軍事評論家=佐藤守のブログ日記

軍事を語らずして日本を語る勿れ

東北復興ままならず!

先週末、恒例の東北めぐりをしてきた。福島県は第1原発事故の「風評被害」で農作物が甚大な被害を受けたが、少しずつ回復してきているという。私の故郷の名物「伊達のアンポ柿」は干し柿だから…というので自粛したようだが、今年は豊作でやっと再開するらしい。
この間、東京のスーパーに並ぶ干し柿は、他の地方のものに占有されていたが、さて、今年は挽回なるか?
私はもちろん必ず購入するが…


石巻東松島市三陸自動車道は「国土交通省」と書かれた垂れ幕をつけたダンプが往来していて、がれき運搬が続いており、仮設住宅も3年目の冬支度、不便な場所にあるので車は増えているが、皆さんの生活はどうなのだろうか?
どうしてこんなに復興が遅れるのか、と聞いて回ったが、人手不足と資材不足で、なかなか進まないという。
「あれだけ世界中から義捐金が集まったのに、被災者には無関係に思える…」という声も聞かれた。
現地の方々の話の中で気になったのが、建設業に携わる方々が疲労からか、体調を崩す方が増えているそうで、沿岸部の工事に集中している方々に多いのは、多分、作業中に未だに行方不明のまま救われていない犠牲者たちの霊に取り付かれているからだろう、という話があった。
科学では解明できない悲惨な話だが、数人から同じ話を聞いたので、意図的な作り話だとはとても思えなかった。犠牲者の霊を弔う効果的?な手段があるのかどうか…偽霊媒師も活動しているらしいが…


ショッピングセンターは「楽天優勝ムード」で意気盛んだったが、星野監督率いる楽天の優勝は、そんな被災地の皆さん方に、大きな慰めを与えたと感じられた。

まだ紅葉には早かったが、作並温泉のホテルベランダに猿が二匹飛びついてきたのには驚いた。鹿も時折温泉に顔を出すらしい。温泉は人間だけのものじゃないということか……


帰路の福島では、いつもの峠の茶屋で薬草の話や自然界の変化などについて聞き、またまた熊の話に聞き入った。
いつも偶然にここで出会うEさんではなく今回はHさんだったが、突然熊に出くわした話は面白かった。やはりEさんの話と同じく、逃げ出すと襲われるらしい。
Hさんも母熊とにらめっこして時間を稼ぎ、子熊が去ったのを見て母熊も去っていったので難を逃れたという。3〜4カ月過ぎると子熊も成長するから危険らしい。
しかし、母熊が子供を危難から救おうという行動にはいつも感心する。最近の若い人間の親たちも見習うべきだろう…


Hさんによると、山菜取りに山に入っていた友人が、突然子熊に遭遇した。するとその後ろから母熊が猛然とダッシュしてきたので、あわてて木に登ったところ、母熊も後をついて登ってきた。しかし、熊も木にしがみついているので前足で人間を襲えない。そこで母熊は木にしがみついたまま彼の右足の安全靴の上から噛みついたらしいが、その引っ張る強さは太ももから足が抜けるのじゃないか、と思うほど強力だったという。
左足で熊の頭を蹴るのだが全く動じない。もうだめかと思った時、木の下で遊んでいた2匹の子熊が離れていったのを見た親熊は、足を噛むのをやめて「くしゃみ」をしてから降りはじめ、子熊の後を追って戻って行ったので九死に一生、友人は生還できたといった。
そこで私が「足から口を離した熊がくしゃみ?した」と確認すると、熊は、顔を左右に振って“くしゃみ”したらしい。「じゃ、襲われた彼の右足はひどい水虫だったのじゃないの〜」と私がからかうと、Hさんは笑いながら、「そうかもしれん、それに彼が恐怖でちびったからかも…」と大笑い。
こうしていつものように小一時間、茶屋で自然界の話を堪能していると地元の方が続々と立ち寄る。
店には取れたての「イノハナタケ」が並んでいて、マツタケよりも貴重で珍しいものらしい。

 ≪峠の茶屋で見かけたイノハナタケ≫


私も初めて見たが、相当な高山に入らないと取れないらしいのだが、今年はずいぶんたくさん取れたそうで、「来年はきっと取れないだろう。一年おきだから…」とSおばあちゃんが言う。
毎年、こうして自然界と人間の「あり方」をおばあちゃんや通りがかりの皆さんの体験談を通して教えられて帰路に就くのだが、Hさんが「磐越道沿いに行ったところに、知人が熊を飼っているから見ていくがいい」と教えてくれた。
迷い熊や、母熊が射殺されて残された子熊を拾ってきて育てたものらしいが、熊はいくつになっても恩人にはじゃれつくという。しかし、熊は熊だから、世話する主人には爪のひっかき傷が絶えないらしい。
中でも面白いのは熊の食事で、キュウリは両手で縦に持って端っこの「えぐい部分」をかじりとって捨て、上から下へ順に食べていき、最後にまた「えぐい部分」を残して捨てるのだという。パンダもそのようだが…
売り物にならない梨が届くと、必ず一番熟れて美味しいものを探し出し、両手でつかんで器用に食べる。
「栗でも拾っていって食わせてみるがいい…」と笑いながらHさんが勧めてくれた。


そこで直接磐越自動車道に入らずに、国道を通り、磐梯熱海ICの方向に向かって山道を登って行った。
とにかく詳細な場所を教えてもらわなかったから、途中で畑の中で農作業中の「第一村人のご老人」を発見して尋ねたところ、「ここから5kmほど山に上がったところに釣り堀があるが、そこの主人が迷い小熊を拾って来て育てたとは聞いたことがある。しかし30年ほど前の話だから今飼っているかどうか…?」という。
折角足を延ばしたのだから、最後まで追及しようと山道を登っていくと、小さな釣り堀があって子供連れで賑わっており、その庭の入口に頑丈な檻が見えた。

≪釣り堀の入り口に置かれた熊の檻≫

≪最初は顔を見せて“挨拶?”してくれたが・・・・、身長約150cm、やや小太り…“熊相”は優しげだった≫


中には確かに熊がいて、最初は穴から出てきて“挨拶”してくれ梨を抱えて食べて見せてくれたが、その後は何となく寂しげに外を眺めていた。檻の中には冬眠用の穴まで作ってあったが、彼?彼女の本心はどうなのだろう?とあまりにもさびしげな後ろ姿に家内は同情した。
今更森には帰れないだろうが、このままで「幸せなのだろうか?」というのである。

≪どこか寂しげな横顔…何を考えているのだろうか?というのが家内の疑問:左の白い壁が人造の冬眠用祠≫


もちろん、アベノミクスの効果も、消費税アップも無関係な人生ならぬ「熊生」は、私にとっては「人間様よりも幸せじゃないのか?」と思われるが、論評する資格はない。
しかし、こんな田舎の山里に来ると、人も動物も、植物もなにもかもが、自然界の一員だということが改めて認識できる。
都会では入場料を払って動物園でしか見られない光景が、イワナやヤマメの釣り堀のそばでいつも見られるということは、大都会の子供たちには想像できまい。
都会のスーパーで「製品」だけを眺めていれば、その製品がたどってきた「野生」や苦労は、おそらく想像できなくなるのじゃなかろうか?
現代人間の心のどこかが「歪んで」いく原因がわかってきたような気がした。


帰路、郡山ICから東北道に入ったが、気候がいいとあって高級車のレースまがいの行列や、各種オートバイの大行列などでにぎわっていた。

熊の幸せと、現代人の幸せについて、ハンドルを握りながら少しばかり考えさせられた3日間であった。

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