軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

孤立する日本政治

 昨日は、日本文化チャンネル「桜」の収録に出かけた。「日本よ、今・・・闘論!倒論!討論2007」「テロ特措法中断と東アジア」という題での3時間番組。パネリストは井上和彦(ジャーナリスト)、金田秀昭(元海将)、北村淳(米海軍アドバイザー)、松島悠介(元陸将)、松村劭(元陸将補)、三宅教雄(元海上保安大学校校長)、山本誠(元海将)、それに私、司会は水島代表という“豪華キャスト”であった。
 昨夜9時から0時まで既にスカパーチャンネル241で放映されたが、インターネットでも配信しているから、是非ご覧になった方々のご意見を伺いたいものである。
 
 結局みんなの意見は日本の「国益」は何か?に尽きるのだが、万一テロ特措法が切れて、インド洋に常駐して活動している海自艦艇が帰国することになると、日本は取り返しのつかないダメージを蒙ることになる、という点では一致した。最も、一部の反日勢力以外の日本人が考えれば、結論は一緒になったろうから、特に目新しいものではないが、今の“お粗末な”政治家達にはまったく先が見えていないらしいから情けない限りである。
 米海軍顧問の北村氏は、「海自が抜けた後に中国海軍が手を挙げる危機」を指摘したが、それこそ最悪のシナリオであろう。それに加えてヒラリー女史が大統領にでもなれば、またまた日本は「パッシング」され、米中蜜月時代という悪夢到来である。

 今朝のTBSのワイドショーでも、独特な憲法を持つ国として、我が国独自の貢献のやり方があるはずだ、例えば地球温暖化防止・・・などと言ったコメンテーターがいたが、その能天気ぶりに寒気を覚える。
 討論・・・では、一番若い井上君が、ある将官の言った言葉だとして、この国の政治は「上の句」しか言わず「下の句」抜きだと言った。つまり、自分達が政権をとるために、テロ特措法を利用して、インド洋から自衛艦を引き上げることになった場合、その結果どんな弊害が生まれるか、そのとき国民はどうすべきか、に関する「下の句」は一切語らないというのである。
 インド洋上で“たった2隻の艦艇”がどれだけ実のある成果を果たしているか、そんなことにはお構いなし。永田町を活動範囲にする井の中の蛙達には「大海が見えない」のである。議員会館に世界地図を貼って毎日見ている議員が何人いるかは知らないが、2隻の自衛艦が踏ん張っている場所は、我が国の生命線であるシーレーンの真っ只中なのである。
 以前産経新聞が書いたように、ペルシャ湾で日本のマンモスタンカーが襲われて、米海軍に救われたこともある。インド洋、マラッカ海峡南シナ海台湾海峡、そして東シナ海と、90%以上の油がこのシーレーンを通って来ていることを国民は全く感じていない。油はガソリンスタンドの地下から湧き出している感覚なのである。
 自衛艦を出さなくても、他に方法があるはず、というのなら代案を出して見るが良い。そんなコメンテーターに限って、近所づきあいは悪いのではないか?年末の町の大掃除にも参加することなく、そのくせ平然とごみを出して近所迷惑になっているのではないか? 町内会費を収めているかどうか知らないが、おそらく汗は流していないに違いない。その分、特別会費を収めれば済むという感覚がこの国には蔓延している。
 以前、バブル期に海外でブランド物を買いあさった日本人は、高値で買うので店にとっては上客かと思いきや、ロンドンやパリで購買を拒否されたことがあったという。つまり、ブランド物を扱う店から顰蹙を買い「この品は高級品で由緒がある品、低俗なアジア人に売るつもりはない」といわれたのである。
 金さえあればなんでも買える、と思っていた当時の成金日本人にはショックだったろうが、この世には、金があっても買えない物があること、買ってはならないものもあることを学んだ筈であった。
それにも懲りず一国平和主義にまみれ、国際的仲間意識が欠如しているようでは、いくら金を出しても油も食料も売ってもらえないことになりかねない。
 
 今日は少し長くなるが、1991年の湾岸戦争当時、私は三沢基地司令だったがその体験を書いておきたい。1990年秋以降、米軍三沢基地からもかなりの軍人が湾岸に出征した。米軍官舎のあちこちに、黄色いリボンが風に揺れていたものであった。その頃、在韓米空軍司令官が飛来し、将校クラブで歓迎夕食会があり、日本側代表として私が招待されたのだが、将校クラブは200人を超える将校と家族、兵士達で満員であった。そこで司令官は次のようにスピーチしたのである。
「米本国では、ベトナム戦争の反省から今回の湾岸危機に参戦すべきではないという意見がある。その我が国では情けないことに、君たちと同年代の若者達が麻薬やフリーセックスにおぼれて反戦を唱えている。それに比べて君たちはどうだ。祖国をはるか離れた極東の地で厳しい訓練に耐え、ひたすら自由のために戦っている。そして今回、命令されれば君たちは、かの中東に駆けつけ血と汗を流そうとしているのだ。 確かに今回の中東危機は、米国にとってさほどの緊急事態ではない。中東から油を買うほうが安いから輸入しているに過ぎない。中東から石油が買えなくなる事が一番困るのは西欧諸国であり、この日本である。その意味ではなにも西欧と日本のために我米国の、君たちのような大切な青年男女を危険に晒す必要はないのだ。しかし諸君、考えてみてくれ。我々米国軍がフセインの横暴を抑えなければ、世界の平和はどうなるのだ。自由はどうなるのだ。我々は正義と自由と、そして同盟国との約束を果たすために戦うのだ。その意味で、ここにいる若い我兵士諸君を、私は心から誇りに思う。共に正義と自由を守るために献身しようではないか!」
 会場はどよめき、スタンディングオベージョンで拍手が鳴り止まなかった。そんな場に一人いた“日本人代表”の私が、いかに困惑したか想像していただけるだろうか?
 いや、所詮この演説は「米国の独りよがりだ」と日本の識者は言うに違いない。しかし次の現象に対しては識者達は何と答えるか?
 翌年一月に戦争が始まり3月に終息したが、やがて兵士達が帰還して来た。横田に着いた彼らは、輸送機不足だったので羽田から民航機に分乗して三沢についたのだが、所用があった私は空港の帰国歓迎に副司令以下を差し向けた。ところが戻った副司令は怒り心頭に発して、以下のような報告をしたのである。
「民航機が到着すると、米軍将兵と家族達は、軍旗を先頭に到着ロビーに整列して待ち受けていたのだが、まず、ぞろぞろと出てきたのは、大学の春休みとあって、春スキーに出かけてきた日本人青年男女だったのである。米軍兵士と同年代の彼ら彼女らは、ロビーに整列して待つ米国人を怪訝そうに見て、「アメちゃん、何してんの?」と言いつつ階段を降りてきて、荷物受け取り口にたむろし始めた。ロビーにヴァカンスに来た日本人が増えたので、米軍の方が機転を利かせて軍旗をたたみ、列を解いて隅に集まり、荷物を受け取る日本人客を優先させたそうだが、その時出征した米軍兵士たちが到着口に現れた。その後の米軍家族達の歓迎振りはご想像いただけるだろうが、その状況を、日本人乗客たちは「不思議そうに」眺めつつ荷物を受け取り、それぞれタクシーでスキー場に向かったというのである。「この時ほど日本人として恥ずかしく、情けなく感じたことはありませんでした」と言う副司令の目には、怒りの涙が浮かんでいた。
 その後私が空港長に「米軍の歓迎の場を何とかセットできなかったものか?」と聞くと、「米軍側から申し出がなかったものですから」という答えが返ってきたのであった。
 一事が万事とは言わないが、これが今の日本人の「民度」である。
 既に16年前の体験だが、今又、民主党党首の意固地さと「メンツ?」が、それを再現しようとしている。日本人全体が失った信用と、受けた「軽蔑」の責任は誰が取る気か?
 村山談話にせよ、河野談話にせよ、国民の血税を湯水のごとく消費し、日本人として、いや、日本国として、先の大戦での英霊を含む多くのご先祖の顔に泥を塗った責任は、誰も取ったためしがない。昔だったら226ではないか!
 中国共産党大会は波乱含みであり、米国は「ダライ・ラマ14世」を招待して金メダルを贈った。「何で今この時期に?」と思うが、これに中国は直ちに反応した。内政干渉だ!というのであるが、さすがは中華思想、我が国の靖国問題内政干渉ではないらしい。ミャンマー事件でも米中間の対立が表面化しつつある。台湾情勢も予断を許さない。そんな周辺情勢に目を向けることなく、我政界は二大政党時代だとか「コップの中の嵐」で大騒ぎだが、一体1億2千万国民をどこに持っていこうとしているのか?多くの国民が路頭に迷う結果が出ても、誰が責任を取るのか?

 これは私の仮説だが、ダライ・ラマ14世の件は人道問題を米国がアピールした「反中キャンペーン」なのであろう。そこで今度は反米をかざした中国が、福田首相に対して「米国の人道主義イカサマだ。広島、長崎を見よ!共に米国のインチキ人道主義と戦おう!」などと声を掛けてきたら、日本の言論界はすぐに応じるのではないか?
 繰り返すが、この年末韓国大統領選挙。来年1月台湾立法院選挙。3月ロシア大統領・台湾総統選挙。5月台湾新総統就任式。7月洞爺湖サミット。8月北京オリンピック。11月米国大統領選挙・・・と重要行事が続く。何が起きてもおかしくないときを迎える。
 永田町の先生方には、特措法問題を速やかに解決して、流動的な国際情勢に目を向けて欲しいものである。

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