軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

守屋“天皇”と海原“天皇”

 草思社発行の「戦場の名言・・・指揮官たちの決断」を読んでいる。著者は防大の後輩達4名だが、カバーに「人間をつき動かすものは、結局のところ、人間の言葉しかない。国家存亡の危機に直面し、最後の関頭に立ったとき、指揮官達は如何なる言葉を発して、将兵の士気を高め、勇気を引き出し、任務達成に邁進させたのか。ネルソン、東郷平八郎山本五十六から、ロンメル、シュワルツコフまで、近代戦を指揮した軍人、九十一人の言葉を収載。知られざるエピソードと共に解説した『戦場の名言』集!」とある。
 その中に張作霖の「今日における支那青年の欠陥は『道徳』です。私の兵士を強からしめるために、私の軍隊内に欲しいものはそれです」というのがある。清朝末期、奉天に入っていた伝道師デュガルド・クリスティーが記した「奉天30年」に書かれているという。張作霖は言わずと知れた「馬賊の代表格」、日露戦争でロシアに加担し、日本軍に逮捕された後は日本軍に協力する。張作林軍の規律は厳しく、信賞必罰が徹底していた。勿論「恐怖支配による精強さ」でもあったが、張作霖はその欠陥を熟知し、道徳を求めていたというのである。
「ナポレオンは驚くべき将軍であったが、しかし一つのものを欠いた。彼は力を持っていたが道徳的原理を有していなかった。その故に彼は全世界に対する脅威であった」とも語っているという。
 当時の日本では、彼を“無学な乱暴者”、部下を束ねる頭目として取り扱う傾向があったが、彼が信服していた日本軍人は、満州軍の情報将校であった福島安正だけであったという。
 周知のように彼は1928年6月に、日本の大陸政策との摩擦が生じて「爆殺」される。そしてその息子の張学良は国民党軍に入り反日を標榜し、1936年12月に「西安事件」を起こして蒋介石を軟禁、国共合作を成功させ日本と戦うことに成功するが、スターリンに利用されただけであった。
 それはさておき、この本は、極限状態下で、洋の東西を問わず、国の存亡をかけて戦った指揮官達の言葉が簡潔明瞭に収録されていて考えさせられることが多い。
 著者は、張作林が彼の軍隊に求めた「道徳」とは、クリスティーは「宗教、道徳的原理と理解」したが、現代風に言えば「士気(モラル)」、つまり「20世紀初頭という時代を考えると、やはり勃興しつつある中国のナショナリズムであったのかもしれない」と解説する。
 衰退しつつある?日本の現状からは、軍隊に「士気(モラル)」を期待するのは無理なことか・・・

 既に御紹介した「防衛庁自民党=航空疑獄・・・政争と商戦の戦後史」(室生忠著:三一書房)を再読すると、「戦争を放棄した憲法」の下に、生半可な“軍隊もどき”を作って武装させたからか、装備品を巡る政官界の癒着は、国家防衛の基本を外れ、政治家達の利権争いに終始していることがよく分かる。勿論、大半の企業、商社は、いかにして我が国の防衛力を高めるかについて真剣なのだが、政治家のほとんどはそれよりも目先の利権に執着した。そこへ選択の“決定権”を持つ官僚が加わり、国防無視のどろどろした争いに発展した。
 1956年の第一次FX機種選定作業(いわゆるロッキードグラマン事件)、1960年の2次防での「バッジシステム採用問題」、1964年の「第2次FX選定問題」、1967年の「E−2C(AEW)選定問題」、1968年の「PXL(次期哨戒機選定)問題」、これは民間機選定問題だが、1976年の「ロッキード事件」、1975年の「第3次FX選定問題」などなど、軍需品選定時の「不明瞭さ」は後を絶たない。
 勿論、武器それぞれの特性を比較検討して、我が国の防衛に最適な機種などを選定する作業なのだから、その過程に“激論”が戦わされるのは当然であるが、常識を逸脱した「利益の上乗せ」を図るようになれば、これは国民を裏切る犯罪行為である。
「本書」によれば、バッジシステム選定時に、時の政治家と防衛官僚、それに商社間の不透明な関係が浮き彫りにされている。当時の政界は池田勇人氏率いる自民党主流派で、河野派は三木派の志賀健次郎長官に対して物言う立場にあった。その河野派と結びつきが強かった商社には、旧軍人が跋扈していた。更に加えて、旧内務省・警視庁出身で、防衛庁主流中の主流といわれた当時の海原官房長が絡んでいて、彼は「『海原派』なる強力な人脈を防衛庁内に築き、“海原天皇”というアダ名をも獲得し」事務次官間違いなしといわれていたが、怪文書が絶えることはなかった。
 今話題の“守屋天皇”問題と、彼を巡る政治家と商社間の構造は、当時と少しも変わっていないのだが、やはり戦争という極限を体験しないように“平和憲法”で保護された組織、玩具の軍隊?の宿命なのかもしれない。
 単なる「地方軍閥」の頭目だった張作霖でさえも、信賞必罰を強固にして、組織の団結を図り、その基本として「道徳」を求めていた。最高学府を出て、位人臣を極めておきながら、朱に交わって末節を汚す高学歴の方々の“苦悶の表情”は見るに耐えない。
 張学良はじめ、極限の戦場で国家防衛のために決断を迫られた指揮官達が、こんな醜い日本人を見たら、どう評価するだろうか? 
ちなみに今回のスキャンダル関係者の年齢は守屋前次官が63歳、宮崎元専務が69歳だという。
 張作霖が尊敬した福島安正は67歳で没、かの東条英機64歳、本間雅晴59歳、山下奉文61歳、海軍の山本五十六は59歳、大西滝治郎54歳であった。生き恥は曝したくないものである。

戦場の名言―指揮官たちの決断

戦場の名言―指揮官たちの決断