軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

中国の「復国運動基本綱領」

今朝の産経は一面トップで「中国軍艦7隻が接続水域通過 フィリピン沖から航行」と報じた。

≪与那国周辺を航行する中国艦艇=産経から≫


16日、中国海軍のミサイル駆逐艦など艦艇7隻が同日朝から夕方にかけ、沖縄県与那国島西表島の間の日本の接続水域を通過し、尖閣諸島の南西を航行したというのである。
≪中国艦船が先島諸島の接続水域を通過したのは初めて。7隻はフィリピン沖の南シナ海から航行してきたことも明らかになった≫として、「主張」は≪軍事力行使も辞さないという中国のメッセージに対し、日本は厳重な警戒に加え、威嚇に屈しない備えが不可欠だ。政府は南西諸島の防衛力強化を急ぎ、領土、領海を守らねばならない≫と警告した。
≪外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長は16日、中国の韓志強駐日公使に「日中関係の大局に鑑み、適切な対応を求める」と電話で申し入れた。一方、中国国防省報道官は「通常の訓練と航行であり、正当で合法だ」とコメントした≫という。
しかし、話し合いで解決できると“信じている”わが政府は目を覚まさないのじゃないか?


1978年10月23日に日中平和友好条約の批准書交換のため訪日していたトウ小平国務院常務副総理が、「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある」として「一時棚上」を持ち出したが、中国は当初「棚上げ」を、「尖閣諸島は中国固有の領土ではあるが、中国は日本による実効支配を黙認」し「軍事力は使用しない」ことにしていた。それは当時の軍事力は日本の方が優勢だったからである。
 中国政府はこのような衝突を繰り返しつつ、一方で中国の軍事力強化を急いできたが、中国も尖閣諸島周辺に軍事力を展開することが可能になってきた。こうして、トウ小平が持ち出した「棚上げ論」は日本の尖閣諸島進出を抑える上で大きな役割を果たし、目的を達成して歴史的使命を終えたのである。つまり、彼らの軍事力が日本と対等になったと判断したからである。


中国共産党の行動原則は日中戦争間の毛沢東の有名な「三段階の遊撃戦論」、つまり、第一段階=強力な軍事力を持つ日本軍との戦いを避けて逃げ、第二段階=持久戦で消耗した日本軍に対し、中国は強者に転じる。第三段階=中国の反攻と日本の退却であり、中国の力の拡大と日本の内部崩壊で戦争に勝つ、というものであり、「中国は経済的にも軍事的にも発展した。今や積極的な行動に出るべきだ」という段階に達したと“誤解”していて、共産党政権も人民の自負心をくすぐる必要が出てきている。その恰好の目標が南シナ海であり尖閣である。こんなことはソ連が崩壊した時点で分かっていたことだが、軍事的に無知なわが政府は「緊張緩和!」と喜び、防衛力を削減し始めた。


しかし、間もなくその地位を去ることになっている胡錦濤主席は慎重である。2007年10月に、極秘裏に『復国運動基本綱領』を立てたが、対日戦はいまだ時期尚早だとして、ひたすら武器の近代化を推進するため軍事予算を増強した。
情報によると彼は当時、「武装と練度では日本自衛隊にかなわない。中国軍は近代化で後れを取っている。今は確実に装備の近代化を図り、訓練を積み、特に海軍については、作戦海域の水深や海流などの情報を的確に掌握し、機会を待つ」よう指示した。
それまでは、あらゆる手段を講じて情報を収集し、敵の分離、特に日米間の分離を画策させたのである。
つまり「今は情報戦最優先、実員はその時に備えて徹底的に訓練せよ」というのが彼の方針である。

≪沖縄のオスプレイ反対運動家が持つ“5星紅旗”の団扇≫


≪同上。まさか仮装行列じゃ??=いづれも読者コメントのインターネットから≫


あれから5年、今、わが国周辺海域を隊列を組んで航行している海軍艦艇は、徐々に実力をつけつつある。やがて艦艇の性能と兵員の練度がその域に達したと“勘違い”したときは、何らかの実力行使をしてわが海保、海自の出方を探るであろう。
わが方の大まかな手順は、毎年出版されている≪防衛白書≫に明確に示されているし、わが国の新聞雑誌を収集するだけでほぼ完ぺきに対策がとれる。もちろん、日本各地、特に防衛関連企業、大学研究室に配置した工作員情報も役に立つ。

ところがこの「綱領」には壮大な野望が秘められている。
宮崎正弘氏は、15日のメルマガにこう書いている。
≪中国にとって地政学上、ウラジオストックがもつ意味は大きい。日本海への出口が回復できるからだが、胡錦涛はAPEC出席のため、嘗ての中国領であったウラジオへ出かけたのである。
これは中華思想に照らせば屈辱外交いがいの何者でもない≫
≪なぜか。竹島でAPECが開催され、日本の首相がもし参加したら「売国奴」と言われるだろう。
 そう、ウラジオストックは中国領なのである。いや「だった」のである。それがいつしかロシア領に正式に編入されたが、中国の国民には知らされていない。
 簡単に歴史をたどれば、清末にロシアの極東シベリアへの侵略が始まり、愛軍条約で黒竜江省の北方を掠め取ったロシアに清朝は譲歩した。さらに清はフランス、ロシア、英国との間に「天津条約」という不平等条約を締結すると約束し、いったん反故にしたが、怒った列強によって、もっと不平等な条文が羅列された「天津条約」の追加文書(これが北京条約)を押しつけられた。

列強が清におしつけた「北京条約」(1960年)で清の領土だった沿海部の悉くがロシア領に編入された。中国は日本海への出口を失った。
ハバロフスクから軍春、興凱湖,豆満江までの広大な土地がロシアに「奪われた」。これらの面積だけでも40万平方キロ。日本より大きい。
しかし、ウラジオストックは「五十年後に中国に返還される」と戦後の合意があったという。北京条約は1860年、その後、世界大戦がはさまって1946年に、ときの中華民族政府はスターリンと領土交渉を再開し、全権代表だった宋子文は、スターリンとの間にウラジオストック、大連などの「五十年後の返還」を約束する密約が成立した。大連は返還された≫
≪そして中国人論客は言う。「(中国国内の)『愛国無罪』の無法者たちよ、反日、反米といって尖閣を奪えと言うのなら、なぜ『ウラジオストックを奪回せよ』」とはいわないのか」。

しかし、「これ以上、ウラジオストックの返還を言わない」とロシアと密約を結んだのは2001年、江沢民政権だった。
正確には2001年7月16日、モスクワを訪問した江沢民は『中ロ善隣友好条約』に署名した。中国は正式に旧領土でロシアに編入された土地の主権を放棄した。

爾来、2004年に中国とロシアは領土問題の解決に終止符を打った。タラバロフ島とウスリー島の中州の半分だけが中国に返還され、三十年つづいた中ロの領土係争に終止符が打たれ、08年に正式に発効するや、露西亜国境のアムール川を挟んだ中国側の寂しい都市、三江から撫遠にかけての県、鎮、村々にはぴかぴかの摩天楼が林立する有様となった。

尖閣諸島はしかしながら領土交渉の対象ではない。日本固有の領土であり、国際法に照らしても歴史的経緯からも明らかなのに、北京が「あれは中国領土」と言い張るのは、逆にロシアとの密約がばれて批判が起きるのをすり替えている可能性がなきにしもあらず、だろう≫


その通り、中国は、強大なロシアには、今のところ手が出せないが、いずれ実力が整ったときはこれを奪還しようとしているのである。


どこまでが“歴史的に”かの国の「領土」なのかはさっぱりわからないが、清朝時代の全領土を復活するのか?まさかジンギスカン時代じゃないだろう?
しかし、彼らは勝手にそう思い込んで、奪還しようとしているから不気味である。最終的には地球を独り占めにする気かもしれない。
実は虎視眈々と自国領土の復活を狙っている事が綱領には示されているらしい。
対ロシア戦略の最優先は「人口侵略」であり、中ソ国境や沿海州、私が生まれた樺太などの最大の弱点は、人口的に過疎となりつつあり、そこへ「蝗の群れ」のように中国人が続々と侵入している。彼らの武器は実は「人」つまり、「人海戦術」なのだ。

日本各地の温泉街に観光目的で呼んでいるうちに、我々が「少数民族」になりかねない…
いま中国は対ロシア戦に備えて、陸上兵力、とりわけ近代装備の戦車を20000両装備することを検討中であり、今後8年間で目標を達するという。それまでは「人海戦術」なのである。
やがて、ロシアも、第2次世界大戦で、わが国との『中立条約』を一方的に破棄してなだれ込んだその悪行が、中国によって蒸し返されるのじゃないか? ロシアが江沢民と結んだ『中ロ善隣友好条約』が破られる日もそう遠くはなさそうである…

これらの戦略も、すべては毛沢東の「三段階の遊撃戦論」に依拠していることを知る必要がある。

こんな国に対して≪尖閣問題、軍艦通過問題≫などでいくら口頭で抗議しても無意味というべきだろう。
それには南シナ海で苦労しているアセアン諸国、日本海側に港湾施設を借り受けられ、資源を持って行かれつつある北朝鮮、そして将来、危険水域に達するであろう、ロシアとの関係を見通し、これに対する「対抗策」を考え、準備することが国家戦略なのだが、民主党の戦略大臣は何を考えているのか?

 
ところでこのよう遊撃戦論を立てた中共の指導者、毛沢東の建国に関して、【正論】欄に古田博司筑波大学大学院教授が「日本軍と戦わない屈折が反日に」と題して書いているので、ご参考までに添付しておきたい。
拙著「金正日は日本人だった(講談社)」の取材を通じて、旧満州朝鮮半島の歴史に私は「事実は小説より奇なり」であることを体験した。

別途、12月8日発売を目途に「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」を青林堂から出版する予定だが、今日の古田教授の「正論」に一部先行されてしまった。

古田教授の論をあらためて読んで、どうもかの国とは、もう一度戦争して決着つけねばならないような気がしてきた…


≪中国の野蛮と韓国の野蛮が世界を騒がせている。彼らは日本人が面子(めんつ)をけがしたと言っているが、彼らはウソをつくことを恥と思わない。ウソや虚構が後戻りできないほど否定されたときに初めて恥を感じ、元の面子を取り返そうと怒りだし躍起になるのである。

 「韓国の近代史に対日戦なし」

 近代史上、韓国は日本軍と戦ったことがない。韓国が主張する戦いは1920年の青山里戦闘1回きりで、敵は朝鮮人匪賊だった。当時の満州には、このようなアウトサイダーがあちこちにいた。対日戦争を独立戦争として戦ったのは北朝鮮の故金日成国家主席と仲間たちだけだ。青山里の戦闘で勝ったというウソを定着させようと韓国は骨を折ってきたが、戦場に残ったのは日本軍であった。敗けた方が戦場に残る道理はない。

 韓国が英雄として誇るのは、あとは爆弾魔のテロリストだけだ。有能な人材は全て日本の近代化に参画したから、放浪者しか残らない。その放浪者の爆弾テロリストを英雄に仕立てなければならないのは、今の韓国の悲哀である。

 長く英国支配に抗してきたアイルランドでは、このような卑劣を正義とは見なさない。ダブリンにある旧英総督府は、1916年の「イースター(復活祭)蜂起」の記念館になっているが、掲げられている英雄たちはみな蜂起の指導者で処刑された者たちである。

 「中共軍は延安に敗走しただけ」

 中国人で日本軍に正面戦を挑んだのは、国民党軍であり、共産党軍ではない。中国研究者たちは1990年代後半から、戦いを主導したのは共産党だという恥ずべきウソに加担したが、今では正常心に戻っている。中国にいた日本軍を勝者として武装解除したのは、国民党軍であり、満州の方を武装解除したのは、旧ソ連軍である。共産党軍は日本軍の武器をソ連軍から供与され、この火力で戦後、国民党軍を台湾にたたき出した。

 共産党軍が主張する戦いは、40年の百団大戦ぐらいのものだ。国共合作で国民党の援助を受けながら大敗し、その後、執拗(しつよう)な日本軍の追撃を受け、党内でも批判された。中共の主力部隊が延安の山に逃げたことを、彼らは「長征」というが、征服した地はない。「長遯(ちょうとん)」がふさわしいだろう。満州にいた中共軍は44年までに、日本軍によって全滅した。第二軍の一司令官だった金日成氏は40年頃、国境を越えソ連領に逃れている。

 日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼らは反日である必要性を持たない。今日に至るまで親日だ。日本軍と正面切って戦わなかった者たちが、今も反日でしこっているのである。

 韓国は日韓併合は強制であり、不当だと言った。だが、当時の李朝の国庫は空であり、どうしようもなくなった王が日本の提案に妥協し5人の大臣に丸投げしたという史料が、3カ所から出てきてしまった。国権強奪はなかった。

 土地収奪はソウル大の経済史教授が否定した。日本時代は、韓国に年率3・7%の経済成長をもたらし、民法典を与え所有権を確定した。確定した側が所有権を無視し、土地を奪うはずがない。朝鮮で取れたコメは経済原理に則(のっと)って日本に輸出されたのだと、教授は主張した。台湾の植民地統治は成功だったが、朝鮮のは失敗だったという、日本の左派学者たちの韓国の反日擁護の構図は崩れた。

 「自らの正義の記憶ない悲哀」

 日本の植民地統治は成功し、朝鮮を近代化させた。米ハーバード大教授がさもなければ、どうして戦後韓国の企業家が順調に育つことができただろうか、と疑問を投げかけて、日本時代の民族資本家たちの活躍を本に描いた。この本は今も、韓国では禁書である。

 日本軍と戦わなかった者たちは自らの正義の記憶がない。中国は南京事件を捏造(ねつぞう)する日本の市民派新聞に飛びつき、韓国は従軍慰安婦のウソに搦(から)め捕られた。日本の左派知識人やマスコミは結局、彼らの卑劣さを助長したのである。

 南京事件の被害者数は年々増加する。戦闘1週間で30万人も殺せたならば、戦争はすぐに終わってしまうだろう。中国軍はそれほど惰弱だったのだと侮蔑することもできる。だが、戦ったのは共産党軍ではない。国民党軍だった。

 歴史共同研究で話し合えば共通認識が得られると思い込んでいる人々がいる。だが、事実を明らかにする資料を示すと彼らは怒る。その時に初めて恥を感じ、面子を取り戻そうとするからである。日本側はウソ自体を恥じる。だから研究して会議に臨む。「恥と面子の平行線」である。第二期日韓歴史共同研究委員会では、日本側が韓国の歴史教科書の元ネタが日本であることを実証した。その時、韓国側が「こんなこと、韓国の学界に知れたら大事になるぞ」と叫んだ。面子ゆえに、彼らはいつも戦わずして屈折するのである≫

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