軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

樺太紀行2003(その3)

1900〜2020夕食「レストラン…МОРЕПРОАУКТЫ РЫбА」
  *FISH SEAFOODと看板に書かれた、レストランとスーパーが隣接した店
 
 #Y氏の略歴と思い出話
  *昭和2年生れ旧日本国民。ソ連抑留3年半。家族は1姫2太郎。孫は女系で一人っ子とのこと。韓国に帰国することは家族離別になるから帰国しない、という。
  *朝鮮人樺太に残留したのは、朝鮮人は「戦勝国人」だったからである
  *コルホーズでのロシア人は働かない。それは働いても自分のものにならないから。3俵芋がとれるのに、2俵しか収穫がない。悪平等であった。
  *ブレジネフ時代は、物が豊富で良かった。
  *スターリン時代は、集会もままならなかった。ある時、旧制中学出身の朝鮮人仲間10人が集まって、同窓会をしたことがある。写真が得意なK氏もいて、日本の歌や軍歌を歌ったらKGBに踏み込まれて集会目的を調査された。3人以上集まれば彼等の耳に情報が入る。隣人にも心を許せない。
  *ロシア人は朝鮮人に借金するが返済しない。
  *しかし、私はある人に5000ルーブル貸したが、諦めていたところ、3年後に彼が返済してくれた例もあった。


  *ガイドさんが「ここのスーパーのキャビアは安いのでお土産にどうぞ」と言ったので、スーパーで買い物。品物豊富。キャビアの瓶詰・大が650,小が325 ルーブル
  *ホテルに隣接したレストランでは、昨日も今日もパーティが催され、大音量の音楽に会わせてディスコで賑わっている。


 2030ホテルに帰り、ロビーで引き続きY氏の話を聞く。
  *Q;スターリン時代について
   A;共産党員大学出身者以外は出世無し。
  *党から送り込まれた党員による見張りが厳しかった。例えば、会社社長も重役も見張りのもとにおかれ、全ては彼等の手に掛かっていた。
  *プーチンも秘密警察出身だが、しかし昔にはもう戻らないだろう
  *現状は「政治には満足、経済には不満」というところ。
  *ここでも、ソ連時代よりも経済は不況だが、言論の自由は何物にも変え難い、と強調した。
  *鹿島建設がガス事業に加わっているが、どうなるか…
 2240就寝


10月12日(日)
 0700起床。晴6℃、月が出てい窓から見ると街灯が結構点灯している。
 0800朝食。白パン、バター、ハムエッグ(またはスクランブルエッグ)、ミネラル水、紅茶と変わらない。
 
〜0940ガイドさんと食後の打ち合わせなど。そのときの話の一部。
  *プーチンはサハリンに2度来たがエリティンは全く来なかった。
  *共産党時代は乞食は“いなかった”。強制的に退去させられていたから。
  *サハリンは、年金支給開始が大陸より5年早い。
  *12月9日が、サハリン州知事の選挙である。
  *残留日本人数は不明だが、朝鮮人は約7万人(朝鮮人会に入会していない人も含めると)住んでいる。 

 1000ホテル発、「サハリン日本人会(北海道人会)」を表敬訪問
  *アパートの2階に事務室があり、北海道の地図が壁に張られていた。出席者は、
   ○N氏(会長・3世?)
   ○S氏(副会長・昭和14年亜庭生れ)
   ○Uさん(大正12年北海道生まれ)1歳半の時に父について渡樺
   ○Kさん(昭和4年豊原市大沢生まれ)
   ○Uさん(昭和7年豊原市生まれ)
   ○Kさん(昭和8年敷香生まれ)父は木材業。
出席者の話
  *文化習慣が違う。
  *今までは日本を「悪くて遅れた国」だと教え込まれた。
  *日本をここから見ると、米国についていったから発展したのだと思う。
  *日本人協会は1990年に400 人の1世によって発会した。現在は1世は190 人、2・3世が360 人である。
  *日本の割り箸の8割はサハリン産である。
  *日本人は働き過ぎである。日本とは金の価値が違う。
  *3人家族であれば最低500$(1$=30LB・\55000) で生活出来る。
  *アパートは、約80ヘーベの広さで2500lb〜3500lb。平均的に2部屋4人住んでいる。
  *年金は、男性55才、女性50才から。炭坑夫は45才で支給。平均1500〜1700lb
  *一時帰国では10日間滞在可。

 1100時間調整で土産物屋へ
 1130韓国人協会を表敬訪問
  *会長・К氏(1946年生れ)が面談。ロシア語・韓国語で説明。
(ガイドさんが通訳)
  *Q;サハリンでも南北分離か?
   A;一つの社会を形成している。祖国統一は願っているが…
  *Q;国籍は?
   A;ロシアである。ただ3500人(1945年8月生れの1世)が帰国希望。勿論2世にもいる。現在会員数は約35,000人。
  *Q;北との交流は?
   A;北から仕事で入国し、南の離別者と会いたがるので協会が協力している。今までに従兄弟同士を2人探し出した。
  *Q;脱北が可能では?
   A;希望を持っている人は多い。
   Q;何らかの役割が果たせるのでは?
   A:ノーコメント
   Q;「強制連行」について(同行グループの学生が「皆さんは強制連行できたのですか?」と質問)
   A;誰がそう言った?(と気色ばむ場面も)
    (ガイドさんが韓国語で質問の真意を解説したが、かなり長い時間かかった)     徴用者もいる。希望してここに渡った人、残った人もいる。
   Q;どんな人が強制連行されたと主張している人か?
   A;50:50であろうが私は疑問に思う。主張している人の名前が分かれば正確な調査は出来る。 

   Q:私(佐藤)も疑問に思う。
   A;どこの国にも差別はある。しかし特に日本時代には多かったと言われている。
   Q;日本人協会を元気づけてやってほしい。
   A;仲良くやっている。
   Q;赤十字社とのかかわりは?
   A;年に一回、日本赤十字の幹部と交流。
   Q;韓国人の主な職業割りは?
   A;老人は農業、若者は通商。
   Q;帰国希望者3500人の帰国不可能の理由は?
   A;帰国しても住居がない。日本からの支出がない。
   (ここで太田氏が補足説明)
     国は、500 戸整備、老人・障害者用施設100 ベッドを完成している。
     日本は550 万$・30億円以上拠出している。

 1210退出。大泊へ向かう途中、富内湖で昼食予定。
  *刑務所の側を通過。太田氏が、終戦時にソ連軍が800 人の囚人を開放したので混乱したと当時の思い出を語る。
  *牧場の先に州立病院。

 1215アメリカ村(92年度以降建設中)。アメリカ人はそれまでホテル住まいであった。
  *一路南へ。3車線の舗装道路は緊急着陸用の滑走路を兼ねている。
  *途中で東に折れて検問所を通過。以前は共産党幹部の別荘地帯だったとのこと。
 1250富内湖に到着。地質学の“権威”であるガイドさんの説明
  *樺太には3000の湖があるがこれが最大。水は海水が混じっていて水深は約80m
  *富内湖には川底に34本の川が流入
 1305富内(オホーツク)に到着。
  *海岸にオホーツク海に向いたトーチカ陣地跡(日本の攻撃(自衛隊の反撃!)に備えた物だとか)。

  *富内部落跡を散策。小学校跡に「表忠」と書かれた大きな石塔が建っていた。
 1325〜1335カニの出店見物。フレップ(コケモモ)。花咲ガニ(一匹350lb)
 1335昼食(バーベキュー・ダンス見物)
  *わざわざ豊原から民族衣装を纏った北少年少女のダンスチームがダンスを披露。
  *串焼きは美味。サンドイッチ、サラダなどなどをテントの中で味わう。
  *ダンスチームのディレクターはKUZNETSOVA(КУЗНEЦOBA) Irinaさんという小太りの中年女性。                

冨内部落風景と「富内湖でくつろぐ父娘」「少年・少女のダンス・チーム」:観光客相手に地元文化の紹介か?
≪終了後、ディレクターよりも劇団?のオーナー女性のほうがサービスを学びたいと感想「聞き取り調査?」に熱心だった!≫        (続く)