軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

災い転じて福となそう

原発では懸命な復旧作業が続いている。関係者の努力に期待したい。
南三陸町で、最後まで「防災マイクを放さなかった」遠藤未希さん(24)の笑顔の写真が産経に出ている。9月に結婚式を挙げる予定だったという。
風評被害、というよりも、野菜出荷制限では自殺者が出たという。


産経新聞から≫


石巻で中小学生の英語教育に当たっていた23歳の米国女性教師・ミス・テイラーが亡くなったとフジTVが報じていた。彼女も8月に帰国する予定だったというが、米国のご両親の立ち居振る舞いの見事さに感激した。落ち着いたらぜひ日本に来て頂き復興ぶりを見ていただきたいものである。


米軍との「トモダチ作戦」のワッペンの用意の良さに驚いていたが、今朝の産経に雑誌「航空ファン」の雨宮氏夫妻の発案とあった。日米航空関係取材担当者だけのことはあると感心した。

≪産経から≫


忘れたころにやってくる「天災」で甚大な被害をこうむり、多くの犠牲者を出したが、悲しんでばかりもいられない。徹底的に焼き尽くされた戦後から立ち上がったわが国民である。きっと素晴らしい国に復興できる。気仙沼で「牡蠣は柿から」と唱えて山の大事さを子供たちに教えてきた畠山さんは前向きである!

産経新聞から≫


今までが贅沢すぎたのである。電気は使いっぱなし、賞味期限切れ食品は惜しげもなく廃棄する。それでいて「地球にやさしく!」などと偽善的だった。「もったいない精神」が聊か欠落していたのである。だから地球は怒った…
ニューヨークタイムズ紙は、なんでも自粛が経済復興を妨げるかのような書きぶりだが、飽食でメタボになり、“資本主義”とか称する「投機」に走り、自分だけが巨万の富を得て知らん顔する行為は、リーマンショックで暴露された。こんな独り勝ち行為は、建国200年余の米国には通じても、2671年の歴史と伝統を誇るわが国には似合わない。流言飛語の類に踊らされてはなるまい。
電力使用量を見るだけでその事実は明らかである。我が国も退廃気味の資本主義に侵されて感覚がマヒしていたのではないか?
現役時代、夜間飛行の度に下界に広がる無駄な電力使用状況にあきれたものである。「ダイヤモンドをちりばめたような」夜景の連続。
次の宇宙からの映像を見ればよくわかる。先進国の指導者たちは、口先では[平等]と言いながら、分かち合いのかけらも見られない…
これじゃ戦争はなくならない…。計画停電のやり方に「不公平だ!」と叫んだ区長がいたように…。

NASA写真=豊かで贅沢な国とそうでない国がよくわかる。宇宙から見れば、地球の南北問題が一目瞭然である!≫


≪同上=国内でもその差が明瞭。東京地方は東北地方の犠牲に甘えていたのじゃないか?:反省の余地があろう≫


ところで東松島地区に電気が戻ったらしく、メールの一部が再開した。生々しい現場報告が続くが、今日はそのうちの一つをご紹介したい。

元部下だった戦闘機パイロットU君は東松島市議会議員である。その彼でさえも「津波10メートル…」という警報をにわかに信じなかったようである。今までの地震に伴う警告が“オオカミ少年”的であったことが透けて見える。
今後これをどう改善し徹底するかが急務だろう。
昔取った杵柄、現場指揮官としての彼の姿が目に浮かぶ。


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Uです。
 本日午後8時、CPバックオンです。
 皆さんには大変ご心配をかけました。小生無事です。
 3月11日は、小生が議員になってから丁度12年目になる記念すべき日です。折しも、3月定例議会の最終日、14時46分には議場におり約3分の長い地震を体験しました。震度7を体験し、すぐ自宅に帰り被害状況を写真に撮り、自主防組織の長として本部設営のため公園に行き備品などの確認をし、地域を自転車にて異常の有無を確認、役員の集合を待ちました。


1 状況
  防災無線では「大津波警報、10メートル」これは全く信用せず(宮城沖地震の予想は、震度6強・津波3メートル)解散準備をと思っていました。
 午後3時10分頃、浜須賀のS氏(区長)の「津波だ逃げろ」の声がありましたが信用せず、道路に出、南を見ました。
 200メートル先、そこには、瓦礫の山と工事用のプレハブが左右に動き道路を突き進むのが見えました。
 地域住民に「津波だ逃げてください」の伝達をしながら一人で徒歩にて家を後にしました。妻は、孫を迎えるため、徒歩にて学校に向かっていました。
 途中地区センターに寄り、津波が来ることを知らせ約60人の避難者と共に東小学校を目指しました。
 東小にはこの日約1500人の避難者が各教室に泊まりました。
 午後4時30分頃には仙石線まで津波が押し寄せていました。この日、小学校に泊まることになりました。防災役員の服装をしながらの避難でしたのでこの後2週間、学校で過ごすことになりました。


2 避難所
  避難所では、必然的に総指揮官です。1週間は、学校に寝泊まりし避難者へのお世話をしました。避難所に同行した各地区の防災担当者15名は、以後この小学校でボランティアで組織的活動をすることになりました。最初の仕事は、寝具の手配、次に朝飯、次に水。
  2日目から、一人500cc限定で約1週間配水。一週間は、賞味期限切れのパンやおにぎりを0.8食程度の配食で持ちこたえさせました。
  4日目には、各教室の班長を決め、
  7日目には各役職(配水係、給食係、衛生係、物資係、掃除係など)をきめ、避難者の自立を目指しました。
  23日、地区の防災担当者15名は、各地区の防災活動のため全員が撤収しました。 小生、避難者の精神的安定の継続や職員の能力不足や避難所の自治組織の安定を図るため、現在まで継続して対策本部での動きについて情報提供や避難者の要望を聴いています。(今月で一応終わりたいと思っています。)


3 被害状況
  大曲浜は、体育館を除き壊滅状態、瓦礫で道がない。定川の一番南の橋は、舟で破壊され右岸が決壊、未だに水が引かない。大曲小学校周辺は、約2メートルの浸水。矢本2中は一時孤立。赤井駅は水没していました。
  浜市地区は、鳴瀬川からの波で水没、小野の庁舎も4日程度孤立。野蒜の駅周辺及び東名駅は壊滅。全体として、仙石線から南は何らかの被害があり、国道45号線から南は床上浸水です。小生の家は、床上浸水35センチです。現在ヘドロと格闘中。町中瓦礫と震災ゴミだらけです。


4 仲間の状況
  Kさん夫婦、Yさん、Tさん、Kさん、Tさん、Fさん、Sさん等全員無事です。OBの内、職員だったOさん、Hさん、Fさんは亡くなりました。そのた、OBの皆さんは被害がありましたが生還です。


5 復旧状況
  自宅の水は25日、電気は27日、OKです。現在水は若干、電気は6000戸停電のままです。(流失及び被害家屋約3000戸除く) 

概要を報告しましたが小生の処は、食べ物などは不自由していません。2週間お金がなくとも何とか過ごしています。物流不良のため、郵便や宅急便は正常ではなく滞っています。ガソリンの不足が捜索活動を妨げています。
復旧や復興には、5〜10年は係ると思います。今回浸水した処に家を建てたり生活基盤を置くには問題があります。勿論仮設住宅や震災住宅を建設することにも問題を提起すると思います。
基地についても、F−2が全機被害を受けたことからすると、基地の存続や運営を含め大きな転換期に成ることが予想されます。そのうちまた、連絡します。
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【講演会のPR】
軍事的ものの見方を話してほしいという要請で、2日(土)に次の要領でお話しすることになった。PRまで

演題=第1部「国際情勢の見方」。第2部「2012年危機」
日時=4月2日(土)1310〜1630(開場:13時)
会場=文京シビック4Fシルバーセンター4階ホール(文京シビックセンター内)
参加費=1000円(事前申し込み学生500円、高校生以下無料)定員100名
懇親会=別途
申込先=FAX(03−5682−0018)メール:morale₋meeting@yahoo.co.jp

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