軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

四方波高し!次期首相に期待する

 今朝の産経「主張」欄は、「高まる中国の脅威直視を」と題して「平成20年度版の防衛白書は、中国の軍事力近代化により『地域や日本の安全保障に如何なる影響を与えていくか懸念される』」と強調している。他方、「日本の防衛力整備は抑制された状態が続いており、現実の脅威への対応は十分とは言えない」として、「中国、ロシア、北朝鮮など周辺諸国が防衛力や兵器開発を強化する中で日本だけが立ち遅れかねない状況が続いている。これで日本の安全が確保されるのかどうか、検証を急いでもらいたい」と書いた。

 19年度版白書の第3部「我が国の防衛のための諸施策」第3節には、「本格的な侵略事態への備え」として、3自衛隊が行う「防空(空自)」「周辺海域防衛(海自)」「わが国領土の防衛(陸自)」作戦が図示してある。着上陸侵攻対処のための作戦の一例を見れば分かるように、この図は一見最もな図のように見えるが、人口密集地帯を抱えるわが国の「着上陸作戦」は、幾多の困難を抱えるのは必定であり、第一、この図のような“障害物がない広大な上陸適地”に敵が侵攻してくるとは思われない。これはあくまでも「演習概念図」であろう。大東亜戦争終結した8月15日以降も、ソ連軍は樺太に上陸するため、人口密集地の真岡に艦砲射撃を加えつつ上陸してきた。

 わが陸自が迎え撃つ着上陸適地である“過疎地”がどこかは不明だが、気になるのは図の中に「地雷原」「上陸阻止用水際地雷原」の文字が見えることである。
 軍縮を平和国家のシンボルのように考えているわが政府は、既に「地雷禁止条約」に署名したし、クラスター爆弾の使用禁止にも同意した。しかし、この図には着上陸した「敵」に対して、わが空自戦闘機部隊が、果敢な空爆を行っている図があるが、クラスター爆弾を禁じられている以上、一発必中の「誘導爆弾」を広範な上陸部隊に投下するのだろうか?
 何と無く前時代的な図上演習を思い出す。大東亜戦争時代のような、百年一日の如き戦争を考えているのだとしたら、防衛省自体もいささか「マンネリ」になっているのではなかろうか?と心配になる。
 ソ連の脅威が減じたとは思わないが、不透明な中国の軍事力増強の影響をもろに被るのは南西方面であり、ここは島嶼地帯である。勿論、「島嶼部に対する侵略への対応」として、「事前に兆候を得た場合」と「得られなかった場合」に分けて、「撃破するための作戦を行う」となっているが、果たしてどのような「実効性ある」作戦を考えているのだろうか?
 産経は「クラスター爆弾禁止条約の枠組みについては『積極的に貢献する』としたが、日本の安全保障に大きな穴が開くデメリットについて説明がないのは物足りない」と締めくくった。
 白書はあくまでも役所の文書に過ぎないが、戦争は物理的行動を伴うものであり「絵に描いた餅」とはわけが違う。現にグルジア紛争でロシア空軍は『クラスター爆弾』を使用しているという。次の最高指揮官が誰になるか分からないが、少なくとも福田氏のような『穏健派』ではないことを祈りたい。『人が嫌がる行為=敵の裏をかく』の連続が『戦争』だからである。
 19年度版と比較して20年度版を読むのが楽しみだが、産経の19面『eye』欄に、心理学者の岸田秀氏が、「福田首相『客観』と無念」と題して、『あなたと違うんです』発言の裏に潜む心理を分析しているのが面白い。
 発言は、政治の裏に潜む『内的自己(外界との関係から不可侵の領域)』と『外的自己(外界と直接関係する領域)』の葛藤だと分析し、例えば「日本は真珠湾攻撃で葛藤の解消を図ろうとしましたが、結果はご存知の通りです。戦後は『内的自己』を抑圧して『外的自己』によって対米関係を維持していく道を選びました。しかし『内的自己』は消滅したわけではありません。日本人の中にずっとうずき続け、ことあるごとに頭をもたげてくる」、つまり「歴代首相はこの宿命に翻弄されてきた」というのである。

「たとえ首相の決断が国益を考え抜いた末のものであっても、それが安易に『外的自己』を優先したように映れば、国民の不興を買う。『国家という共同体幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。その点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います」
 これを聞いた桑原記者は「対米従属ともいえる姿勢を貫いた小泉純一郎首相が5年5ヶ月も政権を維持できたのは、靖国問題をめぐり中国に対して日本のプライドを強く主張することで『内的自己』を満足させたからだといえる。対して福田首相は、対米従属路線は支持した上で、中国との関係も重視、靖国参拝は見合わせ、毒ギョーザ問題も追及しなかった。国民の『内的自己』を満足させることは出来ず、支持率が低迷したのは当然のことだったのかもしれない」と書いたが全く同感である。
『虻蜂取らず』『二兎を追うものは一兎も得ず』の典型であった。だから上坂女史は『靖国に参拝しなさい!』と助言したのだったが・・・。安倍元首相についても同様であった。『美しい国へ』の中に安倍氏はこう書いている。
「『闘う政治家』とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家のことである。『闘わない政治家』とは、『あなたのいうことは正しい』と同調はするものの、決して批判の矢面にたとうとしない政治家だ
 靖国問題についても縷々正論を書いているが、「一国の指導者が、その国のために殉じた人々に対して、尊崇の念を表するのは、どこの国でも行う行為である。また、その国の伝統や文化にのっとった祈り方があるのも、ごく自然なことであろう」と明言していたにもかかわらず、指導者になったとたん「豹変した」と国民は捉えた。その裏に何があったかは推測の域を出ないが、「外的自己」を優先し、「うずき続け頭をもたげていた」「内的自己」の不興を買ったのだ、と私は思っている。しかも、巧みにその葛藤を裁いてきた前任者の小泉首相と比較されたのだから、結論は見えていたようなものでもあった。

 岸田氏は言う。「次に誰が首相になろうと、『外的自己』と『内的自己』の葛藤という宿命に翻弄されることは間違いありません」
 葛藤を解消する道は「一番簡単なのはアメリカと戦争をして勝つことです(笑)。しかしそれはあまりにも非現実的。今の日本には、アメリカの衰退を待つことしか道がないように思えます」と岸田氏は指摘する。
 示唆に富む記事だが、四面波高い今、アメリカと戦争して勝つことは勿論「非現実的」だが、周辺の敵性国家と「戦争」しても負けることのないような備えをし、「外的自己」と「内的自己」の葛藤を旨く裁くことは可能であろう。
「批判を恐れないで闘う政治家、勇気ある次期首相」の登場を期待したいものである。

社会の再発見と社会の防衛

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