軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

天変地異?はまだまだ続く

 山口県で集中豪雨の被害が広がっている。ニュースで知って驚いたのだが、多くの犠牲者を出した特別養護老人ホームが、昔の“沢”の上に建設されていたのだという。地元の人によると、昔からの沢の流れを変えたカーブの先に老人ホームを建てたというのだから、なんとも早、天を恐れぬ人間の傲慢?さが伺える。
 近所の住民は、昔からの言い伝えを守って「川の“声”が変わった」ので避難して難を逃れたそうだが、科学が発達していなかった頃の人は、このようにあらゆる天象気象をわがことと考えて、天の啓示と捉えてその徴を敬い危機を回避してきた。

 先日、富士山中腹の「駐車場」で仮眠していた男性が、落石に遭って死亡した事故があったが、こても空中写真を見ると落石地帯の真下に「駐車場」が設けられているから驚いた。
 勿論落石防止のための金網は設置されていたが、落石の巨大なエネルギーを予想できない「現代人」の無知が悲しい。コンピューター万能を信じ、PCではじき出した計算値を使ったといっても、結果はPCに「打ち込まれているデーター」以上の計算は出来ないことを失念しているのである。これも自然界の定めを無視した人間の奢りが招いた人災である。

 現役時代、九州で猟師さんが「明日は天気が崩れる」という。気象隊の予報では問題なく晴であったから、猟師さんに聞いたら「海が泣いとったろう!」といわれて面食らったものである。皆信用しなかったが、翌日は豪雨になった・・・。
 浜松時代にも「足腰が痛い」という患者さんに、鍼灸師さんが「低気圧が近づいちょるで〜」といったことがある。低気圧が近づくと、ご老人方、特に神経系の病持ちには痛みが走るのだそうでこれも昔からの『経験則』だという。節々が痛くなったら翌日は雨!と鍼灸師さんは言った。


 今朝の産経抄子は、織田信長今川義元の大軍を破ったのは、朝廷の天文所に出仕したことがある平手左京亮という男が、「小鼓を打つことで大気の動きを伺い」「今日の午後は豪雨になる」と告げたことを信じ、大雨の元で兵に休養を与える義元の姿を思い浮かべた信長が、今川の本陣を急襲して勝利した「桶狭間の闘い」を書いている。最も気象庁出身の新田次郎作「梅雨将軍信長」の引用だから、勝因を「天気予報に求めた点がユニークだ」としているが、新田次郎は八甲田の惨劇も詳細に分析して書いている。気象に関する知識の豊富さが、下敷きになっているのは当然だろう。
 小鼓の皮は、湿気に敏感に反応するから、それがわかるのであり、精密機械?と思われていた当時の湿度計の内部には、人間の髪の毛が使用されていたものであった。それも女性の髪が極めて敏感だ、といわれていたが、「隊長の場合には、全く貢献できないですね!」と部下に冷やかされたものである!

 その後「オーロラを観測した佐京亮が『側臣に乱あり』と予言した」が、それを信じなかった信長は本能寺の変に倒れた」のだが、産経抄子は「国内で46年ぶりに観測された皆既日食が、さらなる天変地異の予兆でなければいいが」と締めくくった。


 いやいや、天の乱れは人心の乱れ、まだまだ予測できない天変地異が待っている、と思ったほうが良い。この秋以降は、恐るべき『人災』もそれに加わるだろう、と私は見ている・・・


 ところで、コメントに月刊誌『諸君』廃刊を知らなかった方がいた。最後の最後に、素晴らしい特集が組まれているので、せめて表紙だけでもお見せしておこう。
 ついでに、盟友だった『正論』の別冊(販売中)もご紹介しておく。『遥かなる昭和』という特集だが、『特攻隊を冒涜するなかれ、哀れむなかれ=昨日の歴史を今日の視点で語るなかれ』という元陸軍特攻隊志願者で『心ならずも生き残った』苗村七郎氏の文をご一読いただきたいと思う。
 苗村氏は、鹿児島にある有名な「知覧基地」の傍の「万世機動基地」の存在を世に示し、万世特攻記念館設立に尽力された方で、現役時代から親しくお付き合いいただいている方である。


 ついでにといっては何だが、平成4年に駐南アフリカ共和国大使を勤められた、太田正利氏から著書を戴いた。『物語・「虹の国」南アフリカ』という題名はロマンチックだが、内容はアフリカに関する見事な研究論文であり、特に日本人にとって縁遠い『アフリカの歴史』書でもある。欧米列強による『植民地建設の歴史』は、現代アフリカ史の原点だと思う。今は、中国が資源獲得のために「昔の欧米に代わって?強力に植民地化を推し進めている。その背景を知ることが大切だろう・・・


 話題は変わるが、今日7月23日は特に海上自衛官にとっては忘れられない日であろう。
 産経6面下に『20世紀のきょう』という小さなコラムがあるが、そこに1988年の今日、横須賀港沖で潜水艦『なだしお』と、北朝鮮がらみの遊魚船『第一富士丸』が衝突し、船体構造上極めて特殊だった(不審船並み後部甲板構造)ために、二分足らずで沈没したため乗客の30人が逃げ遅れて死亡する惨事になった。

 詳細は省くが、この時、現場で実際にこの船を見たお客のうち、数人が不気味がって直前に乗船をキャンセルして助かっているのだが、その大半が防衛企業関係者で、さすがに『危機管理』が出来ている!と当時は思ったものである。
 今、もう一度この事件を検証してみると、当時報道されなかった意外な事実が出てくることだろう。

 実はそれ以前に空自は「雫石事件」に見舞われたが、改めて当時の報道や事故調査書を詳細に分析してみると、民間機のほうが自衛隊機に「追突」したことが歴然としている。
 事故の原因は、臨時訓練空域内に民間機が航空法を無視して“突っ込んだ”からであり、しかも食事中だった(と思われる)乗員が前方を見張っていなかったからである。自衛隊機のほうが『冤罪』だったのである。


 そろそろ真実が語られてもいい頃だろう、と思っていたら、3面下の書籍広告に『売国者たちの末路』という副島隆彦植草一秀共著の広告が出ていた。
『私たちは国家の暴力と戦う』という副題であり、更に『流れは、変わった!――政・官・財・外資の巨悪を撃つ!。永田町も霞ヶ関も震えた真実の言論」と添えられている。
 既に外務省の佐藤優氏や、辞め検?の田中森一氏などが、一般読者が知りえなかった過去の『闇』を徐々に暴露してきているが、これからもどんどん続くのではないか?

 人の口に戸は立てられない、という。過去の『人災』がこのように徐々に明らかになって来るのだとすれば、やはりこの秋には『天変地異』と『人災』が同時に降りかかってくるような予感がする。

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

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新装版 怒る富士 (上) (文春文庫)

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新装版 怒る富士 (下) (文春文庫)

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梅雨将軍信長 (1979年) (新潮文庫)

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マスコミ煽動―潜水艦「なだしお」事故の歪められた真実

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なだしお事件

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