軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

映画「明日への遺言」

 昨日、久々に家内と二人で映画「明日への遺言」を鑑賞した。もっと早く行く予定だったが、体調不良で通院したため、結局一ヶ月遅れてしまった。
 平日のお昼とあって観客は少なかったが、春休みのせいか子供達が目立ったのは嬉しかった。最初に支那事変で「日本軍の爆撃跡で泣き叫ぶ幼児」という、米誌「ライフ」の1937年10月4日号に掲載された、当時ハースト系通信社の上海支局長であった中国系アメリカ人・H・S・ワン(王小亭)が取った宣伝映画が流れたのでがっかりしたのだが、主役の藤田まことの演技はなかなか味があってよかった。
 主任弁護士と主任検察官を演じた米国人俳優もうまかった。何よりも、淡々と事実にもとづいて話が進んでいく構成に好感が持てた。
 東海軍司令官・岡田資中将はこの法廷闘争を「法戦」と名づけて、部下を守るために堂々と戦ったのだが、岡田中将は陸士第23期卒、陸大第34期卒(大正11年)だから、参謀次長の河辺虎四郎中将(24期)や武藤章中将(25期)よりも先輩である。
 陸大教育の特色と功罪については、エリート教育、武徳の養成、戦術教育、戦史教育、参謀教育、大部隊の作戦用兵、戦術教育など、陸軍の最高学府としての教育は充実していたというものの、人事面での待遇、議論のための議論、戦術教育の独走、一般教養の不足、技術関係の教育不足、知的偏重に流れて実践能力が養われないことを恐れ、鍛錬主義・精神主義に徹したことなどが戦後批判されたが、最大の難関である受験合格を目指すため、将校たちに最高度の研鑽を必要としたこともまた事実であった。
 そんな中で、岡田中将が戦場におけるいわゆる一般的な専門分野である「実戦」以外に、「法戦」と名づけた戦いを最後まで継続したことは特筆に価する。つまり、戦いは「砲を撃ち合う」だけではなく、「情報戦」「諜報戦」「謀略戦」など、「火薬を使わない戦い」が重要であって、その意味では「広報戦」や「法戦」は近代戦等において無視できない必須のものといえるであろう。
 ベトナムに圧倒的な戦力で乗り込んだ米軍は、ベトナム側の見事な情報戦、広報戦、政治戦に破れて敗北を喫した。
 つまり、広大な原野での「大会戦」を陸大で叩き込まれた卒業生には不得手であったと思われる、戦後の法廷という「法戦の場」での戦いに、彼は見事に勝ったのである。
 それを支えたものが何であったのか?勿論知識と体験、創造力であったろうが、幅広い人間性が大きく作用したのではなかったか?つまり、自分(司令官)の「命令」に命をかけている部下達に対する「愛情」と「責任感」である。映画はそれを「座禅」で示していたように思う。
 映画のパンフレットの最後には「岡田資中将が命を懸けてまでも伝えたかったこと守り抜いたものとは何だったのか――」とあるが、それは軍人としての誇りであり品格であり、人間としての愛情であり責任感であったと私は思う。
 翻って、個人的体験だけから見ても、戦後自衛隊の各種教育から生まれる守るべき価値観とは何か?防大はじめ、3自衛隊各種学校、いわば「陸大」などでの教育が求めているものは何か?「日本人として命を懸けてまでも守るべきもの」が教えられているのだろうか?と、ふと気になった。
 昨年来続いてきた防衛省自衛隊の不祥事の根源には、案外そこが抜けているのではないか?と思わされたのである。
 淡々と演じられるこの映画は、いわば「裁判劇」だから、傍聴席で見守る役を演じた役者さんたちにとっては苦労が大きかったことだろう。しかし、岡田夫人・温子を演じる富司純子はじめ出演者たちの状況に応じた豊かな表情は、この映画を側面から盛り上げていたと思う。産経新聞などが大々的にバックアップしているから、この映画の反響は大きいと思うが、水島監督が製作した「南京の真実」もあわせご覧になることをお勧めしたい。


 ところで、今朝の産経一面トップに、「北京五輪開会式」「皇族の出席見送り」とあった。日本政府は、「中国製ギョーザ中毒事件や膠着状態の東シナ海のガス田共同開発問題に加え、チベット騒乱など不安定要因が多く、時期尚早と判断した」という。当然である。米下院ではペロシ議長が、米大統領も開会式出席について「ボイコットを検討すべきだ」と発言したという。ヒトラーに政治利用されたベルリン大会の二の舞を演じてはなるまい。
 産経25面のスポーツ面の「甘口辛口」欄に、今村記者が「31日に北京に着いた聖火歓迎式典のクライマックスで、「聖火台に点火したのが胡錦濤国家主席だったのも、五輪の政治化どころか政治そのものに見えた。点火は普通開催都市の市長あたりの役どころだろう。しかし、胡主席のほか共産党幹部が多数出席し北京市長は司会役だったという。中国の大国化の象徴となる北京五輪。・・・なにやら、ユダヤ人差別で批判されながらも、ヒトラーナチスドイツの力を誇示するために開いた1936年ベルリン五輪を思い出してしまう。聖火リレーはそのベルリン五輪から行われ、第二次世界大戦が始まると、ナチス軍は聖火リレーが下調べになったかのように、そっくり反対のコースで侵略を続けた。・・・今回、聖火はチベットの象徴である世界最高峰エベレストに登る。チベットが中国の一部であることを世界に印象付けるつもりか、最大級の政治利用だが、こんなに国際的なイメージが悪くなっては労多くして功少なしの感もある。・・・頼まれてもこの五輪だけは行きたくない」と書いた。
 多分、胡錦濤主席の率いる共産党政権は、政治生命が五輪にかかっているので、彼としては起死回生のつもりであろう。国内の反胡錦濤派を封じるためにも、何としてでも成功させねばならない。そんなこんなで5月訪日は多分キャンセルされるに違いない。絶好のチャンス!その間に、一日も早く我が国の政治が正常化することを期待したいのだが・・・

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