軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

昭和46年7月31日付「将校日誌」

「腹切り」などと軽々に口に出すものではない。私も若い頃は「腹を切って責任取ればいいのだろう!」などと粋がって軽々に口にしたものだ。しかし雫石事件の事後処理中に、組織の混乱を利用?して己の出世を狙っている高官がいるのを知って刺し違えてやろう、と考えたことがあった。その後腹を切ればよい、として、その練習を深夜の官舎でやったことがあるが、作法どうりの切腹では死に切れないことを痛感、中途半端で無様な姿を曝すべきではないと、断念したことがあった。
 家内は丁度長男の出産準備で不在、深夜の官舎で独り「護り刀」の刃先を見ていると、むしろ冷静さが甦ってきて、単独での腹きりが如何に難しいものかを知った。それ以降、私は気安く「腹を切る」とは言わないようにしている。
 ブログ上での私に対する苦言は一向に構わないが、大先輩に対する無礼な発言は許せない。荒井先輩よりも人格的に優れていると自覚するなら別だが、そうでなければ霊に対して謝罪すべきである。


 今日は7月29日、間もなく37回目の7月30日を迎える。
 昭和46年7月30日、この日は同僚教官のT1尉と築城基地に操縦者追跡調査を兼ねた航法訓練に出張していた。着陸直前に「ベイルアウト・・・」というヴォイスが入り管制塔に在空機を訪ねたが、築城基地はノーフライ、何だったのだろうか?と疑問に思いつつ飛行隊のフライトルームで雑談しているところに事故の第一報が届いた。
 しかし、浜松の飛行隊でも事故の詳細はつかめておらず、計画通り行動するようにいわれたが、すぐさま自衛隊機の飛行は制限され、浜松への帰投が出来なくなった。宿泊費が出ないので福岡の自宅に向かったが途中であらゆる夕刊を購入、翌日も早朝から新聞各紙を購入して情報入手に努め、私の所感を書きなぐったのが次の箇条書きである。

1、報道陣の態度は野次馬根性なり。質問の権利とは何ぞや?
2、社会党石橋書記長の態度は(事故の)詳細も知らぬくせに軽々しく政治ゴロの感強し。必ず国を誤る。
3、「政府、自衛隊は責任回避」というも、真相の不明なる間は慎むべきが当然ならずや?記者連中は喋り捲ることを任務とし、無言は商売にならぬためそういう。
4、空自はいつも陸自の世話になる。申し訳なし。(岩手部隊の捜索活動)
5、何か事故あらば、必ずその道の専門家?が顔を出す。
6、自衛隊はますます孤独になり無言になり、ひねくれ者になってゆく。これは将来恐るべきことなり。すなわち、対外より対内的に疑いを持ち備えることになる。本末転倒。これは社会党など野党、マスコミ、一部国民、進歩的文化人憲法に対する政府の態度などがそういう風に徐々に仕向けていきつつあるように思われ、恐るべき予感がする。
7、自衛隊は当事者として、その落ち度は十分認めるが、報道陣はそれを強調することにとらわれ、事実の客観性を欠くところあり。
8、I候補生(追突された訓練生)のベイルアウトは奇跡であり、着地時などは訓練の成果と認める。
9、当事者としては、このような際軽々しく発言すべきにあらず。誘導尋問にかかり、真相を見誤る恐れ多分にあり。荒井司令の処置は当然であり、報道者に真相を聞きだす権限はない。(着陸した教官を当時の松島基地司令はそのまま記者会見に出した。上司でありまず状況を聞きだす責任がある荒井司令に報告することもなかったため、荒井司令はやめさせようとしたが、記者会見は基地司令の専任事項だとして無視され会見したのだが、事故調査も始まっていないことから、荒井司令が質疑応答を中止させたため、記者団から猛烈なクレームがついた)
10、航空路(民間航空路なるものは存在せず)は、自衛隊機は絶対に通過してはならぬという考えで討論している。これは討論の基盤に立たぬものなり。
11、自衛隊基地(航空路下の)が問題になるならば、民間機のルートを設定して自衛隊基地の帰投用施設を使わぬことである。(終戦後、占領した米軍が軍の飛行場を管理したため、航空基地には必ず帰投用無線施設が設置された。米軍はその無線施設を結んだものを航空路として使用したため、必ず自衛隊基地が航空路の下になった。民間機もその航空路を利用したから、無知な航空評論家がばかげた発言をしたもの)政策不在!
12、I候補生個人はもとより、家族の悲痛も考えるべきである。“自衛隊”の悲劇!彼は「犯人」にあらず。(むしろ被害者であったことがその後証明された)
13、教官の指導力の強化(部下に対する緊急時の適切な指示など)
14、ご遺族の心中は察するに余りあるも、“自衛隊さえなければ・・・”の言は、「民間機さえなければ・・・」なることに通じることにして感情論なり。
15、何も知らぬものに限って知ったかぶりをする。厚顔無恥なる評論家先生!
16、政策―施策、全てが“予算”に制限されたる貧乏人根性が、運用・指揮面に表れ、後手後手に回りたる。日常の鎖国的発想法が知らず知らずのうちに滲み込んだ日本人の宿命か!
17、「治にいて乱を忘れず」
 軍は太平の世に溺れてはならず。しかし、大衆は必ず溺れる。溺れる故に戦時を嫌う。嫌っても来る時は来る。それを予測し防ぐのが軍の任務なり。
 故に軍は、国民に太平と安逸を満喫させておき、自らは臥薪嘗胆!、国民を表に出しておき自らは縁の下の力持ちの心構えにて「忍」の一字を持って犠牲となる覚悟を持つべきなり。

 今から37年も前の、私が1等空尉時代の“たわごと”である。

自衛隊よ胸を張れ

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