直ちに施設庁長官が三沢市に来て謝罪し、次は長官か?、外務省高官か?といわれていたとき、突然宮家氏から私に電話があった。確か彼は当時日米協定課の主席事務官だったと思う。
 私が元外務省軍縮室勤務だったこともあって、率直に現地の状況が聞きたいというものだったから、事故のあらましを解説し、記事の間違いを指摘した。
 直ちに理解した彼は実に適切な行動を取ったから、日米安保の危機は回避されたのだが、今度は新聞にあおられた市長の発言に米軍側が不快感を表し、市の催し物への協力を断る事態になった。
 市長も詳細が分かるに連れて困惑を隠せなくなった。そこに以前書いたように、作家・川内康範氏の登場になるのだが、川内氏は、私の部屋で事故の詳細と記事の間違いを掌握するや直ちに市長と竹下元総理に電話した。これで事案は新聞の煽動に乗ることなく無事に解決したのだが、米軍の感情的しこりはそう簡単に消えはしなかったから、日本側の基地司令として私は色々苦労した。
 しかしこの案件は、「一歩間違えれば」日米間の外交問題に発展しかねかかったのだが、それを未然に防いだのは、宮家氏の機敏な判断であった、と私は今でも思っている。
 その後、残念なことに三沢市長は亡くなったが、葬儀には在日米軍司令官も列席したというから、三沢基地の共存共栄政策は米国にも評価されているのであろう。
 産経の2面に続く宮家氏の文の表題が「いつまで続く『軍事音痴』」であるのも面白い。義務教育下では重いかもしれないが、せめて高校・大学で『軍事学』の基礎を教えないと、我が国の軍事音痴は絶対に解消しないだろう。それ以前に、とんでもない国会議員が出現して、世界の物笑いになる公算が極めて高いと案じられる。
 宮家氏の文は、3面の桜井よしこ女史の『福田総理に申す』欄の『外交・軍事の力学学べ』につながっていて、今日の産経は読み応えがあった。

2008年の国難―日本の敵は!?味方は!?

2008年の国難―日本の敵は!?味方は!?

国際軍事関係論―戦闘機パイロットの見つづけた日本の安全

国際軍事関係論―戦闘機パイロットの見つづけた日本の安全