軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

『ガロン』と『リッター』

 昨日はチャンネル桜の好評番組『報道ワイド』にコメンテーターとして招かれ、『防衛漫談?』をしてきた。主題は『防衛省スキャンダル』と『特措法』であったが、古巣のスキャンダルには気が滅入った。美人キャスターの児玉女史と、元衆院議員の城内氏に囲まれて、結局『シビリアンコントロール』という原点について体験を語ることになったのだが、先日も書いたように、国民から選出された国会議員で構成する議会が軍事を統制するというのが趣旨であって、事務屋が制服を統制することではないのである。そこが今でも誤解されていて、議員でさえもあやふやな理解をしているところが問題なのである。防衛省内においては、古い政令で官僚の方が制服を統制するかのような条文が残っているので、これを修正すべしという意見があるのだが、以前海上幕僚長が勇気ある発言をしたが、結局うやむやにされてしまった経緯がある。勿論、官僚の中にも国防に真剣な者が多く、制服と一緒になって予算獲得や防衛力整備に奮闘しているのだが、作戦など、部隊を指導するポストはやはり「制服」が担当すべきであろう。全く未経験な官僚がそれを無理して務めようとするものだから、色々な齟齬が生じるのである。国会でも「政府委員」が駄目だというのなら「参考人」として制服から直接聞けばよいではないか。ファントム戦闘機の改修問題で国会が止まったときもそうであった。ファントム飛行隊長であった私(当時2佐)でも十分だったろうに、対地射爆撃などとは全く無縁な局長が担当するものだから、10日間も国会が止まって、野党議員は「鼻高々」、税金の無駄遣いであったことがあるが、自衛隊の生い立ちが『不透明』だったせいか、どうもすっきりしていないのが現状だと思う。今回の“事件”を機に、根本的な解決が図られることを期待したい。
 ところで、どうにも納得できないのが、20万ガロンと80万ガロンの訂正問題である。一部のTVで、『実は担当者がうっかりガロンとリッターを間違えたのだ』という説が紹介されていた。
 液体を測る単位のことだが、1ガロンは約4リッター(3・785リッター)であるから、現場で給油した量が80万ガロンだったら320万リッターと換算して記入すべきだから、80万“リッター”と記入してしまい、それを報告書に記載する際、“ガロン”に変換して20万ガロンとしたのであろうか?
 しかし、それに気がついた「時の防衛課長」が何故直ちに修正しなかったのか疑問が沸く。それほど重大な問題だとの認識がなかったか、あるいは、シビリアンコントロールの毒気?から、「報告が間違っていた」ことを認めると昇任に響く?と感じて黙殺したか、あるいは上司のことを慮って?伏せたかどちらであろう。
 とにかく、一旦「幕僚長」や「内局高官」、勿論「大臣」まで報告されてしまった“報告”は、その数字が「本物」として一人歩きする傾向が強く、間違いを間違いだとして、直ちに上司に報告訂正する(つまり猫の首に鈴をつける)勇気ある者がいなかったのだろう。そんなことだからマスコミなどが「隠蔽体質だ!」と噛み付くのである。
 物事の「本質」に目をつぶり、一時しのぎの「逃げ」に走る「事なかれ主義」が官僚にはあるのだが、制服を着た官僚?達も、それが今まで“うまく機能してきた”ので不感症になっていることが、「反省」につながっていないのではないか?
 私の体験からいえば、それが「亡国」の第一歩であって、特に軍事組織ではあってはならないものである。以前書いたと思うが、大東亜戦争後半、「台湾沖航空戦」で帝国海軍が大勝利を収めたとの誤報を信じ捷号作戦が発動されたが、実は「惨敗」だったことが判明し、陸海軍とも重大な損害を蒙った戦例があった。
 平時の訓練においても、騒音問題で、基地対策上夜間飛行訓練に制約があるため、なるべく日中の明るい間に訓練を開始し、早めに終了して「夜間飛行訓練回数」を消化せざるを得なかったときがあるのだが、現場指揮官はその実態を十分把握していても、それが上級司令部に報告されるときは「無機質な数字」になるから、司令官は部下は十分な夜間飛行錬度があると錯覚する。そしてその数字を信じて、深夜の作戦を命令したとき、実は・・・・という事態が起きるのである。
 単なる数字の間違いですまないところを、防衛課長という要職にあった俊才が隠蔽したということは重大である。自衛隊は「戦争しない軍隊」だから実害ないという気風が漂っているのだとは思いたくないが、武力集団としては由々しき問題であることに変わりは無い。

 8月15日、マニラにあったマッカーサー司令部から、日本側に降伏全権代表を送る指令が届き、機体を真っ白に塗ってミドリ十字を書いた海軍の1式陸攻機2機が、木更津から伊江島に向かった。
 河辺虎四郎参謀次長を団長とする全権団は、伊江島で米軍のC-54に乗り換えてマニラに出向き「終戦交渉」に当たったのだが、マニラから伊江島に戻り、再びミドリ十字機に乗り換えて木更津に向かった一行は、紀伊半島南方洋上で、燃料不足で不時着せねばならない状況に陥った。
 そして深夜、浜松市東方の磐田市天竜川河口に不時着したのだが、奇跡的に一行は無事であった。深夜にもかかわらず、現地住民の支援を受けた一行は陸軍浜松飛行学校に移動し、翌日調布飛行場に着き政府に報告して任務を終了する。
 このとき、何故燃料が欠乏したのか?を九死に一生を得た随員の寺井義守中佐や、乗員など多くの関係者に聞いたのだが、多分、伊江島で米軍から燃料補給を受けた際、ガロン(米軍)とリッター(帝国海軍)の違いで補給量が少なかったため、浜松南方洋上で「ガス欠」になったのだろうという結論になった。私が「補給完了後、操縦席で燃料計を調べなかったのか?」と聞くと、今のような針がついた「メーター」式の燃料計ではなく、透明な「連通管状」の燃料パイプが機内主翼の付け根についていて、直接入っている燃料を目視する方式だったのだが、当該機の操縦者に直接聞いた限りでは、伊江島で待機中に勝利に沸く「敵兵」に囲まれて過ごす緊張度は尋常なものではなかったらしいから、整備員が見落としたのだろう、というものであった。
 空自の各種単位も、米軍式の「フィート」「ガロン」「ポンド」だったから、航空事故発生時などに記者団に概要を説明するとき、飛行高度を“メーター”に直して説明するのだが、この手の間違いは当初良く発生したものであった。
 とまれ、間違いは間違いだから、部下の間違いを上司が「気楽に」受ける雰囲気がないのがこの組織の問題点ではなかろうか?と思うのだが・・・
最も、憲法自体が「黒を白だ」と60年間言いくるめて来たのだから、今回の問題も、ある意味当然の帰結なのかもしれない・・・

 それにしても、防衛課長といえば、予算担当の重職、大蔵の主計官とは「敵同士」の筈なのに、大幅に艦艇数を減らされ、予算を削減した元主計官の片山さつき国会議員の公設秘書に就任していたことの方が私にとっては「ミステリー」である。
 大方の海自隊員達も「裏切られた思い」であろうが、その上、この問題が浮上するや否や、彼は直ちに片山事務所に辞表を提出したというから、これまた「後ろ暗そうなミステリー」である。
 いやはや、こんな“大本営”に指導されつつインド洋で懸命に「国益確保」に努力している海自隊員達は、誠にお気の毒だというほかはない。


 ところで「首都壊滅・東京が核攻撃された日:本郷美則著(WAC:¥1400+税)」と云う小説が送られてきた。北の独裁者が日本に核ミサイルを発射したというフィクションであるが、日本はこのままでいいのか?という疑問と不安に突き動かされて書きました、と手紙の添え書きにあった。
御一読をお勧めする。