軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

築城基地航空祭と第10飛行隊

久しぶりに28日の築城基地航空祭に出かけた。予報は雨!だったから、何とか晴れ!にしたかったのと、F-86F時代の第10飛行隊創設50周年記念の集まりに参加するのが目的だった。

私が生まれた昭和14年に海軍が基地建設を通知し、昭和17年4月に母艦搭乗員養成目的に、築城海軍航空隊が開設された。
終戦直前には、特攻隊の転進・集結基地となり、神風特別攻撃隊菊水部隊銀河隊などが出撃したが、9月2日に航空隊は廃止、翌21年10月、米軍の不時着場として再開され、朝鮮戦争時代は補助飛行場としてP51が進出、その後F80を経てF86F部隊になる。
昭和29年に空自が発足すると、昭和30年からジェット機操縦学校となり、T33Aを使ってジェットパイロットの養成にまい進した。
昭和37年1月、戦闘航空団として第10飛行隊が新設され、T33Aの第16飛行教育団と、F86Fの戦闘団が混在したが、昭和39年12月に第8航空団が編成され、以後、新田原から移駐してきた第6飛行隊とともに西の空の守りについた。
私は昭和41年8月に戦闘機課程を卒業して、浜松から着任したが、第1夜に“幽霊”の手荒いお出迎えを受けた!忘れがたい基地である。

≪ビフォー:昭和41年12月、当時の第10飛行隊の若武者たち≫


≪アフター:今回集合した「元」勇士達≫


昭和52年4月、老朽化したF86Fから、新鋭のF4EJに更新されることになり、第10飛行隊は廃止になったが、飛行隊名が304となったため、名実ともに消滅した!
この間約15年、16名の仲間が殉職していったから、毎年一名が消えていったことになる。

この日は“予定通り”朝から雨は上がって、ローカルな築城駅にも≪特急列車≫が臨時停車、駅前は大混雑、帰りの切符購入や、JPが記念切手を発売するなど、正門まで行列ができていた。
グランドには恒例の屋台が並び、すでに混雑していたが、こんな人気ぶりを見ると、オスプレイ反対派の方々は悔しいだろう…


残念だったのは、正門近くにある【殉国勇士の碑】と、基地内に私がいた時に建てた【菊水部隊銀河隊出撃の地】というメモリアルが、会場案内図に出ておらず、ほとんど関心がなかったことであった。
先人の偉業を崇敬せず、先輩を慕わない組織に、軍隊がなってはおしまいだろうに。
どうもこれらのメモリアルについては、継承されていないようで、隊員に聞いてもすぐには分からなかったことだ。入場後やっと探し当てた出撃の碑は、工事現場のそばだったせいもあり、だれも見向きもせず、周辺では食事をする家族がいたが、私が元部下に「指揮官の松永大尉は25歳、15名中2名は16歳、17歳になったばかりの隊員もいた」と説明していると、ずっと聞き耳を立てていたご老人が「いいお話をありがとうございました」と涙を浮かべてお礼を言ったから恐縮した。

≪工事、工事で移設続き、人間として最後に地上を離れた滑走路を見つめる15名の顕彰碑≫


地上1000FTまでは気流が乱れていたが、上空はウインドカーム、ブルーインパルスも青空をバックにのびのびとフライトしたので観衆は大きな歓声を上げていた。


≪入場者は5万人は超えたかな〜≫


航空祭終了後、地元の旅館で大宴会を実施したが、北海道から宮崎まで、61名もの参加者が集合、懐かしい≪フグ料理三昧:ふぐひれ酒≫を大いに楽しんだ!

≪創設期から世話になっている旅館玄関の壁。一面に自衛隊の写真が飾ってある≫


風采はかなり変化していても、一瞬にして当時の人間関係にタイムスリップするから不思議なもの、操縦も整備も“勤務評定”も無関係、本当の会話ができる年になったもの。
こうして3時間、大いに旧交を温めたが、「俺も77歳、そろそろ○○(殉職者)に会いに行く時が近づいたな〜」と、昔の張り切り飛行班長が感無量の表情でぽつりと言った。

≪昭和44年5月11日、島根半島で杉の木をなぎ倒して生還した機体。左主翼前縁部が大破したが部隊で修理し、そのテスト飛行を受け持った班長だった。「少し捻れているから弾がよく当たるぞ!」と降りてきたが、事実よく当たるようになった!≫


久しぶりにお会いした未亡人もお元気で、3歳だった娘さんもすっかり立派に成長されていて、それだけは本当に嬉しかった。
特に新婚半年で未亡人となったS夫人は、基地には足が向かない、というので、家内と当時の部下夫人の「新婚3人組」は、福岡に残って太宰府の美術館などを見学、S夫人は「いまだに猫二匹が家族よ!」と夕方には帰宅、翌日再び3人でドライブするなど、彼女らもすっかり娘時代に戻ったらしい。
飛行隊番号を変えていなければ、第10飛行隊は永遠だったのだが、伝統をおろそかにしたため、こうして空自創設期に苦労した老兵たちのよりどころになるべき組織が消えていった。
私が所属したF86F部隊の第10飛行隊と、浜松の第1飛行隊は「石碑と灰皿」になって消滅して久しく、実にむなしい。
そのころから空自は「伝統継承精神」が薄かったのかも…
夜、元部下の自宅に帰宅して深夜まで話題は尽きなかったが、「あのころは充実していた!」という点では意見が一致した。


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