軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

正しく怖がる姿勢とは?

今朝の産経は「ラジウム騒動 正しく怖がる姿勢ほしい」と「主張」した。
もちろん、区長までが記者会見して“大騒ぎ”になった東京都世田谷区での「高い放射線量検出」事件である。
放射線の源は、近くの無人の民家の床下に置かれていた瓶だった。中身は夜光塗料などにも使われたラジウムで、誰によっていつから置かれていたのかなどの詳細は分かっていない。」
「当初、強く疑われた福島第1原子力発電所の事故との関係がないことだけは明らかだ」
「この道が小学生の通学路だったことなどから大騒ぎになったのだが、それにしても過剰対応ではなかったか。世田谷区は、通行するだけでは人体に影響のない線量としながら、周辺を立ち入り禁止にしてしまった」
「住民の安心のための措置だろうが、かえって不安感を煽(あお)りかねない対応だった。健康に問題のない線量なら子供たちにもその事実を教え、いつも通りに通学させることが、原子力の利用教育につながる一歩であったはずである」という。


そして「楽観し過ぎるのは問題だが、必要以上に恐れれば、そのこと自体が心身へのストレスを招く。被災地の健全な復興を妨げ、風評被害のもとにもなりかねない。これまでにも東北地方の薪や花火の使用が敬遠されるという残念な事態が起きている。今回の騒動も、その原因の一部は不安要素を過剰に忌避する精神風土に根差しているのではないか」というのだが、同感である。
しかし、一部の“市民グループ”は、知識の乏しい民衆をあおって、自分に好都合な状況を作り出すのがうまい≪プロ集団≫だから、その点を考慮してかかるべきと書いた方がよかった。


東北地方の薪や花火の使用までも拒否した地方自治体の愚挙は笑う他ないが、被災者たちの復興に賭けた熱意を削いだ点では万死に値するといってもよかろう。「絆」「がんばろう東北」「日本は一つ」など、口先ではきれいごとを言っても、このような一部のものによる心無い仕打ちが、その自治体の民度を天下に公表することになり、他の「プロではない市民」にとっては迷惑でさえある。
自治体の長が、票と人気を気にするあまり、物事の価値判断を誤った典型的な例だが、その程度の選良?しかいないのもまた事実。
しかし、己の官・姓名を名乗らずして、嫌がらせ的に「電話」や「FAX」「メール」などで、顔を隠して行動する卑怯な「一部市民団体」を信じる自治体の長こそ異常なのである。


「主張」は「微量の放射線が人体に与える影響は不明確だ。以前から有益、有害の両説が併存している。国がしっかり考究すべき時期であろう。国際原子力機関IAEA)や世界保健機関(WHO)などと連携するのが望ましい」
風評被害にもつながる混乱の大部分は、微量の放射線によるものだ。化学物質には生体への影響を無視できる下限の量の閾値(いきち)が存在する。放射線に限ってこの閾値がないのだろうか。その点をはっきりさせることが必要だ」と締めくくったが、その責任の一端を負うのがメディアであることを忘れてもらっては困る。


以前書いたが、1972年に原子力船「むつ」が就役したものの、水産物への風評被害を恐れた漁民の反対で試験ができなかったのも、時計の文字盤程度の微弱な「放射“線”漏れ」事故を「放射能漏れ」と報道されたからで、その点でもメディアの世論に与える影響は極めて大きいのである。

今回の世田谷“事件”では、「民家の壁からは最大毎時18・6マイクロシーベルト放射線量が検出されたほか、床下から大小数十本の瓶を発見。その中に粉末状のもの」が入っていた事が判明し、この瓶から毎時30マイクロシーベルト放射線量」が測定されたらしいが、民家の所有者である「高齢女性は今年2月まで住んでいた」という。「20年前に体調を崩した女性」が、現在何歳なのかは報じていないが、インターネットでは90歳以上だというから、かなりの高齢なのは事実のようだ。この民家は昭和30年代のものだそうだから、ラジウムからどのくらいの距離で生活していたかは知らぬまでも、18・6マイクロシーベルトを半世紀以上も浴びていて御長命だった理由を医学的に解明してほしいくらいである…。

≪世田谷騒動の源=産経から≫


今日は愛知県稲沢市の民家でも「ラベルに『ラヂウム』と書かれ、白っぽいパウダー状の粉末が入った茶色い瓶」が見つかったと報じられている。
「職員が周囲の放射線量を測定した結果、瓶から1センチの距離で毎時0・091マイクロシーベルト、1メートル離れた地点で毎時0・073マイクロシーベルト、家と道路の敷地境界で毎時0・064マイクロシーベルトを検出。県は「名古屋市の最近の空間放射線量が平均毎時0・066マイクロシーベルトであり、健康に害のない値」としている」そうだが、この瓶は母親の遺品整理をしていた男性が見つけたものだという。


ラジウムは1898年にウラン鉱石から発見された放射性物質の一つで、アルファ線ガンマ線の2種類の放射線を出し、かつては癌の放射線治療に使われたほか時計の文字盤、広告文字に夜光塗料としても利用された。
私も子供のころ、中学生の先輩と一緒に時計の文字盤塗りを手伝わされた記憶があるが、当時は手軽に入る≪貴重品≫であり、「日本にも土壌1キロ当たり平均33ベクレル存在している」といわれる。
ラジウムが多く含まれた温泉(ラジウム泉)は、神経痛の痛みを抑えるなどの効能があるといわれているのは周知の事実だから、床下にそんな「放射線物体」があるとは知らずに生活されたこれらの方々は、どんな健康状態だったのか大いに興味がある。

というのは、幼少時代の私自身が被爆直後の長崎市内を両親とともに歩いた経験があるし、被爆直後広島で救出活動にあたり、その後再び長崎に駆けつけて救助に当った御年90歳でいまだに矍鑠とした旧陸軍の大先輩と懇意だからである。

広島、長崎で毎年名簿に加えられているご高齢な“犠牲者”の方々の記事を読むたびに、なんとなく奇妙な感じにとらわれるのは私だけであろうか?

もちろん、むやみに高レベルの放射線を被曝しないに越したことはないのだが、今回の“世田谷被曝事件”の報道を見ていると、それにしても日本人はからっきし臆病になったなあ〜と感じざるを得ない。

放射線の危険度の基準値について、専門家の方々の懇切な解説が聞きたいものだが、これまた「唯一の被爆国たる日本」では学説がまとまりそうにない。
「学説」なんぞ、いい加減とは言わないまでも、それぞれ個性の強い方々の主張だから、その結果は素人が振り回されるだけである。


昔、航空身体検査で胃カメラを拒否する私に、医務官が「癌で手遅れになっても知りませんよ!」と言ったことがある。
私が「禿は癌にならない、という学説を信じているから大丈夫!」というと、医務官は「その学説はすでに時代遅れで今は変わりました。柳家金語楼(有名な落語家)は癌で死んだのです」と言われ、それ以来私は”学説”を信用しなくなった!


何はともあれ、「主張」が主張したように、放射能放射能…と、個人が測定器を持ち歩くほど神経質な状態に陥っている現状を見ると、過度に心配し過ぎて「ストレスで癌になる確率」の方が高いような気がしてならないから、メディアが正しい適切な情報を公開してくれることを望みたい。
さもなくば「正しく」も何も、怖がりようがなく、風評被害は増すだけであり、一部「市民ら」の一方的な情報活動に利用されるだけではないのか?と案じるからである。


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