軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

新憲法、笑ふべし!

 大型連休で高速道以外は「田舎に泊まろう」状態?で人影もまばらである。今日は憲法記念日で祝日だが、この日だけは私は国旗を掲揚しない。


 今朝の産経抄には、昭和22年のこの日、皇居前広場で記念式典が行われたが「気温8度で、季節はずれの冷たい雨が降っていた。・・・昭和天皇も出席され、『憲政の神様』といわれた尾崎行雄が祝辞を述べたという。・・・しかしその一方で、この日の雨のような冷たい視線を向けていた人がいたことも、忘れてはならない」と書き、作家の永井荷風が日記に「雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」と記したことを紹介、「新憲法の草案は日本側のものがGHQによって却下されたあと、法律の素人であるGHQ民生局の米国人らが作り直した。そのことは今でこそ、かなり知られてきた。だが、当時の国民がどれだけ知っていたかは疑問だ。何しろ国会での審議も重要部分は非公開だったのである・・・しかし、62年前『笑ふべし』と喝破された憲法の呪縛から抜け出せない人が、いまだに多いことはどうだろう。こちらは『笑ふべし』ではすまされない」と書いている。


 平成3年1月、湾岸戦争が始まった時、三沢基地司令であった私は友人の空軍大佐の官舎での夕食会に招かれた。コーヒータイムになった時にワシントンから来ていた一人の大佐が、「なぜ世界平和のために、自由を守るために、日本は今回の紛争解決に協力できないのか?日本の憲法が海外派兵を禁止しているというのが理由か?」と真剣な表情で聞いてきた。私は「君たちの最高司令官だったマッカーサー将軍が作ってくれた憲法に忠実に従っているまでだ」と皮肉をこめて言ったところ、別の大佐が「確かに日本の憲法は占領時にマッカーサーが造って与えたことは認めよう。しかしあれから既に40年以上がたっているではないか。いつまでもマッカーサーのせいにするのはおかしい。憲法の問題は日本人自身の問題だ。日本は独立したのだから、自分達の憲法をつくるべきだ」といい、更に別の大佐は「マッカーサーは、ハーグ条約に違反して、占領国に憲法を押し付けたのだ。いかにも日本人が自主的につくったかのように装ったが、今では明らかな違反行為であることが分っている」と言った。戦後生まれの若い米国将校らは、事実関係を良く学んでいる。学んでいない、いや、学ぼうとしないのが肝心の日本人の方である。
 しばし論争の後、ワシントンから来た最初の大佐はこういった。「日本が自国の憲法を理由に、自衛隊を湾岸に出さないのはそれで良い。しかし、出した金の明細書を要求するとはどういうことだ?」
 湾岸戦争ではわが国は「憲法の定めるところにより」海部首相が90億ドル(最終的には130億ドル)の資金を提供する」ことで切り抜けたが、サダムの侵略から救われたクゥエートからは全く感謝されなかった。海部首相は130億ドルもの国民の血税を『どぶに捨てた』のであった。

1991年1月15日付の『スタンダード・エグザマイナー』紙に掲載された漫画!護憲派は恥ずかしくないか?


 28日の主権回復集会後の懇親会で、憲法改正を求める大阪での会合で私が「憲法が改正されると、困るのは憲法学者護憲派議員たち」と発言したことを覚えてた方が「強烈な印象だった」と言ったが、事実、でたらめな新憲法解釈で食っている学者が如何に多いか!旧社会党などは、改正されると「活動目標」を失っただろう。
 占領憲法を押し付けた米国人自身までもが「ひ弱な日本人」を軽蔑し始めていることは容易ならざる事態だと思う。
それでも「反米の護憲派の方々」は、「米国主導の敵性憲法」を死守なさるおつもりか?


 4月21日に、プロジェリアという800万人に一人の確率で発症する遺伝子の異常な病で苦しんでいたアシュリーさんが天国に召された。平均13歳と言われた寿命を4年更新した17歳の若さであったが、残念ながら彼女が望んでいた「高校卒業」には一歩とどかなかった。昨夜フジTVが緊急特番を組んで2時間放映したが、彼女の真摯な生き様に再び感動した。16歳で逝った彼女のボーイフレンドの「人生とは長さではない。内容の充実が問題だ」という言葉に、今年古希を迎える私の人生は“果たして充実していたか否か”と自問自答した。

 たまたまこれと同じ日の21日午後、静岡県の霊園で自殺した元タレントの清水由貴子さん(49)の悲しい最後の情景も重なった。車椅子の母親を介護しつつ「持ち前の明るいキャラクターを崩さなかった」という彼女の生き様に深く打たれたのである。たとえ肉親と言えども語れなかった彼女の「胸のうち」に何があったのだろうか?
とまれ、人間は弱い生き物、孤独では生きられないことを痛感する。

 
 昭和40年2月10日午前、当時北九州・芦屋基地でT-1ジェット練習機の操縦学生であった私は、初めて仲間の事故死に遭遇した。朝、元気に整列してフライトルームに向かった柴田繁樹3曹と、教官の井原勇朗1曹が玄界灘に海没したのである。“消滅した”柴田の自習室の机上には、男所帯なのに同期が「2輪のカーネーション」お茶、チョコレート、みかんを供えていたことが忘れられない。
 その夜私は『その日その日が人生である』と墨書して壁に貼り座右の銘にしたのだが、いつ何があってもおかしくない世界に生きようとしている自分自身の自覚と決意の表れでもあった。
 あれから既に45年経つ。この国は憲法も変わらないし、主権意識も薄弱、何と無くカネだけが頼りに生きているだけの人間集団のような気がしてきた。永井荷風ではないが「笑ふべし」である。

自衛隊よ胸を張れ

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憲法の常識 常識の憲法 (文春新書)

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世界は「憲法前文」をどう作っているか

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国のうた

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崩壊日本国再生論

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これだけは伝えたい 武士道のこころ

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