軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

給油中止は危険な政策

 今朝の産経新聞6面に、バンダービルト大学教授のジェームス・E・アワー教授が、表記の題で一文寄稿している。
「世界で最も危険な地域に位置する国にしては、日本の自衛隊は比較的小規模である。北朝鮮のミサイルは簡単に日本の各地域を狙うことが可能だし、中国の東シナ海における現在の活動とその将来については、国会で深刻な討論や議論となるべき議題である。
 日本は2001年後半からインド洋で給油活動を行っており、高い評価を受けている。それはまた、危機の際、アメリカからの日本への支援の可能性を最大にするという日本の目的を達成するのにかなっている。だから、日本の政界の内輪もめが原因で給油活動による支援を中止するのは危険な政策だ」というのである。
 アワー教授は「日本のナンセンスな論拠」と、世界的「常識」をQ&Aのかたちで列挙しているが、ナンセンスな論拠のほとんどが「民主党の意見」であることがなんとも滑稽に見える。
 そしてアワー教授は、これら代表的な「ナンセンス」と「常識」を列挙した後、「アメリカとの安全保障関係を維持するという日本の選択は、自国の防衛力を最小限にとどめたいという理由による。 アメリカによる日本への支援が信頼でき、任意のものであり続けるのを確実にするために、日本は政治的制約の範囲内で力の限りを尽くすべきだ。日本がそれをしなかったために、アジアの一番大切なパートナーである日本に対しアメリカが支援不足に陥るという危険は冒せない。給油問題について国会で行われている討論は日本国民の常識を侮辱するものと思われる」と結んでいるが、全く同感である。
 このような意見が同盟国にあるのに、今朝の政治討論会の各党代表の意見は、アワー教授が指摘したとおり全く緊張感を欠いている。それでも与党代表は、かなり深刻にこの問題をとらえているようだが、野党代表の鳩山氏にいたっては、全く意見が定まっていないように見受けられる。風の吹くまま気の向くまま、党内の意見が分裂しているからでもあろうが、その無責任さにはあきれてものも言えない。
 共産党はいつもながらだが、社民党に至っては、憲法にしがみつき、未だに一歩も現実世界を見ようとはしていない。まあ、出席していた又一議員御本人の過去の生活ぶりはつとに有名だから、彼の発言に重みがないのはうなづけるが、守屋前次官のスキャンダルを得々として追求するのはいかがなものか。守屋前次官よりも低次元な自分の過去の行状を無視して発言する様は“目糞鼻糞の類”、辟易する。こんな日本の政情だから、米国はじめ諸外国から顰蹙を買うのである。
 今回は、通常型空母の「キティ・ホーク」への燃料補給を取り上げて、その消費量など、まさに言いがかり的な話題に時間を割いているが、やがて米海軍の空母は全て「原子力駆動」になる。燃料補給不要艦艇が登場するが、今のように軍事的低次元な討議をしているようでは、開発途上国からも蔑まれることになろう。アワー教授は「日本国民の常識を侮辱する」と書いたが、肝心な国民自身はどう考えているのだろうか?どう「贔屓目に」見ても、日本の国会議員の常識欠落は異常である。

 たまたま昨夜、TVの「ナショナルジオグラフィック」で、ライオンとバッファローの「弱肉強食の世界」を見た。メスライオンが数頭、グループを作って「食糧」であるバッファローの集団に挑みかかる。肉食獣の彼女達にとっては、子供を育てて生き抜くための戦いだが、草食獣のバッファローにとっては常に群れのそばに位置して隙をうかがっている彼女らは「脅威」であり「アリガタ迷惑」この上ない存在である。この番組制作スタッフは、壮絶な戦いぶりを実に詳細に見事に撮影しているのだが、私はふと国際社会の中の日本と、バッファローの群れが重なって見えた。バッファローはライオンを食糧にしてはいないから、ライオンに一方的に襲われて「餌」になるだけである。
 つまり、これは「専守防衛」を標榜して、如何に襲われても追い払うだけに徹する今の日本に瓜二つではないか?
 しかし、バッファローの世界では、子供が狙われると、母親は敢然としてライオンに挑みかかる。仲間が襲われると、バッファローは集団でこれに「対抗」してライオンを追い払うが、追い詰めて「餌」にすることはない。ライオンたちもそれはよく弁えているので、バッファローに挑みかかられても、殺されて「餌」にされるという恐怖はないから、一定の距離を退避して、再び隙を見つけて襲い掛かる。こうしていつしかバッファローは「餌」を提供する羽目になるのだが、それは「自然界の摂理であり、弱肉強食の世界の常識だ」とTVは解説する。
 アワー教授が書いたように「最も危険な地域に位置する国・日本」とバッファロー社会はどこか酷似している様に思うのだが、それは前述したように、わが国の「専守防衛」という防衛姿勢に似ているからであろう。追っ払っても相手の息の根を止めない限り、必ず仲間が犠牲になる、それがバッファローの「宿命?」であり、ライオンにとっては、他人?が何と言おうと自分達を襲って餌にすることがない「平和的バッファロー」を攻撃することが生きるための手段である。
 しかし、そんな弱肉社会?に生きるバッファローでも、仲間が襲われると敢然としてライオンに歯向かうのだが、これは集団的自衛権の発動か?
 やがてバッファローの群れを率いる年老いたボスが、不覚にも多数のメスライオンに襲撃されて深手を負うのだが、ボスが負傷したことを知った仲間は、当初は敢然とライオンを追い払いボスを救おうとする。ところが、何度も襲われて次第に体力を消耗したボスを、驚いたことに仲間のバッファローが襲って更に深手を負わせるのである。これは次のボスの座を争う「権力闘争」であって、意外な「味方?」の支援を受けたライオンたちは、倒れたボスをしとめて食事にありつく。
 彼女達が勇戦敢闘して獲た獲物を、傍観していた雄ライオンやハイエナがたかってきて食糧を奪い合うのだが、彼らのような「漁夫の利」を狙うあつかましい連中よりも、私には傷ついた老ボスを、絶好のチャンスとばかりに襲って、群れの指導権を奪った「次席?」バッファローの方が卑怯に思えてならない。これも弱い者、年老いた者、負傷した者は生き残れないという「厳しく非情な自然界の摂理」というべきか。
 私がナショジオを見て、今の日本政界の権力闘争もバッファローのボス争いに酷似しているように思えたのだが、果たして「人間と野獣の違いはどこにあるのだろうか?」と考えさせられた。案外身の回りには「背広を着た野獣」が多いのではないか?

 昨日は、自衛隊創立記念日を控えて恒例の殉職者追悼式が福田総理はじめ石破大臣も出席して防衛省内で行われた。今年は陸自12人、海自2人の14人が新に合祀されたそうだが、これで殉職者は創設以来1791人となった。私も戦闘機乗りとして、約3800時間空中で激しい戦闘訓練を34年間体験してきたが、幸運にも生き残って10年前に沖縄から「復員」出来た。
 改めて志半ばで逝った多くの仲間たちの冥福を祈るとともに、現役諸君がこれら英霊に対する感謝を一日も忘れず、世間がいかに乱れても、惑うことなく任務に邁進し、国民の負託にこたえるべく精強な部隊づくりに臨んで欲しいと思う。同時に武運長久をお祈りする。

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