軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

家族や国を思う気概

 昨夜のチャンネル桜「防人の道・今日の自衛隊」は、「防衛漫談」ならぬ「政治放談」に終始した。TV各社も、競って小沢氏の去就について取り上げているが、政治評論家ならぬ私としては今後は“高みの見物”を楽しむ?ことにした。

 ところで今朝の産経新聞やばいぞ日本」には泣かされた。元ハワイ州知事だったアリヨシ氏(81)からの手紙がその主題である。アリヨシ氏は、終戦直後の1945年秋に進駐軍の一員として東京の土を踏んだが、最初に出会った7歳の“靴磨き少年”の話題である。
「靴磨き」とか「浮浪児」という言葉さえ今の少年達は知らないだろうが、この少年が両親を失い、妹と二人で過酷な時代を生きていかねばならないことをアリヨシ氏は知ったのである。
「少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えをしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。彼(アリヨシ氏)は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁止されていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は『有難うございます』と言い、包みを箱に入れた。彼は少年に、何故箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は『おなかはすいています』といい、『3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです』と言った。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをこうつづった。『この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した』と。・・・アリヨシ氏の手紙は『荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思い出す。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ』と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。
『幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくて良い。ほとんどの人々は、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。全てのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ』」
 一枚のバターとジャムが塗られたパンを分けて食べる、この兄妹の姿が浮かぶ。どんな会話を交わしたかも・・・
 更に2面には、米海軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が、長崎市浦上川周辺の焼き場で撮った、亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている「焼き場の少年」という題の次の写真入で、オダネル氏の回想文が紹介されている。
「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな身体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声を掛けることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」
 私はこの写真が掲載されたグラフを持っているのだが、弟を荼毘に付す僅か10歳の兄の心情はもとより、多分亡くなったであろう彼の両親の真情を思うと涙が止まらないのである。親として、これほど気がかりな「別れ」はあろうか!残したわが子の生き方を思うとき、親としては死んでも死に切れない気持ちであったろう。
 靴磨きの少年は私の1歳年上、そして写真の彼は4歳年上である。御存命なのかどうか・・・そして今の同じ世代(7歳や10歳)の少年達との違いは「何からくるのか」と深く考えさせられるのである。
 アリヨシ氏は、「今日の日本人は生きるための戦いをしなくても良い」存在だと書いた。その恩恵は一体誰から受けたものか、今生きている我々は想像したことがあろうか?

 戦後の廃墟をとらえた写真集が手元にある。講談社発行の「週刊YEAR BOOK・日録・20世紀」と、朝日新聞社発行の「週刊20世紀」である。その中から終戦前後の写真を掲載するが、こんな惨めな時代があったことなど、今の若者には理解できまい。
 この廃墟から両親たちの懸命な努力で立ち上がって、今の「豊かな」生活があることを、21世紀を生き抜く青少年達に再認識してもらいたいものである。
 今朝の産経の「やばいぞ日本」は、「厳しい時代に苦闘と気概の物語」があったことを思い出させてくれた。これが今の日本人が「忘れてしまった大切なもの」であることは確かであると私は思う。
「焼け野が原の東京」
「空襲に耐える市民」
終戦
「引き揚げ」