軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ついでに「なだしお」報道を

 なかなか有益なコメントが多く、参考になる。しかし、この国の「軍事音痴」は極まれり!と痛感する。昨日のテレビで某研究所会長が、「日米海軍の密接さ」や、「旧海軍の伝統」や、はたまた「海自は米海軍とは協力しても、国民に対しては『そこのけ!』とばかりの横柄な態度」などと、国際学者?ならぬ妄言を吐いていた。多分『お座敷がかからなくならないよう』局側に配慮した発言だと思ったが、こんな軍事音痴が世間に悪影響を与えているのである。
 コメントにもあったが、これからはわが護衛艦に『パトカー並みの赤色灯』や、「スピーカー」をつけよ!と大合唱になるかも知れぬ。
 漁船の方が「舵を固定していた可能性」も否定できないとか、何よりも「船長の健康状態」が気にかかる、という記者からの情報もあった。操舵室が引き上げられて、より正確な状態が調査されるよう期待したい。
 何回も言うが、法律がどうであろうと、緊急事態下では基本的には『衝突を予防するための』常識的判断が大切なのであり、それは『あたご』のみならず、漁船の方にも要求されるのは当然である。 あの時、仲間の漁船は『あたご』を相当前からレーダー上で捉えていたそうだから、ならば『無理して直前を突っ切らずとも、「あたご」をやり過ごしてから漁場に向かうべきだったのではないか?
 いずれにせよこの国では『士農工商』ならぬ『商農工士』だから、どこまでも防衛省自衛隊は蔑まれる。あるジャーナリストは『国が相手だと保証金が満額出るからさ」と言ったが、それは言い過ぎ?だとしても、確かに雫石事件の民事裁判ではその気があった。
 しかし、民事裁判でも、状況証拠から、国(自衛隊)が6、ANAが4と判定されたのであった。その6:4という責任比率も、実に奇妙なものであったが、いずれにせよ裁判所は、ANAにも非があると判定したのである。
 さて、この件については新聞資料を少し添付したので、当時のマスコミの“異常さ”がお分かりいただけたであろうが、『なだしお』についても少し添付しておこう。
 今回も「あたご」犯人説が強調されているが、当時も事故発生直後から「なだしお」犯人が横行した。要するにマスコミの本音は『反自衛隊』なのであり、何とかして自衛隊をたたきたいのである。 これは沖縄の新聞が顕著であり、今でも11万人集会や、住民自決を軍のせいにする報道に現れている。今やこの国のメディアには『報道の公正』なんぞ期待できないのであり、反自衛隊→反政府→反米で一致しているというべきである。この構図から、彼らが“支援”しているのがどこの国かは明瞭である。支援というよりも『手先』と言ったほうが適切であろう。
「なだしお」では、朝日は翌24日付で『潜水艦側に義務?』と小さく書き、天声人語ではいつものように『国民の生命を守るべき自衛隊が何故、これほどの事故を起こしたのか』と書いた。

 毎日新聞は24日付で『海自潜水艦が衝突』と大見出しを掲げ、『優先権、漁船側に』と調査も始まらないうちから書き、『長官進退に発展か』と与党を刺激した。

 続く25日には「潜水艦の回避遅れ」と、今回同様な見出しで煽った。その後医者に扮して救出された「マリンギャル」に取材し、「たすけて!と叫んだが潜水艦の乗員はボーっと立っているだけで助けてくれなかった」といわせた。JAL123便が御巣鷹山に墜落した時も、収容された生存者に医者の格好をして近づき「まだ息のあった客もいた」ごとく言わせ、自衛隊の救助遅れを非難する道具に使った。

 産経も当初は同様であったが、8月4日に「“潜水艦見物”で減速」した「第一富士丸が接近の疑いも」と書いた。更に「操舵室に客を入れていた」「会話で気が散る?」とも書き、9月29日付で衝突「1分前まで自動操縦」だったとも書いた。
 こうしてマスコミの期待どうり瓦長官は辞任し、後任に田沢長官が就任した。

 雫石事件では、時の佐藤首相は「民間機も注意を」と答弁したが、そんな勇気ある大臣は今では一人もいるまい。

 全く変わらないマスコミの「反自衛隊」「反軍」「ワンパターン報道」をご覧になって、読者の皆様はどうお感じになられただろうか?これでも新聞を取りますか?

 今から都心での研究会にでるので、ここでとりあえず参考資料の掲載は終わることにする。ご参考まで