軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

萎縮?それとも自粛?

2日の産経は一面で「萎縮しないで」と震災後の“自粛ムード”を取り上げた。
「萎縮」とは「生気がなくなり縮むこと」を言い、「自粛」とは「自分の言動に対する反省に基づき、自分から進んで慎むこと」である。


今、メディアなど、世間で取り上げられていることは私に言わせると「萎縮」であり、「自粛」ではなさそうである。多くの同胞が苦難に満ちた気持ちを抱き苦しみを抱いているときに、馬鹿番組を放映したり、両陛下が御自ら「自主停電」を実行しておられる時に、多大の電力を消費する「ナイター」などを“元気づけ”と称して、実は“カネ儲け”で実施しようとする行為は、明らかな自粛行為“違反?”である。
産経は「被災地が苦しんでいるのに、自分だけが…」という「日本人の『絆』の強さを示すと指摘される一方、『このままでは日本を停滞させる』との声も上がる」と書いたが、停滞とは経済専門家たちが「株価が下がる」ことを懸念しているのではないか?

復興が始まれば、きっと日本人は知恵を出し合って努力するから、民間企業を中心に復興するだろう。それも予想以上に早く…
問題は指導力欠如の政府だが、余計な口出しをせずに、民間主導で動き出せば、必ず経済は勢いづく!と、不経済を地でいった元戦闘機のりの私は感じている。


30日夕方、浜松時代に大変お世話になったご婦人が亡くなったという電話が入り、1日早朝5時起きで東名高速を突っ走り告別式に参列した。
高速道はいつもよりトラックが多く、特に上り線は列をなしていたから、きっと被災地へ向かうのだろう。SAは何処も半旗を掲げ、徹底した節電をしていたが、さほど不便は感じなかった。

亡くなったご婦人は地元の方に大日如来の弟子と称され尊敬されていた方で、私も以来20年近くご指導いただいたのだが、この世での務めを果たされ、88歳で大日如来のもとに旅立たれたのである。この方も今回の災害を予言しておられたという。



葬儀は臨済宗方広寺管長が導師を務め、成田山新勝寺別院からの3人を含めた6人の僧侶がそろうという荘厳なものであったが、焼香など一切の行事が済んだ後、導師が気合いもろとも「引導」を渡して終わった。その時私ははっと気が付いた。
そう、人間は死んであの世に旅立つときに導師から引導を渡されて旅立つのである。

そして以後、忌日法要は死後七日ごとに四十九日まで行われるのが常である。最近はカネもかかるし忙しい現代人は時間もないので、本葬儀時に初七日を合わせて行い、下手すると49日も忘れがちになる。現代人の生き様の変化といえるが、日本人は近代化を追求するあまり、実は一番大事なものを失ってきたのである。
とりわけ49日法要は「故人の成仏を願い極楽浄土に行けるように、来世の行き先が決まるもっとも重要な日」である。



今回の大災害では、ご遺体も不明の方々が多く、どのように法要するかは極めて困難なものがあるが、少なくとも49日の法要を終わらせ、それ以降は委縮することなく、国民一致団結して復興を目指すべきだと思う。それが犠牲者に対する生き残った我々のせめてもの務めではないか?


産経によると静岡の川平知事は「自粛ムードが必要以上に広がっている。むしろ応援ムードで行きたい」といい、大阪の橋下知事も「大阪、関西は通常以上にしっかりやる」と「過度な自粛は避ける考えを表明」しているが、門田幸太郎・立命館大教授は「日本人特有の『右へならえ』の心理」が働き、「被災者が『自分たちが迷惑をかけている』と思うようになると指摘。「合理的判断に基づくもの以外、感情的な自粛はむしろ必要ないのではないか」と話しているが同感である。
初めに指摘したように、「自粛」とは「自分の言動に対する反省に基づき、自分から進んで慎むこと」つまり、自主的に判断する態度であり、空気に流されて何でも「右へならえ」するのは「萎縮」、つまり、無思考で責任回避、自己判断を避けて易きにつく、知的に怠惰な行為だから結果は「生気がなくなり縮むこと」になる。


49日間喪に服し、その後は生き残った者が力を合わせて復興に取り組む。これを霊前に誓う。これが死せる者に対する供養になることを知るべきだろう。
「供養」とは、「お仏壇やお墓、寺院などで、仏さまや故人に供物や花を供え、お経やお線香をあげ、手を合わせおまいりすること」である。そこで復興を誓い、その報告をすることは必ずや犠牲者に通じると私は思う。


今や桜の季節を迎えているが自然界は素直である。誰に見られていようともいなくとも、萎縮も自粛もせず、花々は時期が来ると必ず咲いて人間の心を和ませてくれる。自然界はいつも通りに動いているのである。それを愛でるのは当たり前のことだろう。ちっとも萎縮する必要はない。人間だけが都合で右往左往するから見苦しい。
もちろん、酒におぼれて常軌を逸脱する様な不届きは論外だが、「右へ倣え」ではなく犠牲者をおもんばかった「自粛」の姿勢さえあれば、年に一度の花をめでる行事を楽しむことは御霊も喜んでくれると思う。
3月11日の悲劇から49日間の喪に服し、これが明けるとゴールデンウイークが始まる。この時点を境にして大いに活力と英気を養うべきだろうと私は思っている。

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