(前回までは2001年の紀行文を掲載したが、ついでだから2003年分も掲載しておこうと思う。あくまでも私個人の『メモ書き』に過ぎない事をお断りしておく)
平成15年10月10日(金)〜13日(月)参加者10名
10月10日(金)日本…晴、樺太…雨
0745羽田空港発(JAL-541) …0945函館空港着
1030〜1120 空港ロビーにて打ち合わせ
1120〜出国審査
1200(HZ-142) AH24PB RA47366号機(30座席)座席番号3A
1240〜1300機内食(函館空港サービス製・和食弁当+ビーフシチュウ)
ワインサービス!蠅が飛んでいた!
機内パンフレット(САП1 АВИАКОМПАНИЯ)
1600( 現地時間=+2h…サマータイムとのこと)豊原空港着……15℃雨
入国審査に40分!(荷物の手渡しまで30分)
1640空港発…韓国製のマイクロバス
運転手=ミーシャ(ロシア人)。マイクロバスの中も蠅が飛んでいた!
ガイドさんの経歴 昭和15年樺太生まれ。朝鮮半島南部出身:地質調査員(給料は3 か月遅配)だがアルバイトで生計を立てているとのこと
*王子製紙は破産した由。
*樺太は停電が多い。
*マイクロバスに韓国製が多いのは「左ハンドル」だから。ロシアでは、営業用の車(バス)は左ハンドルに指定
*現在のサハリン州の人口は586、300人
*ユジノサハリンスクは約18万人
*真岡は42、000人
*車の総数は約30万台(そのうちの約90%が日本の中古車)
1700換金
*100$=3000ルーブル
*市内には中国人が目立つ。
主として畑を借りて農業に従事。中国人バザールが増えた由
*中国人犯罪は目立たない。その理由はロシア人の方が凶暴だから。
1750豊原駅に隣接した「ユーラシアホテル」着
*駅舎の時計には「針」がなかった!
48号室にI氏と同宿
1800〜1920夕食…レストラン・スラブァンカ(2年前と同じ場所)
*市内には花屋が目立つ
1930ホテル
*スリッパがあった!
*風呂の排水パイプ、接続不良で漏水。
*備え付け家具類の造りが極めて大ざっぱ。扉が閉まらない。
*テレビの電源コードが短く、ロッカー扉開閉困難!
*窓のカーテンは両端のみで、中央はレースのカーテン。飾り?
*トイレットペーパーに「ミシン目」があったが幅は2cm狭い!
*バストイレはTOTO製のバスユニットだが、換気扇がついていないので天井版が ずらしてある。消臭剤の「その後に!」は必需品!!
*パジャマは必要。(2年前の「サハリン札幌ホテル」には備えてあったが…)
* エレベーター(二人乗り)は貧弱!…6人のったら10?下がり過ぎて扉が開かず!
2330就寝
10月11日(土)曇り時々雨。朝薄日さす
0711起床
*NHK/BS放送はノーカラーで写る
0805朝食。食堂にも蠅が飛んでいる!
〜0935『朝食後のミーティング』
#樺太出身太田氏の解説(細部は氏の著書「樺太回想録」を参照のこと)
*中学生まで樺太にいた。現在朝鮮人は約4万人住んでいる。
*昭和19年以降、3〜4000人が“徴用”で渡樺。当時日本政府は3倍の賃金を支 給していた。
*それでも時々“脱走”はあった。その時は山狩りが行われたが、ごくごく一部であ った。監視には約500人が当たっていた。
#ガイドさんの自己紹介
*両親が昭和10年に“徴用”で樺太に渡った。
*それ以前の人の多くは“一旗組み”だと聞かされた。
*苦労して通信教育でハバロフスクの大学(無料)を卒業。
*子供は男2人。
長男は30歳、シベリア1中・ノボシビルスク電気大学卒だが就職先がなく失業中。 次男は28歳、師範大学卒業“フリーター”11月2日に結婚する予定。
*主人は地質技師だったが、5年前に没。
*年金生活13年だが、ソ連時代はほぼよかったが、ペレストロイカ以降は年金では食 べていけない。そこでガイドを10年やっている。
*大学生で成績の良いものは、みちのく銀行がスポンサーになって2〜3名日本に留 学(交互に)している。
*みちのく銀行は、身体障害者用の車2台を寄贈してくれた。
*サハリンには5個大学がある。国立師範大に語学部がある。他の4校は“私立”大 学である。
*Q;年金生活者の楽しみは?
A;一般的に老後のツアーだが“夢”である。
*年金開始は男性55歳(国から手当て)、女性50歳(気候が厳しい)。
*給料は大陸の2倍だが、物価も高い。
*サハリンの現在の問題点は、年金生活者にとっては「金」。若者にとっては「仕 事」である。
*Q;韓国への移住は?
A;条件は?60歳以上?二人となっているから子供を残さなければならず、「家庭 が崩壊」するから非現実的である。
1000真岡へ出発(行程は約2時間)…外は12℃。予報は15〜16℃時々雨。
1015バザールで残留朝鮮人の夫人から「花束」を購入。250 ルーブル
花屋のほとんどが朝鮮出身のご婦人達で日本語が達者であった。
*市内はずれの道路は荒れ果てて水溜まりだらけだが、真岡…豊原間の道路は「舗 装」されている。
*木造の廃屋?が目立つ。
*大韓航空機撃墜事件は、当時は「スパイ機」だと知らされた。(ガイドさん)
*1990年代は「無政府状態」であった。(サンタホテルの件?)
1030「並川」を通過。
*外は「紅葉」、霧、途中から2車線のアスファルト道。
*道路脇では中国人達がキャベツなどを売っている。
* 中国人は「白菜」「大根」キャベツ」などを、農園を借りて作っている。良く働 く。
* 北方4島の住民は缶詰工場が5年間無給で“石器時代”のような悲惨な有様で、色 丹島を含めて日本に返還すべしという声が100 %高まったことがあった。('69年?)
* 国後島でも50%が返還、20%が共同、10%が反対。択捉島では50%が返還であっ た。
*その後、色丹島が日本の援助で豊かになると、返還の声は立ち消えになった。
(日本は何を考えているのでしょうねえ!)
*ガソリンの値段。高いものは13ルーブル/L、軽油11ルーブル/L
*サハリンの残留日本人数は、3世を含めて約500 人。
*森林の風景は北海道によく似ていて、紅葉が美しい。
1055留多加を通過…太陽が覗く
*サハリンの人口密度は7人/平方Km
*平均寿命は男性が50才、女性が60才。
*114 人種。ロシア、白系ロシア、ウクライナ人が主力
*結婚問題
?ロシア人男性と韓国女性……離婚しない。
?韓国人男性とロシア人女性…すぐ離婚(働かない!)
いずれにしても「混ざりっ子」は悲惨
1120路線バスと擦れ違う(30分おきに一本とか)。左側に鉄道鉄橋(日本時代のもの)
*畑が続く(キャベツ。赤ビート。ジャガ芋)
*ダーチャ(別荘)が見える。ロシア人の夢!
ただしマフィアと結びついた凶悪犯罪が多く、ダーチャごと焼き殺す事件が多いと いう。
*1130、77?標識を通過。
*1135霧が出てくる。
*1140熊笹峠を下る。紅葉が見事、特にななかまどの「赤色」。
この地帯は1945年8月20日に、艦砲射撃後真岡に上陸した混成約一個旅団のソ連軍を、逢坂にあった歩兵第25連隊が迎え撃ち、激戦を交わしたところである。22日、終日彼我激戦を交えたが、連隊長は「俘虜となるも停戦すべし」という師団命令を受けて、軍使を派遣したがソ連軍に全員射殺され、連隊長自ら停戦交渉に当たり漸く停戦した場所である。英霊の無念を思うと、ソ連軍の残虐行為は許せない!
【続く】