軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

入院日記 第2幕「最終章」

 退院したKさんの後に、青年が入ってきた。学生らしく、母親が付き添っている。看護婦が「声の大きい方がいますが我慢してくださいね」というと、Sさんが「それは私で〜す。声がでかくてスミマセン」と言った。点滴中の青年は無言、鬱?らしい。
 消灯時間になると静かなもの、3階の比ではない。

 6月5日木曜日、とうとう一週間が過ぎた。看護婦が「佐藤さんは今日胃カメラですから、食事は済んでからにしましょうね」と言った。
 10時に点滴に看護婦が来たが、「内視鏡が終わってからにしましょう」と点滴棒を置いていった。
 10時過ぎ、2階の検査室で胃カメラを飲む。現役時代には挿入が下手な技師がいて、飲み込むまでに時間がかかり、まるで産卵中の海亀のような苦しみを味わったものだが、この病院のI医師は実に上手い。あっという間にカメラは十二指腸に到達したが「あれっ?これは一体どうなってるんだ?外科を呼んで!」という声に緊張した。
 すぐに外科医のK医師が駆けつけ「どうした?」という。「血管がない」「エッ」「この辺が赤くなっているからこれが血管かな?」「場所が違うんじゃないの?一寸最初の写真持ってきて」
 助手が持ってきた入院時の写真を見ているらしく、「おかしいな、確かにここだが・・・」「こんなことってあり?」「信じられない」「一寸鉗子で押してみたら?」「あっ血が出た、やはりここだ」「あれっ、血じゃない。赤くなっただけだ。でもやはりここだよな〜」どうも入院時に破れて浮き出ていた血管をクリップで止めた箇所を捜しているらしい。「肉が血管を飲み込んだ?」「元通りってわけ?」「信じられないが、それしかいえない」
 K医師が「佐藤さん、入院してきた時の傷がないんです。クリップもないし・・・もう少し我慢してくださいね、捜してますから」「やはり直っていますね、これ以上何も出来ませんから一応全部検査して終わりにしましょう」
 そういうとI医師が徐々に内視鏡を抜きながら検査してくれている。
「胃袋も綺麗なほうです・・・、ハイ、終わりました。佐藤さん、これ以上処置することはありませんので、どうします?退院しますか?」
「勿論」「じゃあそうして下さい、何時にしますか?」「今からでもすぐ・・・」「そういわずに、折角お昼から5分粥になるんですから、食べていってください。退院は午後にしましょう。よかったですね」
 K医師が戻ると、内科のI医師が写真を見比べながら縷々説明してくれる。
「入院時はこんなだったんですが、今日はこうなっていて、すっかり痕跡が消えています。このあたりの少し赤みがかったところが痕跡ですが、異常はありません。しばらくは薬で様子を見ましょう」
「食事制限などはありますか?」
「胃袋ではないので特にありませんが、ただ、食物がここを通ると言うことを忘れないで無理しないようにして下さい。よかったですね。佐藤さんとはこれで確か2回目ですが、もう縁切りにしましょう。もう来ないで下さい!」
「いや、I先生は上手いので、又来たいですね」助手が吹き出した。
 こうして無罪放免!11時に4階に戻ると、看護婦が「佐藤さん、退院ですってね、よかったですね。これ必要ないから点滴棒持って行きます」

 家内に連絡、2時に迎えに来てもらうことにする。
 暖められた朝食の3分粥、味噌汁、オムレツ、ジャガイモ、牛乳が届き、すぐに昼食の5分粥、鮭のキャベツ添え、カリフラワー、味噌汁、ヨーグルトも届く。
 天に感謝、地に感謝、人に感謝しつつ、30分かけてゆっくり食したがようやく通常人に戻った感じがした。
Sさん「佐藤さん、退院だって?よかったね〜」
Yさん「何時から入院してたんですか?確か十二指腸潰瘍でしたね」
私「29日からです。丁度8日目」
Yさん「十二指腸潰瘍だったらそんなに早く治るわけないんだがな〜、2週間以上かかるはず・・・」
私「入院見込みは二週間と最初の診断書には書いてあります」
Yさん「そうでしょう。でも直ってよかった、おめでとうございます」
私「どうもありがとうございました。SさんとYさんの面白い“漫才”を聞いて過ごしたもので、血の巡りが活性化したんですよ。病は気からと言うでしょう。お二人の話は本当に面白くて、実に楽しい入院でした、感謝します!」
Sさん「この部屋は回転寿司屋みたいなもんで、次々に出て行くんだよな〜。俺たちだけだぜ、全然売れないの、俺なんかもう4周目に入った売れない鯖寿司みたいなもんだ」
私「Sさん、先日中支の話をしていたおばあさんの名前知ってますか?」
Sさん「名前は知らないッすよ、小柄のばあさんで、今日なんでも孫が迎えに来るとか電話してたが・・・」
 彼女の体験談を聞くことが出来ないのは残念だが、1330に退院準備する。
Sさん「佐藤さん、奥さん何時に迎えに来るの?」
私「2時の予定・・・」
Sさん「そう・・・、今日は俺んとこには涙の連絡船は来るのかな〜」
Yさん「涙の連絡船?」
Sさん「お袋のことよ」
Yさん「涙の連絡船か・・・上手いこと言うな〜」
わたし「Sさん、おふくろさんを大事にして下さいよ」
Sさん「ハイ、だってしょうがね〜よナ、たった一人のお袋なんだから」

14時、「よかったわね、退院できて」と言いながら家内が迎えに来た
Sさん「奥さんは?」
私「エッ?これが家内・・・」
Sさん「エッ〜娘さんじゃないの!?若い〜!」
家内「・・・♪♪」

 8日ぶりに帰宅し、早速お守りを頂いた神社の神主に電話で退院を報告した。
「よかったな、まず尾頭付きの魚、鯛でなくても鯵でも何でもいい。それに野菜4種類、果物4種類を神棚に上げてお礼しなさい。30分も上げたらそれを料理して今日の夕食に頂きなさい。すっかり元気になるベ。あっ、一寸司令さん、そのままじっとして」
 受話器を持ったままじっとしていると、「今お祓いしたから・・・おばあさんの霊がついていたから」と言った。3階で一緒だったあのおばあさんかな〜とチラッと考えた。

 こうして8日間の「闘病生活」に終止符をうったのだが、実に貴重な体験だった。今の日本にも、SさんやYさんのような天衣無縫な人たちがいることと、笑いは病に勝つことを身にしみて感じた。今の日本には、何ともギスギスした雰囲気が充満していて、笑いに乏しく、ストレスがたまり潰瘍になる悪条件が蔓延しているから、日本人の大半は「笑う角には福来る」という言葉を忘れている!
 また、8日間で点適量は約20リットルだったが、私の体重を60Kgとすると、全血液量4・6リットルの4倍以上になる。血液が透明にならなかったのが不思議なくらい点滴液を補充したのだが、抵抗力は確かに落ちた。おそらく赤血球や白血球、血小板などの組成に変化があったからだろう。蚊にさされてもすぐに化膿するのである。
 その上退院2週間後に視力が急に落ちて、眼科に行くと「閃輝暗点」だろうと診断された。「電光のようにギザギザした光の波が四方に広がる現象」を体験したのだが、眼底検査は異常なし、これは「脳の後ろの部分にある血管の一時的な痙攣によって、血液が一時的に不足して起こるのではないか」といわれている現象だそうで、次回からは「脳神経科」に行くように、と言われた。戦闘機乗りだった私に言わせれば、オイルやハイドロを新品に交換した時起きる一時的ハイドロ漏れ?のようなもの、つまり血液の内部組成や粘性が大きく変化したので血管が一時的に痙攣して起きたものではないか?と考えている。
 要するに人間、70年近くも生きてくれば老化は防げないもので、いわば自然現象の一つ、人体も車も航空機もその構造上同じことが言えるのではないか?ポンコツになれば、パイプの一部が異常振動することはありえる!
 現役時代「任務第一」「修養第一」「健康第一」を唱えてきたが、これからは「健康第一」で無理なく過ごさねばならないと改めて考えた。

 以上で、軍事評論家ならぬ「世相評論」の体験談連載を終わることにするが、これからは、1人で悲憤慷慨することなく、SさんやYさんの会話を思い出しつつ, ユーモア交じりに世情を切ってやろうか!と思っている。

平和はまだ達成されていない―ナウマン大将回顧録

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これだけは伝えたい 武士道のこころ

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