軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

共通する“独裁者”の最後

先週末、福島の墓参りを兼ねて東北を旅してきた。高速道も本格的な修理中で、各所で渋滞が起きていたが、皆黙々と規制に従っていた。
福島は落ち着いていたが、「観光バス」の行列が子供たちの通学車列だとわかって驚いた。まるで毎日が「修学旅行」的通学なのである。
子供たちの身を守るため仕方ないにせよ、なんとなく不自然な気がした。
一日も早く、健康ではつらつとした通学風景に戻ることを期待したい。


新聞によると福島全体の線量はこの日毎時1・02マイクロシーベルトほどだったが、墓がある伊達市はもっと高いのかもしれない。
今回は福島で往復2日間過ごした計算だから50マイクロシーベルトほど“被曝”した事になるが、これじゃラジウム温泉の効果にも追いつかない!


農業王国福島の田んぼは稲刈りが終わって一息ついた風景だったが、そのお米が風評被害の影響を受けなければいいが…と思った。
しかし、観光地は絶好の紅葉狩りシーズンとあってかなり込んでいた。車のナンバーも、名古屋、静岡、相模、横浜、足立など、各地の車が目立っていたし、観光バスの団体客も多く福島産の土産を買う人たちで混んでいたから、マスコミには風評被害を生まないような適切な報道をしてほしいと思った。
もちろん我々も応援でなるべく線量が多いと思われる野菜の葉物や果物、キノコ類を買い込んだ!


石巻は復興の真っ最中、全国から土建業、建設業者らが集合しているようで、その意味ではダンプなどの大型貨物が列をなしていて活気があり、各所にできているうず高い瓦礫の山は、子供のころ九州で見慣れた≪ボタ山≫を思い出させてくれた。
作業員の日給は2万円だそうで、東京などから若者たちが集まってきているという。真面目に働く青年たちの現地での評判は良かった。
現地では「みな若者たちは働きたがっている。どんな汚い作業でも黙々とこなしてくれている」と彼らに感謝していた。
昔“3K”と言えば自衛隊専用でもあるかのような時があったが、適切な報道と指導がなされていなかったからであろう。泥だらけで働く青年たちに拍手したい。


ある方は、家を建てたいのだが、業者不足でなかなか建てられない。資材不足で費用も高騰しており、金持ちは良いだろうがそうでない者は来年以降になるだろう、という。今まで田園地帯だった一角には、仮設住宅が並んでいて「団地」を形成していたので驚いたが、こんな不便な山間部から仕事に通うのはかなり厳しいに違いないと思う。
大活躍している土建業者などは、息抜きに仙台の歓楽街に繰り出しているそうだが、石巻の夜の街が“全滅”なのが残念!という声も聞かれた。
問題は漁業の復興と仙石線の一日も早い復旧だろう。国は余計な口出しはしなくていいから、金を出すべきだと思った。
まだまだ各所に被災住宅は放置されたままで信号機も不作動地帯が多く、そんな一帯にはコンビニも復旧していないからかなり不便である。
他方復旧したコンビニには、作業員たちが押しかけていて大繁盛していた。


自衛隊の活躍は周知の事実だが、表面に出ることなく縁の下の力持ちに徹していたようだ。私が勤務した松島基地を久々に尋ねたが、飛行訓練はできないものの、基地は平常に戻っていたのがうれしかった。
彼らは司令の指導もあって、ただひたすら下作業に徹し、復旧が軌道に乗るとすっと手を引いて“手柄”を他に譲ったらしく、町の評判は極めてよかったし、現地OBたちの活躍ぶりも感謝されていた。

基地に集積された物資の中で特に灯油が重宝された理由は、暖房ではなくご遺体1体の焼却に灯油80Lが必要だったからだ、とは知らなかった。
ある幹部は、流された冷凍魚類の悪臭とご遺体のにおいが混ざり合って捜索に非常に苦労したが隊員たちは黙々と仕事をしてくれた、と語ってくれたが、基地司令の見事な統率があったからだろうと思う。


ところで東北を旅していたこの間、世界は激動の渦の中にあった。とりわけリビア情勢が一変して、カダフィー大佐が“処刑?”され、中東情勢は大きく動いた。
第2次世界大戦でも、イタリアを支配したムッソリーニは、敗戦と同時に愛人もろとも処刑されてさらし者になったし、ドイツでもヒトラーが愛人とともに自殺し遺体は焼却された。

 ムッソリーニ処刑=インターネットから≫


イラクのサダムもとらえられて裁判後処刑されたが、勝者が敗者にする仕打ちは世界共通である。そして今度はカダフィーである。

≪サダムの処刑=インターネットから≫


カダフィーの最後=ロイター・共同≫


「戦争とは非情なものである。人を殺すことが賞賛され、そうしないと自分がやられる。戦争とは国家間の問題解決のための非常手段だが、戦場における個人においては道徳観が逆転する。つまり戦場を支配するのは“狂気”である」とは旧陸軍のある先輩の言だが、今回もまさにそれを示している。

面白い?のはこれら“独裁者”に共通した人間的欠陥で、自分の支配中には他人をいとも簡単に殺すくせに、いざ立場が逆転すると、途端に「卑怯者的自己保存欲」を発揮し≪命乞い≫をすることである。

サダムも高額のドル紙幣を持って地下の穴倉に隠れていたところを米海兵隊員に発見され、「撃つな!撃つな!」と叫んだことは有名である。

カダフィーも「撃つな!」と叫んだらしいが、身勝手にもほどがある。おそらく興奮した“民兵”が、これを聞いて逆上したのだろう。

アジアでもカンボジアポルポトは、あれほどの人民を虐殺していながら、自分の番になると嘘をついてまで言い逃れしようとした。

そういえば、わが国でも、多くの“信者”を殺害し、サリンをまいて国民を殺した組織の長・麻原なにがしも、最後は≪サティアン≫のダクト内に隠れていたところを逮捕された。何とも見苦しいことこの上ないが、こんなみすぼらしい男に一生をささげた高学歴青年たちの方が憐れであろう。
ところで彼はまだ「国税で」生き延びているようだが、法務大臣は早く始末しないでいいのだろうか?


何はさておき、石巻東松島などの現地では、「“親”に見捨てられた?」多くの被災者たちが、懸命に立ち上がろうと努力していることを忘れてはなるまい。
特に原発事故をもろにかぶったわが郷里・福島県人は、責任転嫁するよりも自己復旧にまい進していることを実感した。しかしそれにも限度がある。

日本は一つ、というのならば、自己中心主義に陥ることなく協力すべきで、その点では福島から電力を供給されて“贅沢”していながら、自分の区民だけを守ろうとする世田谷区の自己中心主義は情けない。元住んでいただけに特にそう感じる。


リビアの指導者死亡で半島の独裁者も戦々恐々だろうが、日本の“指導者”の中にもそんな恨みを買うような人物が出ないことを祈りたい。

3日間、被災地を巡って前回の5月とは違った力強い風景に接して嬉しかったが、まだまだ復旧には程遠い。内戦で殺しあったリビアの荒廃とは違うのだから、野田首相の積極的な復興推進策に期待したい。

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