軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

戦場ジャーナリストの死

日本テレビに映像を提供していた戦場ジャーナリスト山本美香さんが非業の“戦死”を遂げたというニュースは、「平和」の惰眠をむさぼっていた日本人に少なからずショックを与えたことだろう。


同行していた同じ戦場ジャーナリストの佐藤和孝氏によれば、「逃げろと声を掛けたが、迷彩服の一団が乱射してきた。「20〜30メートルなかったと思う」という。

≪佐藤さんによると、前方から迷彩服の一団がやって来るのが目に入った。先頭にいた男はヘルメットをかぶっていた。政府軍だと思った佐藤さんは捕まらないよう山本さんに声を掛けた。その瞬間、迷彩服の一団が銃を乱射。その距離はわずか20〜30メートルで、一緒にいた各国のジャーナリストらは散り散りになって逃げた。その後、佐藤さんは病院に行くよう指示を受けた。そこには至近距離から腕などに銃弾を受けて死亡した山本さんの遺体が横たわっていたという。(共同)≫

最近、日本男子は「草食系」で意気地がなく、代わりに「女性があらゆる場面で大活躍」しているが、過酷な戦場でも勇敢に活動しているとは、安全地帯に住んで口先だけで稼いでいる男たちはどう思ったことだろうか?

≪美香さんの遺影=産経から≫


45歳といえば、私は1等空佐で空幕広報室長だった。操縦桿をボールペンに握り替えて、「敵戦闘機」ではなく「海千山千」の取材記者さんらと対峙させられていた。行動する分野は大きく違ったが、組織防衛?のため「見敵必殺」の精神だけは失わなかったつもりだが、大本営?の腰が砕けて苦戦したことを思い出す。

しかし、実弾は飛んでこなかったから、生き延びて沖縄で終戦?、無事に復員できたのだが、若い山本さんは実弾に見舞われ、45歳でこの世を去った。三島由紀夫も45歳、何ともこの世は無常である。


愛する娘を失った父、孝治さん(77)は、山梨県都留市の自宅で取材に応じ、「早く会いたい」と言葉を振り絞ったが、昨夜のテレビを見て、父親の気持ちが痛いほどわかり、胸が痛くなった。
しかし、佐藤氏から現場情報を電話で受けた孝治氏は、弾丸が娘の首を射抜いたと聞き、思わず嗚咽されたものの、その後は堂々と「娘を誇りに思っている」と対応したのは、私と同年代(4歳上だが)の男として感動した。胸が詰まりながらも嬉しく思ったのは、最近の日本人の男はすぐ大泣きする、と五輪会場で外国人から評されていたからでもある。

≪昔の男は無闇に泣かなかった=講談社写真集から≫



 ≪悲報が届いたのは、21日午前9時ごろ。美香さんと行動を共にしていた佐藤和孝さんから、「取材中に乱射された」と電話で伝えられた。首への銃撃が致命傷になったという。
 「安全を祈る」と題した孝治さんのメールに、シリア国境に近いトルコ国内から15日、返事が届いた。「紛争とは縁のないとても平和な田舎町です」との返信が美香さんとの最後のやりとりとなった。(産経)≫


戦闘訓練に明け暮れ、機関砲弾や模擬爆弾、訓練用ロケット弾、ミサイルなどの発射体験はあっても、実弾の下をくぐったことがない≪元戦闘機のり≫の私には論評する資格さえないが、美香さんの勇気ある行動を尊敬し、非業の戦死には心からの哀悼の意を表したい。
遠くシリアの地で、人類の安寧を求めて取材を続けた一日本人女性がいたことを後世の人類はきっと評価してくれることだろう。