軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

第二文革の兆候か?

反日デモが大陸各地で起きている。もちろん「官製デモ」だが、収拾がつかなくなりつつあり、一人っ子でわがままで、大学を出たが就職できない青年らが、常軌を逸した行動に出つつある。

「うちは親中派の店です」などと看板を立てても通用しまい。
シナ事変当時の「反日」行動も、中国共産党が取り仕切っていたもので、海軍大尉虐殺事件、日本人婦女子200余名が虐殺された通州事件、上海事件など、その暴虐極まりない仕打に、時の近衛首相は、
「帝国は永遠の平和を祈念し,日中両国の親善・提携に尽くしてきた。しかし,中国南京政府は,排日・抗日をもって世論を煽動し,政権強化の具にニ供し,自国の国力過信,(大日本日本)帝国の実力軽視の風潮と相俟って,赤化(共産党)勢力と連携して,反日・侮日が甚しい。こうして,帝国に敵対しようとする気運を醸成している。(中略)中国側が帝国を軽侮し不法・暴戻に至り,中国全土の日本人居留民の生命財産を脅かすに及んでは,帝国としては最早隠忍の限度に達し,支那軍の暴戻を膺懲し,南京政府の反省を促すため,断固たる措置をとらざるをえない」
と声明したが、天下の朝日新聞はこれを「暴支膺懲」声明として大々的に報じ、国民を“暴支”に扇動した。この会社も昔は「親中派」じゃなかったのである。
こんな近代史は、「日教組」が教えなかったから、戦後の日本人は「友好」を信じて、企業もまた大陸に進出したから、狙い撃ちにされた日本企業は、今また繰り返す歴史に戸惑っていることだろう。

イスラムの反米暴動など、これが力が支配する国際環境の常識なのである。戦争は信じられないようなきっかけで始まるものなのだ。第1次世界大戦のきっかけはなんであったか?


宮崎正弘氏は、「昨日の反日デモは中国各地、およそ50都市で展開され、合計十万人が参加した。若者の暇をもてあます結果の、格好の娯楽である。
北京の日本大使館でも数千規模に膨れあがって公安の制御が聞かなかった。

 暴徒化したのは湖南省長沙と山東省青島である。長沙では日系スーパーが襲撃され、略奪の対象となった。青島では日本の自動車販売店が焼き討ちにあったほか、中国に最初に進出し、天安門事件でも営業を続けて当時の李鵬首相にほめられたパナソニック工場が焼き討ちされた。これぞ忘恩の暴徒」と書いたが、自分が悪いことをしなければ相手もしないだろう、などという愚かな妄想は外交には通用しないことをこの際学ぶべきだろう。

手ひどい損害を受けて「大陸から引き揚げてくる」親中派企業の姿が目に浮かぶ。昔は「関東軍や強い陸軍がいた」から民間人は救われたが、今度はそうはいかない。

なにしろ、官業癒着?で防衛省はまたまた揺れているからとても【邦人保護】どころじゃあるまい。


尖閣へは予定通り台湾と香港から小舟が侵攻するらしく、すでに香港からはボロ船が出港したという。台風の余波の中、なかなか勇気がある!


習近平副主席が雲隠れしたのは、18大で政権引き継ぎ後の、特に軍人の人事でもめていたからだという情報もある。そういえば今回のデモにも、軍人OBや制服が目立ったというから、何かを暗示している気もする。


宮崎氏はこの点について「権力闘争のからみでいえば、習近平は次期執行部(党政治局常務委員)のうち、四名を抑えることが可能か、三名に留まり団派が四名となるかの土壇場。もっと露骨に言えば、習近平の雲隠れは、土壇場の根回しで外交に時間が割けなかったことであり、団派は最後の多数派工作の段階で、どうしても反日デモの黙認というカードに頼らざるを得なかったからだろう」と分析しているが同感である。

しかし、胡錦濤主席はこの騒乱の終息をどうする気か?
戦争は収束が難しいというのが定説だが、“デモ程度”だから、官憲の実力で終止符が打てると思っているのじゃないか?


毛沢東も、権力闘争に「紅衛兵」という子供たちを動員して文化大革命なる反対派封じを実行したが、終息には10年近くもかかって残虐行為が続き、国力は低下した。
今回はそれほどではなかろうが、とにかく高学歴?無教養な若者たちの、不平不満を≪反日≫でくくっては見たものの、騒乱を終息させるのはかなり困難のように思う。もちろん騒動は終わっても後遺症は延々と続くだろうから。


今回は、次期主席予定の習近平氏が、己の“実力”を高く誇示しようとし、胡錦濤氏と、共通の敵である江沢民派を封じ込めようとしたのだろうが、軍隊の中も3派に分かれているからその勢力争いは半端じゃなかろう。
太子党派が羽振りを利かせると、他派の軍人は反発する。しかし、習氏と胡氏は、裏では互いに信頼関係にあるというから、18全での軍人の人事が見ものである。


宮崎氏は「それはともかくとして、日本はこれを奇貨として、通貨スワップの全面停止措置をとれる。中国資本の水資源買収との規制も法制化を急げる。新潟の五千坪の中国領事館契約も白紙に戻せる。
この絶好のタイミングを外交得点に活かすべきではないか」とメルマガを結んだが、日本国内にいる反日外人たちの動向には十分気配りすべきだし、彼らに便宜供与している「親中日本企業」の動きも監視すべきだろう。


ところで、見逃せないのが「海図受理、国連でも中国攻勢 「領海」主張を誇示」という次の記事である。


≪【ニューヨーク=黒沢潤】国連は14日、沖縄県尖閣諸島の周辺海域を中国の「領海」とする海図などを中国政府から受理したことを明らかにした。中国は今後、自国の領有権を国連の場でも主張するなど、外交面でも攻勢を一段と強めるとみられる。

 国連報道官によれば、中国の李保東国連大使が13日、「領海基線」を記した海図などを国連に提出し、潘基文事務総長が受理したという。

 報道官は「事務総長は国連海洋法条約に基づき、海図を受け取る立場にある」とした上で、「あくまで中立の立場で情報を取り扱う」と強調した。潘事務総長と李大使との具体的なやりとりについては言及を避けた≫


受理された海図などは近く公表されるというが、日本政府、外務省はいったい今まで何をしてきたのか?

総理の国連演説程度で国際世論を味方につけられるのか?

≪中国政府は最近、日本側が尖閣諸島を国有化したのに先立ち、独自に領海基線を定めて公表していた。中国外務省は14日、「国連海洋法条約が規定する義務を履行し、あらゆる法的手続きが終了した」と主張した≫というが、これは2003年にさかのぼる。


記事を探してみるがよい。当時中国の東海艦隊が、北緯25度線以北の海域を調査して、尖閣や我が国の島嶼を周回していた。
海保や水産庁は、何をしているのか?という程度の認識だったようだが、その時彼らは海中に「中国領土」と書かれた標識を沈めて「領海基線」の根拠にしようとしていたのである。今から約10年前のことである。


多分これを根拠に国連に71の島々を含む海域を中国の領海内だと申請したのだろうが、この当時、これに危機感を持った中国問題研究家が、在京のY氏を通じて海上自衛隊の幹部にその資料を手渡したといわれていた。
もちろん「標識」は台湾の国民党との共同作業だという。

国連事務総長はご承知の通り韓国人の潘氏である。
韓国人は大陸に頭が上がらないDNAを持っているから言いなりだろう。ましてや大統領が竹島を“ぶんどった”ことを確認した直後だから。


余談だが、反日風が吹く荒れる大陸では、日本の商店は焼打ちに会うなどして商売できないから、その隙を狙って韓国企業が大繁盛?だという。この民族が最も得意とするやりかた、日米開戦前の米国人の日本移民排斥運動の裏には、当時日本“国民”だった彼らのあこぎな商売が白人たちから反感をかっていたことに通じる。


中国人のデモには≪大学生風の若者や労働者風の参加者のほか日中戦争時の八路軍の軍服を身にまとった中年男性もいた。警察隊が警戒するなかデモ隊は、「釣魚島(尖閣諸島の中国での呼称)から出ていけ」「日本軍国主義を打倒せよ」などと叫んで大使館前の道路をほぼ占拠した。…興奮した参加者の一部は「対日宣戦だ」などと叫び、タマゴやペットボトルを大使館内に投げつけた。デモ隊に壊されることを警戒し、「車は日本製だが心は中国人」などと紙を張った日本車もみられた。一部の参加者は大使館前に設けられた鉄柵を突破しようとして武装警察隊と激しくもみ合い、一時は制御不可能な状態に陥った(産経)≫とある。


昔だったら邦人保護に海軍陸戦隊と陸軍が出動したものだが、今は「官民癒着」で忙しく、とてもそれどころじゃなかろう。
いや、それ以前に最高指揮官たるシビリアン自身が、軍事力の使い方を知らないし、使う勇気もないから、普段の3自衛隊は「お祭り」に熱心で、その憂さを災害派遣で晴らしている…


≪デモ隊を取材した日本人記者同士が、日本人であることに気づかれないよう中国語で会話する場面もあった≫とあるから、在留邦人にはその手の“平和的手段”で、「中国語で話せばわかる」と信じて行動してもらうほかあるまい。

「南西方面波高し!」と吠え続けて16年、ついに実現の時来るか??じつに情けない…

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