軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

英霊に感謝を捧げたい

 64回目の終戦の日を迎えた。正午の黙祷を捧げたが、首相が毎回「アジア諸国に対する謝罪の言葉」を入れるのに違和感を覚える。国のために散っていった英霊達の業績を、侮辱する言葉に聞こえてならないからである。何に怯えているのだろう?


 今朝の産経は3面で、「かすむ追悼の心」と題して靖国関連の記事を書いているが、戦没者慰霊団体が、「政府が進める公益法人改革の中での慰霊団体の位置づけ」で困惑したという。
戦没者の慰霊」という独立した項目が無かったからで、「22のうち、どの項目で申請すればよいのか」と詰め寄った慰霊団体関係者は、担当者の返答に耳を疑った。
「障害者、生活困窮者、または事故災害、犯罪被害者の支援を目的とする事業に含まれます」! 
 協議会会長の山本卓真(83)氏が「英霊を冒涜するにもほどがある!」と憤ったというが、わが目を疑う政府の対応である。
戦没者の霊を慰め追悼する営みと、犯罪被害者や障害者、生活困窮者支援は趣旨が違う。政府は本気でそう考えているのか」と山本会長は怒るが、当然である。

 さすがに政府もその後、見解を修正し「戦没者慰霊は国政の健全な運営の確保に資することを目的とする事業」に分類されたという。
 まさか例年今日のこの日に、両陛下にご臨席いただいて行われてきた「全国戦没者追悼式典」が、「障害者、生活困窮者、または事故災害、犯罪被害者の支援」の一環として行われて来ていたとは知らなかった。
 「『靖国で会おう』と言い残して命を落とした兵士と国との厳粛な約束の場、それが靖国だ。
 慰霊は国の守りを支える精神的基盤。英霊をいたむ営みの位置づけすらなく、魂をぞんざいに扱う。そのことに痛痒すら感じない。これではやがて後を継ぐものがいなくなる」と安藤記者は嘆いているが全く同感である。


 昭和二十年八月十五日、「大罪を謝し奉る」と切腹自決した阿南惟幾陸軍大将は享年59歳、「特攻隊の英霊に白す・・・」と謝罪して自決した大西瀧次郎海軍中将は享年55歳であった。

 現在、日本の政界を牛耳る方々は、皆はるかに「お歳上」ではなかろうか? 同じ人間なのに何がそんなに差をつけたのか? 他人はどうであれ私も今月古希を迎える。いたずらに馬齢を重ねてきた自分が情けなく、若くして散っていった諸英霊に申し訳なく、慙愧に耐えない思いでいっぱいである。


 今日は午後6時から、若者達の会合で「終戦の日に思う」と題して話をするが、英霊達の心情を少しでも理解してもらえたら、と思い、100枚以上の「電気紙芝居」を準備した。

 今日のブログにも何枚かを展示するので、少しは「追悼の心」を取り戻して欲しいと思う。なぜならば、彼らは既に「物言えぬ存在」なのであり、靖国に替わる「代替施設に反対しようにも出来ない存在」だからである。物言えぬ彼らの心を忖度するのは、生きているわれわれでなければならぬ。

 現世に生きる者たちの傲慢さには、いずれ何らかの裁きが下ろうが、「英霊を冒涜する」政府役人にも「厳重注意」くらいは下るのではなかろうか?

 私は、午後の適当な時間に「政争の具にされないように、いたずらな混乱を避けて」参拝し、素直に英霊に感謝の誠を捧げたいと思っている。

家族を残して出征する兵士

学徒動員を伝える朝日新聞


神宮で行われた出征学徒を送る式典


特攻隊出陣(知覧基地)


突入寸前の特攻機

冤罪で銃殺された向井少尉ら
左は中国語の解説。右に翻訳があるが読みづらいので書いておく。
「(昭和23年1月28日)処刑前の刹那。向井、野田、田中の三名の殺人魔は、声を高く上げ、軍国主義的なことを高唱した。刑の執行人は、後ろから狙って頭を撃った。三人は次々その地に倒れて絶命した。市民は緊張の面持ちで取り囲み歓声が雷のように轟いた」


英国民の戦死者を迎える風景。

戦争を知らない人のための靖国問題 (文春新書)

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靖国神社と日本人 (PHP新書)

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だから日本人よ、靖国へ行こう

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ニッポン人なら読んでおきたい靖国神社の本 (宝島社文庫)

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靖国―この国を愛するために

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靖国のこえに耳を澄ませて―戦歿学徒十七人の肖像

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靖国神社―正しく理解するために

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靖国公式参拝の総括

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「靖国神社への呪縛」を解く (小学館文庫)

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靖国と憲法 (成文堂選書)

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