軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

ロシア機接近


21日、日本海側にロシアの電子偵察機が接近飛行した。空自は通常通りスクランブル対処したが、松本剛明外相は「ロシアが東日本大震災を受け、日本に救援チームの派遣や物資の提供を行っていること」を念頭に、「各国からお見舞いや支援の申し出をいただいているという気持ちを信じて、お付き合いしていくのが今の私どもの立場だ」と述べたという。
ロシアの支援に関して同国メディアに対しては「手厚い支援の申し出に感謝しているとぜひ伝えてください」と語ったらしいが、“外交辞令”だと受け止めたい。
震災は震災、防衛は防衛である。
別に今回のロシア機による“ルーティーン”の接近飛行に取り立てて「抗議」する必要もなかろうが、「見舞いや支援の申し出をいただいているという気持ちを“信じて”抗議しない」などとは誤解を招くだけ、言うべきではなかろう。


大東亜戦争終戦間際にわが国は「不可侵条約」締結国であるソ連(現ロシア)を信じて米国との仲裁を依頼しようとしたが断られた。そればかりか8月9日にその条約を一方的に破棄したソ連軍に攻め込まれ、満州樺太に一大悲劇を生み、60万以上の将兵がシベリア送りにされた。私の故郷・樺太初め、固有の領土である北方4島も依然として占領されたままである。
そればかりか今や巡航ミサイルを配備し、強襲揚陸艦を配備しようとしている。そのような過去を持つ国であることを忘れて外交は成り立つまい。

天皇の命令で降伏した樺太第88師団≫


外交とは「机上で握手」し「足で蹴りあうもの」でそれが国際常識である。
そんなことよりも、現に空母や艦艇を動員して救助活動に貢献している米軍に対して、明白なお礼の気持ちを示すべきだろう。
いつも感じるのだが、民主主義国・米国には言いたい放題、共産主義全体主義国には言うべきことも言わず、下手に出るばかりか奇妙な感謝さえする。


一時期、米国の核はダーティ、ソ連の核はきれいな核であるかのような識者の論評が続いたことがあった。米国には声高に抗議するが、これら非民主主義国には黙して語らない。裏に何があるのか、ロシアの何がそんなに怖いのか知らないが、不公平じゃないか?


昨日午後は歯科治療日だったが、計画停電時間帯にあたったのでパスして、久々に買い物に出かけた。電車は一時間に2本程度と田舎住まいの不便さを感じるが、動いているだけましなもの。
ちょうど車を夏タイヤに履き替えたので空気圧調整をしたかったから20Kmほど離れた郊外のスーパーに行ったのだが、途中のガソリンスタンドは行列、閉鎖が続いていて空気も入れられなかった。


着いたスーパーは我が家近辺とは打って変わって大きな店だから物資は豊富、30Kgの米さえおいてある。
「一人1個」に限定されているものの値段は普段通り、客も整斉と従っているが、お年寄りと幼子を持つ主婦はおむつやペーパー類を担いで出てくる。
ところが突如「計画停電のため食品売り場は3時30分、その他は3時50分で終了させていただきます」というアナウンス、この地域の停電が始まったのだが、外出先の停電計画まで調べてこなかった私にとっては“計画外”だった。
野菜も豊富だったが福島産のホウレンソウがなく残念。代わりに千葉産を買って夕食によく洗って頂いた。


街中も信号機が作動しているところやしていないところが混在していて、危険なように感じたが、交通量も少ないせいか、なんとなくスムーズに感じた。大きい交差点では警察官が昔懐かしい交通整理中。
警察官も、震災救援、交通整理、死体捜索からサルや蛇の捕獲まで、実に大変な仕事をよくこなしていると感心する。


危惧された原発事故も、関係者の懸命の努力で復旧のめどが立ちつつある。
避難所の格差も解消されつつあることは喜ばしいが、問題はこれからである。
広大な被災地の防疫、被災者の健康管理などなど、まだまだ気を緩められないが、民間企業が組織的に活動し始めたのが実に心強い。
各所で持ち場を維持し、復旧に努力する組織体があり、国民は節電に自主的に協力し、物資不足に耐えようとしている…
わが国の国民はやはり一流だな〜とうれしくなる。


宮古、仙台、松島など、徐々に友人の安否も入りだした。すべての財産を失った方々の今後が気になるが、子供たちの元気さと笑顔に勇気づけられる。
この子らが成人した時にようやく町は復興するのだろうが、敗戦後のことを思い出して、やがて力強い復興のつち音が聞こえだすことを期待したい。

≪制服なくとも笑顔はお揃い…気仙沼市立条南中学校=産経から≫

≪死んだ妹を背に火葬の順番を待っている被爆した少年…産経新聞から≫


≪週刊20世紀から≫