軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

両陛下ご成婚50年をお祝いする

 今日は両陛下の金婚式、心からお喜び申し上げたい。思い返せば50年前の昭和34年4月10日、私は防大一年生として横須賀の小原台にいた。入校式終了後の10日は祝日となり国中がご成婚をお祝いしたが、私は制服を着て始めて外出を許され、横浜の山下公園に上級生の引率で出かけた。店先のテレビで見ていると、馬車行列に飛び出した男がいて怒り心頭に発した記憶がある。


 昨日の産経1面に、桜井よしこ女史が「皇室存続の仕組み作れ」と題して、景気回復も経済も極めて重要だが、「国民への支援が、景気対策と生活支援の、物やおカネにまつわる次元にとどまってよいはずがない。国民が前に向かって進む勇気や、将来に夢を描きたくなるような支援を与えなければならない」と首相を督励し、「日本古来の神道は外来の仏教と融合し、人間を守り導く大いなる存在としての神仏を拝礼した。拝礼の対象を、仏像に限定することなく、山川草木へ広げていった。仏教を、神道本来の自然信仰に帰し、自然の中に仏様が宿っているという思想に育て上げたのが日本人である。その中心におられたのが皇室である。神道と一体の皇室こそが、ハンチントンの言う日本文明の核なのだ。日本を日本たらしめる存在が皇室だといえる」とし、「そして今、両陛下のためとして、ご負担軽減の目的で祭祀を簡略化しようとの動きがある。歴代陛下の中でも、特に、祭祀を大切にしてこられた今上天皇のお心に、これはかなうことなのだろうか・・・私には本末転倒に思えてならない」。それよりも「国事行為はなさっていただくとしても、地方へのお出ましなどを大幅に減らしてはどうか。この点に関して、広く皇族方のご協力を仰いではどうか」と提案し、その最初の一歩として「日本文明の核としての皇室を、まずしっかりと存続させる仕組みをつくることである。首相は、旧皇族方のお力も借りる形で、皇室典範改正を、実現すべきだ」と書いているが同感である。


 今日の産経「正論」には、加地伸行立命館大教授が「権威は皇室に連綿として在る」と題して、中国の歴代皇帝208人中、臣下に位を奪われて殺されたもの63人、滅ぼされた王朝の末裔の悲劇を挙げて「皇帝」と比較し、わが国の皇室(天皇)の存在が如何に「政治的安定をもたらす中核」であったかを強調し、「日本では、権力の交替があっても、天皇の権威は奪われず常に権力の上に立ってきた。中国では、王朝の交替とは権威・権力の両方を奪うことであった。今日、世界の正常な国では、政権(権威・権力)は民主主義すなわち選挙方式によって承認される。だから、選挙結果によって権威・権力を失うことがある。そのとき、一種の不安定な政情となる。しかし、我が国はそうではない。わが国の政権には、権力はあるが権威はない。首相は権力者ではあるものの、権威は皇室にある。
 現代日本人はどの首相に対しても敬意を払わない。首相に権威を認めていないからである。だから、首相がいくら交替しても、権威は不動であるので国家として不安定とならない。これがわが国の底力となっている。
 わが国はどのような危機に際しても、権威の不動によって政治が安定しており、必ず立ち直ることができたのである。それはこれからのそうであろうし、またそうでなくてはならない。
 その意味で天皇は政治における中核として内在している。単なる文化的権威や祭祀者に終わらない。それが証拠に、ほとんどの日本人は、権威ある天皇を元首として意識しているではないか。これは強制や法制によるものではない。皇室に対する絶えざる自然な敬意に基づくものなのである。
 天皇、皇后両陛下のご成婚50年を機に、そのことをしみじみ噛みしめている」と結んだ。

 子供の頃、私は両親から「天皇皇后は国のお父様、お母様」だと聞かされて育ったし、小学校5年生のときに貞明皇太后崩御された時、全校生徒が校庭に集合して半旗を掲げ、校長から「国のお母様がお亡くなりあそばした」と聞き黙祷したことを鮮明に覚えている。皇室は、日本人の全ての模範であり、両陛下のお睦まじいお姿は、夫婦道の模範である、と両親はいつも語っていた。家族のあり方についてもそうであろう。それが日本の文化・伝統であり、皇室に凝縮している、と私は思っている。
 加地教授が書いたように、戦後民主主義の弊害にとっぷり漬かっている現代日本人は、権力亡者たちに囲まれて、不動の権威の存在を忘れてはいないか?このめでたい佳き日を契機に、品性下劣、カネの亡者になりかかっている日本人は、常に「国民のためを思う私心なき天皇」を戴く国民として、じっくりと考えてみる必要があろう。

 ところで皇室を「お守り」しているのは「宮内庁」という役所の他には「皇宮警察」だけである。果たしてそれでいいのだろうか?いささか不安でならない。昔は「近衛師団」が厳然と警護の任についていた。


 今年一月発行の雑誌「正論」が、「戦後の呪縛が日本を自壊させる」という特集を組み、田母神前空幕長問題を取り上げた時、私はその最後に「自衛隊を『国軍』に!」という項を立て「理念なき政治に自衛隊は『政争の具』として終始弄ばれてきた。軍隊としての地位を剥奪され、軍人としての誇りを無視されてきた。今回の空幕長に対する非礼の数々でそれは一層明白になった」「せめて任務に精励できる“不変の価値”を戴きたいと思うのは人情だろう。自衛官といえども人の子、いつまで経っても正しく評価されないことに耐えられるような『聖人君子』ばかりではない。統帥権問題はさておき、せめて観閲式に御親閲を賜る名誉を!と期待する者がいてもおかしくはなかろう」と書いたが、平成19年1月に防衛省に昇格してから2年と経たないうちに総理大臣は三人、防衛大臣は実に6人も交代している。
 そんな「権威なき」権力者達に「忠誠を誓え」といわれても、表面だけにとどまるのは自然の成り行きだろう。
 私も加地教授同様、国民の心を一つにできる「権威」ある皇室について、「天皇、皇后両陛下のご成婚50年を機に、そのことをしみじみ噛みしめている」。

皇后宮美智子さま 祈りの御歌

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祈り 美智子皇后 (文春文庫)

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橋をかける―子供時代の読書の思い出

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