軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

防衛省改革か改悪か?

 防衛省改革会議は、防衛省のさまざまな改革案を示したそうだが、産経新聞で見る限り、「改革」なのか「改悪」なのか私には窺い知れない。
 22日の産経によれば、「制服・背広の混合組織」にし「部隊運用など統合」とある。
「『内局優位』の象徴となっている防衛参事官制度を廃止し、政治任用の大臣補佐官を創設。内局(背広)と各自衛隊(制服)の部隊運用などの主要業務を統合し、制服・背広組の混合組織に改める。これに伴い統合幕僚幹部は新設する『運用(作戦)』部門に吸収、陸海空幕僚監部は全廃も選択肢に規模を大幅に縮小する」という。
 しかし、一連の不祥事が続いたあとだけに、肝心の関係者の発言は「遠慮気味?」ではないのか!確か改革会議のメンバーには「制服組の元トップ」も入っているはずだが、「運用部門のトップには自衛隊最高位の統合幕僚長の起用を想定し、組織の人員も制服優位とする」そうだから、鉄砲も撃ったことがない「背広」が、「運用(作戦)」に携わることは、無益な血を部下に強要する事につながりかねないから当然だから、シビル・アンコントロール」の根になっていた参事官制度の廃止は良いとしても、「事務次官並みと位置づけられてきた統幕長が一部門の本部長・局長格となることで制服組の相対的な地位低下は避けられそうにもない。逆に主要機能が統合される内局側では事務次官の権限が強力になる可能性がある」そうだから、これは一体「改革なのか改悪なのか?」といいたくなる。同じ日の産経5面にはそのつづきが出ているが、「背広」「制服」ともに反発、だというから、それはそうだろう。
 防衛省改革の目的が何にあるか良く分からないが、「情報が上がってくるのが遅い」とか、「背広と制服」の対立だとか、「制服という軍事専門家が、運用から原則排除されている現実」だとか、要するにこのような防衛省の“運用”面での不具合を是正しようというのは分かるが、いたずらに過去の大戦で、軍が独走した弊害を排除しようというような“亡霊”に取り付かれた感覚で議論しているのではなかろうか?と思わざるを得ない。
 その結果、私は「足して2で割る」ような“バランス感覚を重視した”折衷案が出ることを危惧する。
シビリアンコントロール」を徹底させたいのなら、まず「シビリアン(=政治家)自身」が、軍事を勉強すべきであって、それもせずして官僚に「まる投げ」しているから弊害が出るのである。保全体制の不備だって「制服」だけの責任ではない。防衛調達の不透明さにいたっては、その殆どが政治家と官僚の癒着、それに若干の制服組が「関与」していたのが実態だろう。そんな大本を知らない方々が、机上の空論、とまでは言わないまでも、頭でっかちな裁定をしようとするからギクシャクするのである。
 5面の記事には、2月末に改革推進チーム内に三つの論文が配布され、「内局が大臣補佐を名目に軍事的事項にまで介在する現行の制度を『世界に例がなく、軍事的適合性を欠く』と批判したため、『内局潰しだ』と憶測が飛んだ」という。
 他方、制服組トップの統幕長が事務次官より格下の局長ポストで運用(作戦)部門の長となる可能性が強く、省内には違和感を覚える向きもある」というから、双方一両ならぬ「百両損」になり兼ねまい。
 最高指揮官である福田総理は、連休中の4日に都内のホテルに石破防衛大臣を呼び、改革案の説明を受けたそうだが、「首相の隣には外交ブレーンである五百旗頭防大校長が控えていた」そうで、氏は「石破大臣が提唱する背広、制服混合案には慎重な立場」と記事にはある。何と無く“胡散くさい”感じがするが、国家安全保障の根幹をこの程度の論議で決定してもいいものか?高齢者医療制度法案も大問題になっているが、安全保障はそれよりはるかに国民に影響するものである。
 
 ところで現在の自衛隊将官の階級には「将」と「将補」の2種類しかないが、実際は3種類で、「将」の「幕僚長」の4人だけを、星の数で「区別」している。最高位の「将」は星3つと定められているが、幕僚長は同じ「将」でも星4つなのである。
 これはその昔、某航空幕僚長が訪米時に、勝手に?星を持っていって、米国到着時にひとつ追加して「4つ」肩につけて訪米したのが始まりだが、それは規律厳しい「軍隊」では、星の数がものを言うからである。つまり、日本の最高位の幕僚長が、訪米時に三ツ星では「中将待遇」であり、「大将待遇」は受けられないからである。
 この星一つの差は、軍隊では実に大きいから、表敬する相手の人選もそれ相応しか望めないし、接する情報もそれ並みのものでしかないのである。だから某幕僚長は、星をポケットに忍ばせて訪米したのである。勿論、帰国時には3つに戻すのだが・・・
 それが内部規定で改正されたのは、私が防代の学生時代であった。それ以降、我が国には同じ「将」の階級内に「大将」と「中将」が混在するようになった。
「警部補」のような「将補」と云う「少将」の呼称も馴染めないが、もっと酷いのは「1佐」である。1佐は「大佐」のことだが、官僚との給与面でのバランスをとるためと称して、給与表上で(1)(2)(3)の3つに分類された。つまり、“1級”大佐と“2級”大佐、“3級”大佐の誕生である。しかし1佐の階級章はみな同じだから、外見からは区別できない。「制服組」ではこれを階級内階級「松、竹、梅」と陰口をたたいている。
 つまり、世界の軍隊の常識を無視し国内のいびつな軍事常識で機構を変えると、それに伴った不具合が続出することを私は言いたいのである。
 仮に制服組最高位の統幕長が、星4つをつけた「将」であったにせよ、防衛省の一「局長」に過ぎなければ、外国はそれ相応の対応しかとらない。訪米時に米国務省国防省は、日本から来た“星4つ”の「局長」さんにどんな対応をとるのだろうか?
 それとも統幕長の呼称は消滅するだろうから、運用局長として星二つになるのだろうか?仮に局長を星三つにすれば「背広組」の局長も「将」待遇だということになる。そうなれば在日米軍司令官のほうが位が上になりはしないか?軍には「先任順」というしきたりもあるから、同じ階級だとすれば表敬時には「どちらが先任なのか?」の確認と席順も問題になろう。どちらが「上座」に座るのか?である。
 最も、昨年来訪した中国のフリゲート艦「深セン」号の指揮官は海軍少将(星2つ)だったが、海上幕僚長(星4つ)が遜って?表敬乗艦したというから、制服組自体が軍事感覚が麻痺しつつある・・・と言ってしまえばそれまでだが。
 国家存立の基幹をなす安全保障問題に“素人”談義は禁物である。ましてや官僚制度と同様な感覚で武力組織である軍の機構を改革すれば後顧に憂いを残すことになろう。
 丁度「福田恒存評論集(第3巻):平和論に対する疑問」が届いたところである。帯にもあるが「“文化人はだめだ、平和論にもそれが現れてゐる。”という福田恒存氏の嘆きが聞こえるようである。御一読いただきたい。(麗澤大学出版会:¥2800+税)


どこで日本人の歴史観は歪んだのか

どこで日本人の歴史観は歪んだのか

将軍たちの遺墨―封印された敗者の遺言

将軍たちの遺墨―封印された敗者の遺言