軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ミサイル発射?

 4日の新聞は「北ミサイル今日にも発射」と書いた。5日には「ミサイル『発射』政府が誤情報」と書いた。テレビも同様で、これ見よがしに「誤情報情報」を喧伝している。
 産経によると、官房長官防衛大臣に「緊張感を持ってやって欲しい」と注意、防衛大臣は「防衛省自衛隊の情報伝達の不手際だ。国民に心からお詫びしたい」と陳謝し、テレビカメラの前では涙目で詫びたそうだが、何とも早、戦を忘れた極楽トンボのにわか“戦争ごっこ”には失笑を禁じえない。

 しかし、産経は「主張欄」で「萎縮せず情報収集万全に」とし「繰り返されてはならないが」「政府や防衛省自衛隊の担当者らが萎縮して、今後の情報収集や伝達に支障が出るのでは本末転倒だ」「与野党双方が語情報の発表を厳しく批判しているのに対し、橋下徹大阪府知事は『敏感に情報収集するほうが危機管理としてはいい』と述べたという。北の違法な行動から国民の生命・財産を守るオペレーションを支援するのが、政府の役割であろう」と関係者を督励したが正論である。
 元防研所長の小池清彦氏(現加茂市長)も、「防衛の観点からすれば発射をキャッチできず、警戒態勢が取れないよりはましだ。カルタのお手つきみたいなもので、ミサイル防衛システムの信頼性を大きく損なうものでもない。・・・北朝鮮のロケットぐらいで慌てるのは日本の恥だと思う」と語っているが、これも全うな見解だろう。


 その昔冷戦時代に、レーダーが捉えた鳥の群れをソ連の攻撃と誤判断して核兵器を搭載したB-52が発進した事例に比べれば、無難なものである。

 産経の記事には「全てはシナリオどおりに進むかと思われていた」が、声を上ずらせた報道室長が「飛翔体が発射された模様」と告げ、首相も予定通り公邸を出て官邸に向かった直後に「誤報」と判明、「1分差で赤恥会見免れる」と書いたが、相手がある事柄なのに「自分の都合だけで書いたシナリオ通りに進む」と思っていることが間違いなのである。

 社会面には「北ミサイル騒動列島長い一日」「怒り・安堵徒労感」という見出しが躍るが、まだまだわが国は軍事的に発育不全?であることが歴然としている。

 全国民のわずか0・18%に過ぎない自衛隊員は、国民が無関心であっても、60年余にわたってひたすら有事を想定した「演習」を繰り返してきた。演習のシナリオには「誤情報」が仕組まれているし、事実「誤情報」は指揮官の計算に入っている。

 スクランブルがかかって緊急発進し、吐く息も荒く上空に飛び上がったとたん、「レーダーの誤作動、キャンセル」と引き返すことも間々あったが、そんなことはわれわれには織り込み済みだった。勿論しばしばあってはならないことではあったが。演習でさえもそうだから、今回のように「何を考えているかわからない」国が相手である以上、当然「振り回される」ことは予想できた筈だが、潔癖で完全主義の日本人らしく、全てが「シナリオどおり」でないと腹の虫が治まらないらしい。特に野党と一部マスコミは・・・。今回のミサイル事案には局独自の“ヤラセ”による「シナリオ」は適用できないからか?

 レーダーの誤作動や、発射監視隊員の思い込みによるミスは、この際ニッテレの娯楽番組ではないが「笑ってこらえて」もらいたいものである。担当者は勿論、空自も勿論反省しているだろう。しかし、万一、着弾後に「発射を確認しました!」と報告したほうがよほど“間抜け”である。考えてみるが良い。相手は発射後8分で到達するミサイル、ベストよりも「ベター」が求められているのである。
 そんな一部の政府関係者に比べて、一般国民のほうがよほど落ち着いていたように思う。最も、だからといって「やるべきこと」もないからだろうが。
 インターネット上では「市民の関心の高さが伺われるアクセス数だった」というから頼もしい。やっと日本人も世の中には「話し合いだけでは解決できない事柄」がごろごろしていることに気がつき始めたのだろう。
 今回の誤情報に振り回された秋田県では「国の情報収集は大丈夫なのか」と不安を募らせ、岩手県滝沢村の村長は「国の情報がこれじゃあ・・・」とつぶやいたという。民主党の次の内閣「防衛副担当」山口議員は「MDシステムは大丈夫なのか、心配になる。党として、国会や政調で検証していく」と、「日本の防衛体制に懸念を表明した」そうだが、これらはいい兆候だろう。野党が今回の誤情報問題で政府の失態を追及すること自体が、『わが国の防衛・危機管理体制のあり方』を論ずることになるからである。

 一時、誤情報に不機嫌になった麻生総理も、官房長官に「まあ、明日も変わらずしっかりやってくれ!」と言ったそうだが、『明日も』ではなく『今後とも』であるべきだろう。4日から8日までと期限が切られた『ミサイル発射事案』が、結果はどうであれ、終結したとたんに折角盛り上がった国民の国家防衛意識が『元の木阿弥』に戻ることを恐れるからである。国家安全保障・国家防衛はそんな『一時的なお祭り事案』ではない。
 これを契機に政府は改めて国家安全保障・危機管理に真剣に取り組んで欲しい。同時に国民も、今後それを監視して行くべきだろう。

日本のミサイル防衛―変容する戦略環境下の外交・安全保障政策

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世界軍事情勢〈2009年版〉

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