軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

都政研修…いい仕事してますね〜

19日は一日かけて都政研修に参加した。地元選出都会議員・古賀俊昭氏から招待状が届いたのである。
研修人員上限80名ということで、バス2台に分乗して早朝新宿へ向かった。都議会につき、さっそく都議会議事堂を研修、普段TVなどで見慣れているものの、現場を見るとまた違った印象がある。

ところが案内のために議長席などに説明版がたっていたが、英語と中国語、韓国語が併記してある。聞くと、外国人の参観者が非常に多いのだという。特に中国からの見学者が多いというので「選挙制度のない彼らに理解できるのか?」と担当者に聞くと、若者たちの中には「我々もこうあるべし、という民主的見解をいうものがいる」という。
では、紹介VTRの解説(中国語)の中に「皆様方には選挙とか、陳情などという言葉はなじみがないでしょうが…」と挿入したら?というと、ナレーションには無理だが「駄目だと判断された議員は次の選挙で落とすことができる」と解説すると、かなりうらやましがる中国の若者が多いという。
案内してくれた女性に「彼らのマナーは?」と聞くと、ちょっと考えたが「かなり自由奔放な方々が多いです」という答え。若い女性の表現力に感心した!

防災センターはかなり大がかりなものだったが、自衛隊はじめ、関係各機関が有機的に活動できるようだ。現役時代の地下指揮所を思い出したが、我々の場合は薄暗い中で活動するが、ここは実に明るくて活動しやすそう。
もちろん、大地震がここを避けてくれるといいのだが!最初にやられたらどうするのだろう?


続いて屋上に上がり、展望したが、西に富士山、東に今人気の≪スカイツリー≫を見ることができた。


その後、近くの住友ビルにある平和祈念展示資料館を見学した。展示物はよく整理されていたが、ここは総務省委託だから入場無料。だから「大東亜戦争」とはいえないようで「太平洋戦争」で統一されているという。
海外からの引揚げコーナー、戦後強制抑留コーナー、兵士コーナーに分かれていたが、私にはなんとなく説明文がなじめなかったところがあった。例えば次のような盧溝橋事件の解説文である。

「…中国軍の撤退などを内容とする停戦協定で終結したが、日本軍は7月30日までに北京、天津を占領、8月13日、戦火は上海に飛び火し…」


知らない人が読めば、停戦協定を無視した日本軍が「侵略行為を強行した」ととる恐れがあろう。せめて「停戦協定を無視した中国側の謀略により、日本軍はやむを得ず追撃し」くらいつけ加えたらどうだろう。


引揚者コーナーには、悲惨な写真が多く展示されていたが、中の2枚に目が留まった。


「この子たちはどうなったのだろうか?}

港に着いて安心したからか、息を引き取ったご婦人のわきで戸惑っている幼児がいる。息を引き取った夫人の両手の上にある≪光≫は、撮影者によると、「母親の魂だ」という。この少年は帰国できたそうだが、次の写真の孤児になった少年は、日本語が喋れるだけでは日本人と認めてもらえず、毎日波止場にきて「自分を知っている人」を探していたという。撮影者は無事に帰国したかどうか、今でも気になって仕方がないというのであるが、北朝鮮の孤児を思い出す悲しい写真である。


VTRコーナーでは、たまたま「第5回高校生平和記念ビデオ制作コンクール最優秀作品」が放映されていた。この日は「命どぅ〜宝」という沖縄の高校生の作品だった。
いかにも沖縄らしい内容だったから、このコンクールの審査員はどのような方が担当しているのか?と聞いたのだが、明確な回答は得られなかった。受付嬢が「不慣れなもので」と電話で確認してくれたのだが、「全国の語り部」から選ばれているそうで、固有名詞は個人情報?らしく教えてもらえなかったが、たまたまイベント開催案内パンフレットに、強制収容所体験者の岡上生二さんの名前があり、このような方々ですとの回答だった。
もっと公明正大に公表してもいいのではないか?と思った。たとえば沖縄では、日の丸を焼き、読谷村の米軍楚辺通信所の地主の一人である知花昌一さんも「沖縄戦語り部」として、本土からの修学旅行生に解説しているのである。


昼食後、中央防波堤内埋め立て地の「平成海の森」と都の廃棄物埋め立て処分場、管理事務所に向かった。
「海の森公園」構想は、平成17年2月に東京都港湾審議会答申で決まり、翌18年12月に「10年後の東京」として発表され、19年2月に「海の森公園」として海上公園計画として告示されたものである。
面積は約88ヘクタール(日比谷公園の約5・5倍)でスダジイ、タブの木、エノキなど苗木48万本が植栽されている。概成するのは平成28年だというから、まさに子孫たちに向けてのプレゼントだったといえる。


約30分間、てくてくと現地を見て歩いたが、「都民、企業、行政が力を合わせて森を育て、守る」というキャッチフレーズ通り、苗木の一本一本にボランティアたちの気持ちがこもっているように感じた。「なんでも鑑定団」の中島先生だったら、きっと「いい仕事してますね〜」と言ったに違いない。私らのころは「夢の島」というプロジェクトだったが、今は「海の森」。


隣接した廃棄物処分場は、東京23区内の埋め立て処分場である。しかし見積もりではあと50年で満杯になるという。案内してくれた担当者は、ジョークを交えながら日々の苦労を語ってくれたが、何とかごみの排出を軽減してほしいと、真剣に訴えていた。
23区内の区会議員たちは、ぜひともこの現場を区民に見学させ、関係者たちがいかに苦労しているかを、身をもって知らせる様に努力すべきだろう。議員主催の温泉旅行、果物狩りも悪くはないが、古賀議員のような職場見学を大いに推奨したい。かなり強行軍であったが、都政の実態の一部を凝縮して研修できたことに感謝したい。




国会議員たちよりも、地方議員の方の活動が身についているのは所帯が小さいから当然だとはいえ、私には都民の生活安定のために、議員一人一人の「信念」が実現出来る活動の場があるような気がしないでもなかった。
1億3千万人を抱える国会議員には、ごみ処分場計画などは不適切だろう。だから、せめて外交・防衛(安全保障)について真剣に取り組んでほしいもの。子ども手当なんぞ、地方議員の範疇でもいいのでは?と考えつつ、シンボルプロムナード(臨海副都心)で休憩、午後5時過ぎに帰途に就いた。


「暮れなずむレインボーブリッジが印象的、半島に取り残された孤児たちに見せてあげたかった…」

東京は変わったか―石原都政検証

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東京の窓から世界を

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