軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

核の平和利用は絶望か?

昨日午後、史料調査会6月研究会「中東・北アフリカにおける政治変動=日本エネルギー経済研・中東研究センター長:田中浩一郎氏)に出たが、50人を超える大先輩方(中には若い女性もちらほら)で、関心の高さを示していた。
“革命”成就国はわずかにチェニジアとエジプトの2国で、他の地中海沿岸諸国は疑似共和制の古い体制の国。アラビア半島ペルシア湾岸諸国は総じて政治要求を実力で排除、その他クウェートアラブ首長国連邦、イラン、イラク、イエメンなどは総じて政治溶融を実現したケースは限定的だ、とする分類は大いに参考になった。
「オサマ・ビン・ラーディン殺害後のパキスタン、その他の影響」も関心があったが、私はこの件については別の見方をしている。殺されたのが本人だったのかどうか?という点について…
もちろん米国はこれを区切りにテロとの戦いを終えることができ、今度は中国との戦いに精力を向けることが可能になったという点には賛成だが…。
7月の研究会は、7月21日(木)1330〜1600、神宮前の水交会で「中央アジアにおける近年の中国の影響力拡大=拓大助教:中島隆晴氏」である。


夜は日本文化などに大変詳しく、かつ関心を持った昔の仲間の方々に半島情勢秘話をお話しした。拙著に書けなかった取材裏話なのだが大いに関心を示していただけたのは嬉しかったが、私にとっては、食事中に出る皆さんの話が大いに参考になった。例えば某工科大名誉教授の原発の話、さすがに現職東電幹部は控えめだったが、斑目氏の無責任発言(前日のTV)には怒りがうかがえた。私もこれを見ていて彼が専門家なのかそれとも役人なのか判らなくなったほどだったから…

とりわけ「田舎から日本再生運動(村おこし)を!」と積極的活動をしているN氏の気仙沼、大島での復興活動体験談には感銘した。
米軍の素晴らしい活動ぶりもさることながら、「私の村おこしは“平時感覚”だった。戦時(天災時)を含むものであるべきだと悟った」といわれたのである。
そう、日本人は戦後の「平和憲法」で腑抜けになり、すべてが「平和時の視点」でしか見れなくなっている。


ところで仲間の一人である京都方楽家の安倍季昌氏が出版された「雅楽篳篥:千年の秘伝」を戴いたのでご紹介する。安倍氏は千年続く京都方楽家に生まれ、宮内庁楽部に入部され、現在は宮内庁式部職楽部楽長、安倍家の楽祖季政(1099〜1164)から29代目に当たる方である。

≪たちばな出版本体¥4.600円と専門書だからやや高価だが写真・図解が多く日本文化の奥深さが良くわかる≫


さて、脱原発に対する各種の意見がコメント欄に寄せられ、真剣な意見交換が行われているのは嬉しいことである。大いに意見を交わして、将来の日本を明るくしていきたいものである。

私は核兵器問題と原子力平和利用問題で、わが国がいかに偏った対応をして来たか、さらにそれに関する“興味本位”の報道が国民の“知る権利”を阻害し、正確さを捻じ曲げていったか、についてしっかりと検証する必要があると感じている。
雑誌「正論」3月号で稲田朋美議員とわが国の核武装論について対談した時、元自衛官だった私が“消極的発言”をして驚かせた大本もそこにある。
外務省に出向してSALT問題に取り組み、NLP批准に伴う国会審議を体験したことがそれに拍車をかけている。


核は、米国によって原爆として開発され、広島、長崎で実証された。そのとてつもない破壊力に開発した研究者も声を失ったのだが、この世に産声を上げた“悪魔の子”は、決して消滅できないものに成長していった。人類は≪パンドラの箱≫を開けてしまったのである。その後の米ソ冷戦時代を通じてこの“悪魔の子”は世界中に拡散していった。

そんなさなか、“平和の味”に酔いしれた日本は、核時代を生き残るために自ら真剣に核兵器の研究に取り組むことなく、“広島・長崎”を看板にして「見ざる・聞かざる・言わざる」に徹してきた。しかも自分は“汚れた兵器”は持たず同盟国の「傘」で守ってもらうという厚かましさで。
この姿勢が世界に通じるはずはなく、如何に「非核保有国」だと強調して見せても、中国などからは「貴様は米国の核の傘の陰に隠れていながら、俺たちにクレームつける権利はない!」と恫喝され無視されてきた。もっともな反論である。
しかも「母親のスカートの陰」に隠れていながら、「母さんは必ず僕を守ってくれるよね?」と疑心暗鬼、「傘の有効性」を咎めては母親から“慰められて”来た。
わが国の核兵器に対する態度とは、そんな図式ではなかったか?


やがて≪原爆≫は人類が制御できないほどの威力を持ったが、核保有国は、互いが信じられないために、保有数をどんどん増やしていった。

その巨大な軍資金は「抑止力」という範疇を超え、無益な破壊力(地球を100回も破壊で来るような)ににっちもさっちもいかなくなって米ソは互いに協議することにした。それがSALT(米ソ間の戦略兵器制限交渉)である。
しかし双方の疑心は拭い去ることはできず、互いに裏をかこうと相手をだますことに専念、やがて、米・ソ・英・仏以外の国も開発して装備し始めたから、米ソ2国間の協議の意味が失われた。

今や、中国もインドもパキスタンイスラエル?も保有し、なんと、ならず者国家の近隣国たる北朝鮮までもが保有するに至った。先日すでに小型核兵器を持っている!と米高官に発言している。


こんな核兵器開発競争の裏では平和利用が真剣に語られていた。もっとも、潜水艦の動力を核にするとういうこれも軍事開発の動機がきっかけだったが、やがてこの原子炉を発電に利用し始める。

確かに原発原子力平和利用の象徴的存在だったが、さて、わが国はそれにどう対応したか?
核武装論議を飛び越して、一気に≪平和利用≫に取り組んだのはいいとしても、その第一歩であった原子力船[むつ]の開発は、日本人的政治と経済の闇、それどころか核反対運動の絶好の象徴にされ、マスコミがこぞって活動家たちの運動に火をつけた。例えば[放射線]を「放射能」と書き、すぐに広島型、長崎型と原爆アレルギー反応に火をつけたマスコミの“謀略”である。

こうして[むつ]は漂流を続け、行く先々で入港を拒否され、莫大な「落とし前」を政治家が裏交渉で選挙区にばらまき、「平和利用の象徴」は政治家の実力?誇示と巨額の血税の垂れ流しの象徴で終わったのではなかったか?良い思いをしたのはどこの誰だったのか?やさしい日本人はそれさえ追求していない。


今はその象徴は核から「軍事基地」に変わり、普天間問題が象徴になっているではないか!前防衛次官が暴露した普天間交渉録を読むがいい。

いやその前に脱原発であれば、「原子力船むつの漂流」を検証すべきである。


今回の震災では、まず不動産屋が大きな痛手を受けたという。いつも入ってくるパンフを見ればよくわかる。

東京湾沿いに建つ超高層マンションの“売り”は「東京湾の夜景を独り占め!」であり「オール電化」であり、それは富裕層の象徴であった。

それが今はどうだ。手元に都心マンションのパンフがある。
曰く「杭のいらない強固な地盤」「海抜○○m。高台に位置した第1種低層住宅」「低層住宅の安定感と安心感」・・・
オウム事件後、こんな流行語があった。「ああいえば上祐…」

そう、純真な?国民は、宣伝文句にからっきし弱い。知らなかったことは「政府が隠した」「新聞が書かない」と責任転嫁する。もちろん私もそれに反対する資格はない。しかし、ちょっと落ち着いて考えれば、おかしいと思わないのだろうか?
楽して儲けようと○○に手を出し、大負けすると相手が悪いとののしり、元金を返せ!と恥知らずの行動をとって恥じないのは少しおかしい。
そんな高利率の商品があるわけなかろう。自分の欲惚けは棚に上げて、他人をののしるのはいかがなものか。


いやいや、聊か脱原発問題から脱線したが、政府、もちろん外国政府も企業も、国民と共通基盤に立っていない場合が多いから変わり身は実に早いものである。

それは評論家や一部マスコミばかりではない。大衆も風任せのように変わり身が早い。そんな背景をよく分析して、この問題に取り組まないと、いつまでも“誰か”に都合よく利用されるだけだろう。
長くなりそうなので今日はこれで〆ることにするが、過去からこの問題を継続的に見ていれば、政府も企業も、マスコミも、もちろん一部の国民でさえ、「君子豹変」して来たのであり、これからも豹変しない保証はないと言わざるを得ないだろう。

「普天間」交渉秘録

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金正日は日本人だった

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国際軍事関係論―戦闘機パイロットの見つづけた日本の安全

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