軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

自民惨敗!

 30日、国民の審判は下った。一部メディアでウワサされていたように、民主圧勝自民惨敗であった。しかも、今まで選挙区というぬるま湯に浸かって大きな顔をしていた“大物議員”達がばたばたと消えたのだから、案外国民には見る目がある!と思いながらTVを見ていた。比例で復活した者も、「助けてください!」と絶叫し、下げたことが無い頭を深々と下げていたのだからあきれ果てた。握手する時のあの空ろな目と、有権者を見下したような態度!己の“損得勘定”を最優先し、有権者を小ばかにした態度、あれじゃ“庶民”は助けてやる気にもなれないだろう。
 高級官僚であった片山氏も惨敗したが、よくも恥ずかしげもなく《土下座》をくり返したものだ。追い込まれると羞恥心も何も無くなるのだろう。アンナ(といっては失礼か?)女性が国家予算を握っていたのだから、この国の財政、特に防衛予算が削減され、安全保障上の危機が到来するわけだ。
 とにかく、今回の選挙戦は、悲喜こもごも・・・などという次元ではなく、恥も外聞もない議員個人の「就職活動」に見えたが、それぞれ審判は下された。しかし、腑に落ちないのが小選挙区で惨敗しながら、比例で復活するシステムである。恥ずかしげもなく復活した議員の《議員バッジ》は、色かデザインを替えるべきだと思う。有権者に支持されていない議員だという識別のために。

 今朝の産経には、乾正人政治部長が《あえて言う「消えるな!自民」》と叫んでいるが、その中で《何度も書くが、靖国神社終戦記念日に参拝しなかったことへの保守層の失望は大きい・・・自民党の常連まで愛想を尽かしたというわけだ」と書いたが全く同感である。麻生総理がクリスチャンか否かは別にして、「日本国の指導者としての意志」が見えなかったから見放したのである。そのうえ、麻生氏は浜田防衛大臣とともに、理由なく田母神空幕長を解任したが、その判断ミスも逆風になって吹いたといっても良かろう。少なくともあの時点から支持率は急降下し始めている。
 声なき自衛官とOB(一部のゴマすりは別にして)の怨念が彼らには読めなかったのだと思う。これじゃ《一般国民の心情》がつかめるはずがないし、国際情勢にも妥当な判断が出来るわけがない。判断力が弱くなっていたのだから今回は負けるべくして負けたのである。


 先月、私はここに「唐突な解散」などに対して、次のような意見を書いた。

≪8月30日が選挙というから選挙期間中に「8月15日」が控えている。この日に靖国を参拝し、国のために命を捧げた尊い英霊の御霊に対して、心から感謝の祈りを捧げ、『日本をどう守るか』その将来についての決意表明をしご加護を祈念すれば、起死回生ののぞみはないとはいえないだろう。
 上海万博を控え、国内騒乱で動きが取れない中国も打つ手はないし、内政干渉している余裕はあるまい。日本国民ももやもやした「戦後の呪縛」に決着をつけて欲しいと願っている。小泉氏が国民に「受けた」のは、郵政民営化よりも靖国参拝を強行したからである。
 逆にあれほど靖国を奉っていた安倍氏が見放されたのは、首相になるや参拝を掲げていた靖国に行かず北京に行ったから、国民は裏切られたと感じたのである。
 困った時の神頼みではないが、孤立無援の麻生首相は、真剣に英霊の前に頭を垂れてみたらどうか?それでもダメだった場合には潔く進退を決すればよい。日米関係に極めて重大な危機が迫っている秋である。国家安全保障を最優先に、国民を説得して欲しい≫

 今回、天罰は下ったのである。しかも惨敗した総裁として・・・。またこうも書いている。


 ≪今の日本では歯牙にもかけられていない存在である元自衛官として、僭越ながら、次に掲げる『統帥綱領』をお読みいただきたく、提示させて戴くことにする。

『統帥綱領』第一章「将帥」
「統帥の中心たり、原動力たるものは、実に将帥にして、古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負うところ大なり。戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は、将帥が戦敗を自認するによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与うるものは、実に将帥にあり」
・・・フランス軍が強かったのではなく、ナポレオンが偉大だったから部下はどこまでも付いていったのである。

 さて、麻生首相は“将帥”として「全組織の人々が奮い立ち、その全能力を発揮するように」できるかどうか?
 間違えて欲しくないのは、私が言いたいのは「崩壊寸前の自民党の将帥」としてではなく、歴史と伝統ある「日本国の将帥として」の話しである≫

 また「例えは悪いが、保守派の代表格であった文芸春秋社の『諸君』がつぶれたその原因の一つ」に例えて、情勢判断が出来ない一例としてこうも書いている。

≪・・・過去長年にわたって世の中に警鐘を鳴らし続けてきた右派代表格の『諸君』でさえも、その成果?が徐々に現れて、よって立っていた土台部分の「座布団」が、左から右に移行していたことに気がつかなかった。はっと気がついたときには、すでに「座布団」は右(中立!)によっていたから、諸君は「左翼」の勢力圏内に取り残されていた、というより、正気を取り戻した読者には物足りない「平凡な」月刊誌になっていたという事だろう。
「首相の靖国参拝」を、私が一つの視点にしているのもそこにあるのだが、国民の多くは「戦後の呪縛」から解放してくれる宰相を待ち望んでいるにもかかわらず、ご本人が気がつかないか、あるいは取り巻きが「石橋を叩いて」渡らせないのである。その代表的なものが「期待を一身に集めていた」安倍総理のスポイルであった。
 あの時点で彼は勇気がない!と見られて国民の信を一気に失ったのだが、本人の真意はともかく、パフォーマンスであれなんであれ、任期間に靖国参拝を続けた小泉氏が、あれほどの人気を博したのは『外国勢力』に屈しない勇気ある宰相だと受け止められた?からである≫

 この頃、乾部長も同様な指摘をしていたが、週刊朝日はこれを“珍説”とあざ笑ったが、実はそれをやられると民主党が危ういことを知っていたからであろう。


 ≪さて、日本丸は「天気も晴朗ならず、波は異常に高い」洋上を彷徨っているが、船客たちは、どんな進路を選ぶのだろうか? 衆院解散で「万歳」を叫んだ議員たちが、この国が「いつまでも生き、長く栄えること」を祈って三唱したのであり、「どうにもしようがない。もうお手上げだ」との意味で三唱したのではないことを期待したい≫


 万歳解散したものの、二度と再び永田町に戻れなくなった方々には「自業自得、自己責任」という言葉以外に浮かばない。その点では国民の審判は見事だといえる。

 しかし問題はこれからである。あまりにも大勝しすぎた民主党は、どんな閣僚人事でこの国を立て直す考えか?
 閣僚人事でひともめし、鳩山総理の指導力欠如が表に出たら、再び有権者は≪お灸≫をすえる行動に出ることだろう。

 今回の選挙結果が、「小泉チルドレン」が「小沢ガールズ」に変わっただけの、“お笑い劇場”で終わる公算は非常に高いと思うが、いずれにせよ、こうして“遊んでいる”間にも、日本の歴史に確実に≪失われる10年≫が刻み込まれていくことになる。接近中の台風11号が、洗い清めてくれるはずもないし、雨降って地固まる結果になりそうもない・・・

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